ライター/編集者・稲田豊史氏に聞く
第3回 不完全なパートナーとしてのAI:ドラえもん型エージェントの可能性
プロセスを共有してくれる相手としてのAI
稲田 さっきお話したうめの小沢高広さんは、漫画のプロット案やアイデア出しにAIを活用されていますが、「それって即使えるレベルなんですか」と質問してみたんですよ。AIの出してくるアイデアがそのまま作品に採用できるのか、そこを知りたかったので。答えは、「たくさんの案を出してはくれるけど、ほとんど使えない」。でも、そこに意味があるとも言っていました。大量の玉石混交のアイデアとにらめっこして何かを思いつくことこそ、創作に関する打ち合わせなのだから、と。小沢さんにとってAIは「打ち合わせの相手」なんですよ。出してきたアイデアに改善点をリクエストするなりして何度もラリーしながら、使えるものを探す、その対話プロセスが肝要ということです。出してくる答えの正確性が大事なんじゃない。1発で100点の正解を求めるんじゃなくて、コミュニケーションを重ねるところにクリエイティブの可能性を見出しているわけです。
答えを探していくプロセスやコミュニケーションのほうが大事ということですね。
稲田 これは漫画の創作行為に限った話ではありません。AIをガチガチのビジネスに持ち込もうという人ならともかく、そうでなくカジュアルに生活の中でAIを使いたい人は、1分1秒争ってただひとつの正解やソリューションを最短時間で求めたいわけじゃないので。たとえばAIへの旅行相談。「今こういう気分なんだけど、どこに旅行したら楽しいかな?」なんて相談している時間自体が楽しかったりする。そういう場面に入ってくるようなAIは、一発で答えを出せないし、出さないほうがいい。ドラえもん的なものであったほうが、利用者がプロセス自体に充足感をおぼえられると思います。
それこそVUCAと言われていて、これだけ不確実性が高くて何が起きるかわからない時代だと、環境が変わりすぎると求めた正解に意味がなくなることになりかねない。プロセスのほうが大事だという考え方が、むしろビジネスシーンからも、言われはじめている状況です。そういう意味では、テクノロジーに求めるものが結果ではなくて、プロセスを共有してくれる相手としてどうかを重要視するということだと思います。
稲田 よく、生成AIを使う際には適切な質問を投げないとちゃんとした答えは返ってこないと言われますよね。でも実は質問を設定するほうが難しい。
おっしゃる通りですね。問いのほうがレベルを求められる。
稲田 良い問いを設定できる人ほど知性がある、と言われるゆえんですね。だからこそ、ネットにはプロンプトのアイデアが山のように落ちているし、それらが有料で提供されたり本になったりもしている。つまり大半の普通の人は、芯を食った問いを設定できない。なぜなら「何がわからないか」すら言語化できていないから。だから、生成AIがあまねくすべての人々に本当の意味で普及するには、適切な問いを設定できない人向けに、何ターンものやり取りを経て「何がわからないか」を気づかせてやるコミュニケーションが必要です。しかも、そのコミュニケーションは楽しくなければいけません。AI側が塩対応で「質問の意味がわかりません」などと返したり、無言で的外れな答えが返ってくるだけだと、早々に愛想を尽かされます。
ドラえもんはそうではないですよね。のび太は言語化能力に乏しいので、困りごとをふわっとした雑な語彙でドラえもんに伝える。ドラえもんはそれを汲んで、「それってこういうことじゃないの?」みたいな感じで返す。それが仮に的外れだったとしても、「いや、そういうことじゃないんだ、ドラえもん」というラリーが始まる。そのラリーによって困りごとが言語化されるし、ふたりの相互理解が深まる。そういうコミュニケーションを柔らかいインターフェースを伴って実行できるんだったら、ゴリゴリのビジネスマンだけでなく、老若男女がAIを使いはじめると思います。