閉域のウィルス──組織のダブルバインドと知の相転移
2:閉域内に浸透するウィルス
目次
収束の回路としての企業組織
AIというウィルスが拡散を阻まれる閉域のひとつに企業組織がある。
20世紀型の組織は情報を部門ごとに囲い込む構造になりやすい。ビジネスの文脈では、こうした縦割りの閉鎖性を指して「サイロ化」と呼び、組織の硬直や非効率の象徴として批判的に用いられることが多い。営業、開発、人事、経営企画——それぞれの部門は明確に仕切られ、情報は決められた経路(レポートライン)だけを通って上位へと収束し意思決定という一点に集約されて初めて機能する。稟議、承認、報告。それらは収束の儀礼でさえある。
こうしたサイロの構造は経済が高度に成長する20世紀の競争環境においては合理的だった。予測可能な市場、安定したサプライチェーン、長期雇用による暗黙知の蓄積——これらはいずれも前回とりあげたベイトソンのいう「予測可能な出来事の連続」であり、収束・集約によって合理的に管理できた。情報を制御し、秩序を維持し、逸脱を抑制することがそのまま組織の強さに直結していた時代なのだ。
しかしいま、その頑なに閉じられた収束の器のなかに、本質的に発散を止めないテクノロジーが放り込まれてしまった。それがDX(デジタルトランスフォーメーション)の現場で起きていることの象徴的な側面だ。
経済産業省がDXレポートで「2025年の崖」を警告したのは2018年のことだ。それから7年あまりが経過した現在も、日本企業のDX推進が掛け声倒れに終わるケースは後を絶たない。その理由としてよく挙げられるのは、レガシーシステムの問題、人材不足、経営層のリテラシーの低さといった技術的・人的な課題だ。しかしわたしには、それらは本質的な問いを覆い隠すための言い訳のように聞こえる。
問題の核心は構造的な矛盾にあると考えているからだ。
ベイトソンの二重拘束(ダブルバインド)
構造的な矛盾。それはグレゴリー・ベイトソンがかつて「ダブルバインド」と呼んだ状況である。「愛している」と言いながら抱擁を拒む母親。「自由に意見を言え」と強制する権力。言語的なメッセージと非言語的なメッセージが矛盾し、どちらに従っても罰せられる。逃げることも矛盾を指摘することも許されない。ベイトソンはこの構造が個人に統合失調症をもたらしうると論じた。
日本企業のDXの現場で起きていることは、これに酷似しているように思う。
経営層のメッセージはこうだ。
「既存のビジネスの価値を守りながら、デジタルでその価値を革新せよ」
それは、この連載のテーマに従って言い換えれば「収束の秩序を維持しながら、発散せよ」という命令でしかない。サイロを崩すな、しかし横断せよ。稟議を通せ、しかし迅速に動け。失敗するな、しかしチャレンジせよ。矛盾した2つの命令が、同時に同等の重みで現場に降り注ぐ。
現場はどうするか。逃げ場がないとき、組織もまた統合失調的な症状を呈する。DX推進と旗を振りながら、実態はレガシーの延命に近い事例が目につく。
基幹システムをクラウドに移行しながらセキュリティ要件を盾にオンプレミスと変わらない閉じた運用を続ける。ERPを導入したが自社の業務慣行に合わせた大規模カスタマイズの末に既存の稟議フローをデジタルに写しとっただけになる。DX推進部門を新設したものの既存部門との権限の壁に阻まれ報告書だけが積みあがっていく……。
組織のなかにAIを放ちながら、その増殖をウィルスのごとく徹底的に封じ込めようとする。ウィルスは宿主の内部に入り込んだまま、免疫系に包囲され、複製も変異もできずに不活性化していく。宿主は感染したことさえ気づかないまま、抗体だけをせっせと生産し続ける。
これは個々の経営者や担当者の無能や怠慢ではない。構造そのものが生み出す機能不全だ。収束を原理とする器としての企業組織が、発散を原理とするAIというテクノロジーを内包しようとすれば、このような矛盾は不可避である。閉域の外からウィルスを管理しようとするのではなく、その内側にウィルスを放って「管理できているふり」をすることこそが、日本企業のDXが陥っている、ベイトソン的な二重拘束の正体ではなかろうか。
もっとも、ここで1つの逆説を忘れてはならない。効率化や標準化が苦手で、職人的なこだわりや独自の業務慣行を手放さなかった日本的な組織が、変わり目の時代においてかえって意味をもちはじめる可能性だ。「ガラパゴス」と揶揄され、不合理とされた特異な進化がまさにその特異性ゆえにイノベーションの起点となりはじめている。
収束の器が完璧であるほど発散のウィルスが入り込む隙間は失われる。不完全な器にこそ変異の余地が宿るのかもしれない。