答えなき時代の思考術─ネガティブ・ケイパビリティ、パラコンシステント、エフェクチュエーション
第2回 明快さの罠から逃れるために

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

「答えのなさ」にこそ、人は深く思考する余地を持てるのではないか。明快な正義や主張があふれる時代にあって、詩人キーツが説いた「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、混迷を生きるための重要な態度となるだろう。

目次

ネガティヴ・ケイパビリティ──答えのなさに耐える

以前の記事(♯45 MUCA展、「ワーニャ」、「悪は存在しない」~不自由なのか、孤独なのか?)のなかで、格差、ジェンダー、社会的な権威へのカウンターというメッセージを強く発するアーバンアートに対し抱いた違和感を次のように論じておいた。

現代アートがあまりにも明確に社会的メッセージを提示し、「答え」を与えてしまうことで、むしろ複雑で見通しのきかない現代において本来、芸術が担うべき、問いの解放や答えの余白がすべて失われてしまうのではないか。自信に満ちた態度やメッセージはその分だけ借り物のようだ。わたしは芸術に対する実感や共振から疎外されてかえって孤独や不安に苛まれてしまう。なおも芸術で何かを問いつづけたいと思えば、矛盾のなかに浸かって解答を避けるしかないはずだ。

ライドンの言葉を知った今なら、わたしはもう一段、踏み込んで思考できる。わたしが昨年、六本木ヒルズでみたバンクシーをはじめとするアーバンアートに感じたのは“執着と分断の芽”なのだ。

詩人ジョン・キーツが残した「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)」という言葉をよく聞くようになった。「消極的能力」などと訳されるその意味は、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力といったところだ。

19世紀イギリスで活躍した夭折の天才キーツは、シェイクスピアをはじめとする詩人たちが短絡的に理由を求めず、不確かさや不可解、疑惑のなかに人間が留まるときに発揮される能力だと論じた。

ネガティブ・ケイパビリティという概念は、後世に大きく影響を残し、アメリカ合衆国の哲学者ジョン・デューイはネガティブ・ケイパビリティについて述べられたキーツの手紙をどんな論文より示唆に富んでいると評したそうだし、現代思想に多大な影響を与えたドイツの哲学者マルティン・ハイデッカーの「ゲラッセンハイト(放下:Gelassenheit)」という概念──「我々にとって不確かさや不可解さたり得るものの中に物事がそのままあるに委せることを可能にする精神の自由さ」──に、このネガティブ・ケイパビリティに通じるものがあるとする論者もある。

日本で一気に広まったのは、小説家で精神科医の帚木蓬生が2017年に『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)以降のことかもしれない。それ以前からキーツの、この概念に興味をもちながら、詳細を論じる本に巡り会えないでいたわたしは新宿の紀伊國屋2階奥の選書コーナーでこのタイトルを見つけた感動をいまも覚えている。現在では「ネガティブ・ケイパビリティ」と冠する書籍は数多くあり、世間での注目の高さが窺える。それだけ時代が解決の糸口をみつけようもないほどに複雑怪奇になってしまっているのだとも言えるだろう。

帚木の本は自己啓発系の書籍のようにとられているが、どちらかといえば芸術論として読んだように記憶している。同時に、精神科医として医療現場におけるネガティブ・ケイパビリティの意味もとりあげられていた。

これを読んだとき、現在のようにこの言葉をみなが口にするようになるとは露ほども思えなかった。というのは、そのときにはまだ答えを出すことの優位が強く、答えがでないことに耐える力のことなど価値があるという人に会うことがなかったからだ。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力

帚木 蓬生 著

朝日選書

ISBN:978-4022630582

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