答えなき時代の思考術─ネガティブ・ケイパビリティ、パラコンシステント、エフェクチュエーション
第2回 明快さの罠から逃れるために
「動的平衡」ゆえのわからなさ
VUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)の時代はそれだけ混迷を極めているのだろうか?
この世界の、この時代のわからなさに、わたしたちは新しい価値観を求めはじめている。あたかも、わからないことに諦めをつけようとするかのように。
立ち止まって考えてみれば、世界というのはそもそもわかりえないものであり、不可解で不確実なものでなかったか。自然というのも人間にとって長いあいだ得体の知れない複雑怪奇なものだったはずだ。
たとえ、人間の理解が届いたとして、そこで得たあらゆる正解(真実)も一時的なものに過ぎない。永遠、普遍の真実など宗教にしか許されない。
人間は歴史の歩みのなかで、なんとか世界に対し説明をつけてきた。とくに近代以降は科学の力で世界と自然を理解し説明してきた。
それでもやはり全てを理解することは未だ叶わない。世界も自然も、最初から複雑で多様であるだけでなく、つねに生成変化を繰り返しわたしたちの理解をするりと抜け出ていってしまう。
生物学者の福岡伸一は、生命は細胞単位で分解と合成という真逆の動きを繰り返し、細胞の集合である身体を一定の状態に保っているという「動的平衡」について以前から述べている。
タンパク質や細胞は体内に吸収されると同時に排出される。この繰り返しによって、タンパク質や細胞は常に入れ替わり、ひとつとして同じものは維持されない。
細胞の集合が身体とすれば、その身体は同じようにみえるだけで一瞬ごとに変わっている。
わたしたちは生命も自然も世界も理解しうるのか。福岡は『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(小学館新書)のなかで次のようにいう。
自然界の現象というのは、実はこのように、線形的ではないインプットとアウトプットの関係にある。にもかかわらず、私たち人間は自然界の因果関係を単純化して理解しようとしてしまう。入力が増えれば、それに応じて出力も増える。その増え方は常に一定であるというふうに。これは人間が自然を理解するとき、心を曇らせる原因にもなる。
やや強引かもしれないが、福岡が自然現象について述べるこの内容は、そのまま先にみた社会正義のわかりやすさに対する不安に通じている。そして、自然界への線型的な理解ではその多様性を掴み損ねるように、社会正義のわかりやすさは多様性を疎外し分断を生み出す圧力となる。
わたしたちは自然現象に対してもわからなさに耐えきれない。その多様性も複雑さもそのまま受け入れようとしない。いや、だからこそわたしたちは発展してきたし、進化してきたのだから、それはそれでよい。
とはいえ、AIの時代に至って、エンジニアリングが求めるがままに知能や生命、あるいは意識や感情さえもわかりえるもの、ゆえに構成(製作)できるものとして探究するわたしたちは、もしかすると以前より深く自然や生命から分断されようとしているのかもしれない。
福岡 伸一 (著)
小学館
ISBN:978-4098253012
