ライター/編集者・稲田豊史氏に聞く
第2回 成長しないのび太と、テクノロジーがくれる救いのかたち

大人になっても相変わらずダメなのび太。ひとつだけ変わったのは「視力」だが、それは何を意味しているのだろう? ドラえもんに助けられても根本は変わらないのび太の姿から、現代のテクノロジーやAI、そして“弱さ”との付き合い方が見えてくる。

稲田豊史(いなだ とよし)
1974年生まれ。愛知県出身、横浜国立大学卒業。映画配給会社および出版社で、ゲーム業界誌の編集記者、DVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て独立。主な分野は映画をはじめとしたポップカルチャー、エンタテイメントビジネス、メディア論、離婚、藤子・F・不二雄、ポテトチップスなど。
著書に、新書大賞2023第2位の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)ほか、『このドキュメンタリーはフィクションです』(光文社)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)などがある。
目次
のび太の視力の回復はなにを象徴しているのか
桐原永叔(以下、──)成長しないのび太というのは、どんなかたちで描かれているんですか。
稲田 『ドラえもん』には、のび太がタイムマシンで未来に行き、大人になったのび太に会いに行く話があります。大人になったのび太はしずかちゃんと結婚していて子供もいるんですが、けっこう「残念な大人」なんですよ。ドラえもんにアシストされたはずなのに、基本的にはダメなまま。息子からは尊敬されていないし、会社でもうだつがあがらなそう。ただ、ひとつだけ変わったことがあって、それが視力。本人も「なおったのは近眼だけ」と言うんです。
面白いですね。視力の回復はなにを象徴しているんでしょうか。
稲田 先ほど言った通り、のび太の眼鏡が「ハンディキャップを背負った社会的弱者であることの象徴」だとすると、その状況からは脱したということですね。F先生がどこまで考えていたのかわかりませんが、マイナスをゼロにしたとは言える。
すごい話ですね。ドラえもんの話にはいっぱいアナロジーがあるなと思います。ドラえもんがのび太をダメにしているというのはよくある批判ですが、同じようなかたちでインターネットとかSNSを若いうちにやらせちゃダメだみたいなみたいな議論のアナロジーというか、新しく出てきたテクノロジーや仕組みを批判する感覚とよく似ているなと感じました。それこそ、学生にChatGPT使わせたらダメだとか。成長が止まってしまう、とか。
稲田 「うめ」1という2人組の夫婦漫画家ユニットがいて、彼らは漫画制作に生成AIを積極的に導入しているんですが、プロット担当である夫の小沢高広さんにインタビューした際、彼が話していたことにすごく納得したんです。小沢さんは子供のころ作文が苦手だったんですが、ワープロが出てきたことで、「ある部分を切り取って別の場所に挿入する」「一部だけ削除して書き換える」ことができるようになり、それで文章が書けるようになったそうなんです。つまり、潜在的な文才はあるのに、その前段階である「作文用紙に鉛筆で書く」ところでつまずいていた人が、テクノロジーによって文才を発揮できるようになった。
生成AIのテクノロジーも、基本的にはワープロの延長上にあると思います。文章を書くのは苦手だけど、おもしろい着眼点を見いだせる人が生成AIを使って体系的に記述する。絵は描けないけど面白いストーリーと演出が頭の中にある人が、生成AIを使って漫画を描く。音楽的素養はあるけど楽器も弾けないし楽譜も読めない人が、生成AIを使って作曲する。階段にたとえるなら、今までは1段目から最上段までの能力を全部持っていなければいちばん上まで登れなかったのが、元々の才能さえあれば、途中の段は機械に運んでもらって最上段に到達できるようになったということです。
こういう状況を「クリエイティブの堕落」という人もいるかもしれませんが、それってワープロが登場したとき「漢字が書けなくなってバカになる」「原稿用紙に万年筆で書かなければ魂がこもらない」と言われていたのと同じです。たしかに現代人は漢字が書けなくなりましたし、情動にまかせて肉筆で文章をしたためる機会も減りました。ただ、文章を生み出す敷居を下げたことでプレーヤーが一気に増え、原稿用紙時代には存在しなかった新種のクリエイティブが生まれたのも確かでしょう。音楽でいえばボカロなんてその典型です。
世界全体を改変する物語
のび太は取り柄がないように描かれていますけれど、あやとりは上手いんですよね。
稲田 のび太の得意技は射撃と昼寝とあやとりですが、これらは現代社会においては何の役にも立ちません。ところが、ドラえもんがタイムマシンでのび太を西部劇の時代に連れていくと、射撃が上手いので大活躍できる。昼寝とあやとりは――かなり強引ですが――もしもボックスという道具で「昼寝やあやとりができる人がいちばん偉い世界」に世界を変更したところ、のび太のステータスが上がりました。つまり能力を発揮する場所がなかった子が、ドラえもんの道具によって発揮できる場所が出現し、それによって輝くことができたわけです。その意味では、生成AIが、今まで発揮する場所がなかったマニアックすぎる能力の持ち主に「発揮できる環境」を用意してくれる可能性もあるのではないでしょうか。
時代の価値観の変化も象徴していますよね。たしかに射撃が上手なら偉くなれる時代もあったわけですから。
稲田 F作品には、そうした「世界全体を価値観ごと改変する物語」が多いんですよ。トランプゲームの大富豪における「革命」みたいな。
わかります。全部ひっくり返してしまうんですね。
稲田 そう、全部ひっくり返す。フレームや価値観を全部変えることによって、弱者がそのスペックのままで強くなる。地球では非力なのび太が、重力の小さい星に行ってスーパーマンのように大活躍する話もありました。
音楽ジャンルにも今みたいな話があるのを思い出しました。それこそパンクとかって、語義としてはものすごく悪い意味ですよね。粗悪だとか、ごろつきだとか。社会から疎外されてきた人側に価値が出てきて、それまでは罵倒する言葉だったものがひっくり返っているわけです。それと似たことなんだろうなと感じました。人々が変だと思うとき、自分が変なのか、人々が変なのかという。視点の違いで間違ってるほうがかわる。
漫画家さんが生成AIを活用してという話をされましたが、テクノロジーはマイノリティに限らず多くの人に新しい選択肢を提供するわけじゃないですか。それで現状の選択肢のなかで満足している人は新しい選択肢に興味もないし選ばないけど、現状の限られた選択肢のなかで苦しんでいる人にとっては、新しい選択肢や違う視点が増えたら息が吸える場所がそれだけ増えると、そういう意味でテクノロジーには意味がありますよね。世の中のAI活用についての話題は、生産性と効率性の向上に偏っていますが、ドラえもんの物語は、それ以外のAIの可能性を示唆していると感じます。