ライター/編集者・稲田豊史氏に聞く
第3回 不完全なパートナーとしてのAI:ドラえもん型エージェントの可能性

西洋的な合理主義やユダヤ=キリスト教的価値観に基づくAI論が主流となるなか、日本におけるAI観は、技術を単なる道具ではなく、ともに過ごすパートナーとして捉える独自の文化的背景を持っている。ドラえもんの「スタンドアローン」で「不完全」な存在が、どのように人々の信頼を得ているのかを考察する。

稲田豊史(いなだ とよし)
1974年生まれ。愛知県出身、横浜国立大学卒業。映画配給会社および出版社で、ゲーム業界誌の編集記者、DVD業界誌の編集長、書籍編集者を経て独立。主な分野は映画をはじめとしたポップカルチャー、エンタテイメントビジネス、メディア論、離婚、藤子・F・不二雄、ポテトチップスなど。
著書に、新書大賞2023第2位の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)ほか、『このドキュメンタリーはフィクションです』(光文社)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(朝日新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)などがある。
目次
ネット接続してないドラえもん
桐原永叔(以下、──)今のテックエリートやレイ・カーツワイルとかハラリみたいな人たちは、完全にユダヤ=キリスト教のロジックでしかAIを語らないので、それが正しいかのようにわれわれは受け入れるけど、そんなロジックが絶対であるはずはないというのが、私が「IT批評」で書いてきたことです。近代になって日本は、資本主義だけではなくてキリスト教的な思考も受け入れてきているわけで、われわれはそっちが正しいように思ってしまう。そういう意味でいうと、神様とか自然観とか宗教観を、ドラえもんを通して語れることがたくさんあるなと感じます。
稲田 日本人がドラえもんを大好きなのは、スペックが高いからじゃない。たしかに便利な道具を未来から持ってくるというチート行為をやっているけれども、そこを好いているわけではありません。ひとつ指摘しておきたいのが、ドラえもんはネット接続していないということです。連載開始当初(1969年)や漫画の全盛期(1980年代)の技術水準的に、ネット接続は当然あり得ない設定ではあるけど、これはすごく大事なこと。要するに、のび太とドラえもんの関係性のなかに〈他のもの〉は入ってこないんです。
なるほど、ドラえもんというロボットはスタンドアローンなんですね。
稲田 スタンドアローンだから安心なんですよ。自分のバディが自分以外の〈世界〉と勝手に交信したり、世界中の最新情報や最新機能がアップデートされ続けていたりする状態は不安でしかない。自分の知らないところでバディの内面が「違うものに変わってしまう」という不安ですね。昨日と今日で、あるいは今日と明日で、パートナーのパーソナリティや能力が劇的に変わることなどないという確信があってはじめて、パートナーを信用できる。でなければ、のび太はドラえもんに信用を預けられない。
ただ、外部接続できるコンピュータっぽい道具は出てきますよね。
稲田 はい。宇宙完全大百科端末器という道具があります。パソコンの端末みたいな見た目で、マイクの音声入力で質問すると、宇宙空間に星1個くらいの大きさで浮遊しているディスクというかストレージに電波でアクセスし、そこに記録されている膨大な記録データから答えをくれる。超絶進化したGoogleみたいなツールですね。なかなか面白い発想ですけど、それにしたって道具を介した一方通行のデータアクセスです。ドラえもんが直に繋がってるわけじゃない。広大なネット空間に繋がっていない安心感、自分の見えないところで勝手に繋がっていたら嫌だという感情も含めて、日本人のドラえもん観とかロボット観があるんじゃないですか。親友には「自分が知らない別の人」とあまり仲良くしてほしくない的な(笑)。
道具として完璧ではないドラえもんをエージェントと呼べるのか
これは慶應大学の栗原聡先生がおっしゃっていることですけど、AIを「ドラえもん型AI」、「道具型AI」って言い分けるんですよ。道具としてのAIの対比としてドラえもんのようなAIという言い方をしています。
稲田 ドラえもん型AIとはどんなものですか。
──「AIエージェント」という概念がいま盛んに言われていて、意思とか意図を持つ自律的なAIという意味でのドラえもん型です。
稲田 相談相手をエージェントと言っていいなら、ドラえもんはそうですよね。でも「エージェント」という概念は日本人には馴染まない気がします。
おっしゃる通りですね。パートナーならわかりますけど。
稲田 「エージェント」は契約社会である西洋のビジネスの言葉であって。「代理人」「斡旋人」「仲介者」と日本語に直訳したところで、多くの日本人には正確には伝わらないような。
そうか。たしかにエージェントには使役の意味が込められていそうですね。
稲田 雇い主が存在する前提の職業じゃないですか。雇い主の利益が最大化されるような動きをするために金で雇われる人。明確に主従関係がある。でも日本人の多くがピンとこないと思います。アメリカなら作家にもアスリートにもエージェントがついているけど、日本にはあまりそういう制度がないので。概念として浸透していないんですよ。だからAIエージェントと言われても、よくわからない。もしそれが「親切な相談相手のこと」「要はドラえもんのこと」と説明されるなら、ピンとくるでしょうが。
ただ、ドラえもんは完璧なロボットではありません。むしろ未来の世界では「できない側」のロボットでしたから、ときにのび太と一緒に失敗もする。にもかかわらず「エージェント」と呼んでいいのかどうか。
実は、それを象徴するエピソードがあります。ドラえもんがのび太と大喧嘩して未来に帰り、代わりに妹のドラミが来てのび太の世話をするんです。ドラミはドラえもんと違って優秀なので、間違った道具は出さない。結果、のび太は学校でもプライベートでも充実する。その状況を見たドラえもんが、のび太のためを思うならドラミと交代したほうがいいと言い出すんですが、のび太がそんなの絶対嫌だと引き止め、大泣きして仲直りするんです。
先ほど言ったように、のび太はもちろん、日本人のほとんどはドラえもんに高スペックなんか求めてない。ちょっと便利なものを出してくれて楽しいけど、そこが第一義じゃない。じゃあ日本人は非生物としてのAIに何を求めているんだろう?という話になります。
面白いですね。そこは考える余地が大いにありますね。エージェントとして自己完結した自律した存在を求めているわけでもないし、使役する道具としての機能を求めているわけでもないんだとすれば、ドラえもんに求めているものは何かということですね。そこがわかれば、もしかしたらテクノロジーに対する新しいニーズがわかるかもしれません。