物語る動物としてのわたしたち
物語る動物 ホモ・ナラトゥス
言語が先か物語が先か
ハイパーテキストやGUI、マウスなど、いまも不可欠なインターフェイスの数々は、アメリカの発明家ダグラス・エンゲルバートにより開発された。これらに着想を与えたのは、ともにアメリカの言語学者であるベンジャミン・ウォーフとエドワード・サピアの提示した言語的相対論(通称:サピア=ウォーフ仮説)というものだ。ウォーフとサピアはホピ語やナバホ語、ショーニー語などのネイティブ・アメリカンの言語を調べるうちに、これらの言語の切り取りかたがヨーロッパ諸語と大きく異なることを発見し、言語が世界観の形成に関与するという学説を提示した。エンゲルバートは言語をテクノロジーに置き換え、テクノロジーと人間の能力とが共進化するという論文(Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework)を1962年に発表した。弊誌インタビューにも登場した西垣通氏による邦訳「人間の知能を補強増大させるための概念フレームワーク」は『組織とグループウェア―ポスト・リストラクチャリングの知識創造』(エヌティティ出版)で読むことができる。
未知の言語と未知の世界観とのカップリングは『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』(屋代通子訳/みすず書房)にも顕著にみることができる。現在はベントリー大学の認知科学評議員教授を務める言語人類学者ダニエル・L・エヴィレットがアマゾンに住む少数民族であるピダハンと20年以上を過ごして見聞した、かれら独自の言語と世界観が記されている。エヴィレットはムーディ聖書学院を卒業後、キリスト教福音宣教会の流れを汲む国際SILの宣教師として現地に赴く。かれらの言語を知ることは、言語学のフィールドワークではなく、ピダハンの人々へ布教する目的のためだった。
現地でエヴィレットが見聞したものは、未知の言語体系だった。まず音素は母音3つ(i・a・o)と子音8つ(p・t・k・s・h・b・g・x)の11個で、女性は“s”の子音を使わない。比較のため挙げておくと、英語が20母音24子音の44音素、日本語は5母音16子音に3特殊音素を加えた24音素である。音素が少ないぶんピダハン語のイントネーションは豊富で、これを組み合わせた声のピッチやアクセント、文脈により文を構成する。また動詞は最大16の接尾辞をとることができる。英語の5つの活用形(現在形・過去形・過去分詞形・3人称単数現在形・現在進行系)、複雑とされるロマンス諸語でも40〜50の活用形にたいし、ピダハンの活用形は216の65,536種類の活用形をとりうる。ピダハン語には数詞もなく、英語のsomeやallにあたる数量詞もない。数をかぞえる習慣もなく、計算をすることもない。また色を表す単語もなく、それらを表すには「血(赤)」「透ける(白)」「いまのところ未熟(緑)」という表現のしかたをする。またかれらは直接体験しか語らない。エヴィレットが電話で話していると、通話の相手が「現れた」と表現し、通話が終了するとその相手は「いなくなった」と表現する。また現実に体験することと寝ている間にみる夢は、おなじ体験として語られる。自分の話していることの確度については、先に述べた接尾辞により伝聞・観察・推論が区別される。かれらは認知の域内に「ある/ない」ことだけを問題にするため、右と左の概念もなく、常に合議的な集団生活を行うため、リーダーという概念も持たない。共同体の成員はみな平等に扱われるため、いわゆる“赤ちゃん言葉”も存在しない。ピダハン語を習得したエヴィレットが本来の目的である神の福音について信仰告白を行っても、エヴィレット当人が会ったこともないものに興味を持とうとしない。アクセントの問題であると考えたエヴィレットが、福音をピダハンのひとりに発音してもらったテープを用いても、結果は同じだった。すでにピダハンの精神生活の豊かさを体感していたエヴィレットは、30年以上帰依していたキリスト教への信仰を捨てることとなる。エヴィレットはその後、言語と文化がカップリングをなしており、それぞれが独自の認知体系を形づくっているという説を立てる。この説は当時の言語学界で支配的だったチョムスキーの言語生得説へのカウンターとして大きな議論をまきおこした。少なくとも、大量の言語コーパスを教師モデルとして文章その他を生成するLLM(Large Language Models:大規模言語モデル)においては、こうした少数民族に形成される物語や世界観を出力することは、ほぼ不可能だろう。
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