物語る動物としてのわたしたち
物語る動物ホモ・ナラトゥス

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

人間は物語を形成する生きものであり、物語は人の心理に働きかける。その物語には普遍性はあるのか、そこに言語はどうかかわっているのか。AIは物語を形成できるのかという疑問を軸に、言語と物語について考えてみた。

目次

ドミナント・ストーリーとオルタナティブ・ストーリー

AIという言葉は、計算機科学者ジョン・マッカーシーが1956年にダートマス大学で主催した2カ月にわたる会議(通称:ダートマス会議)の議定書においてはじめて使われた。この会議では人間の知的能力をコンピュータ・サイエンスによって再現することを多方面から議論するものだった。一方、アメリカの老舗百貨店Macy’sが出資する財団が1946年から1953年にかけて10回にわたって開催した学際会議(通称:メイシー会議)では、ノーバート・ウィーナーの主導で数学や物理学、生物学、心理学、神経科学、文化人類学などを情報工学の観点から学際的に議論するもので、その成果はノーバート・ウィーナーの提唱した“サイバネティクス”として結実する。当時の記録『サイバネティクス学者たち アメリカ戦後科学の出発』(スティーブ・J・ハイムズ著、忠平美幸訳/朝日新聞出版)を読むと、その談論風発ぶりを伺うことができる。とくにウィーナーとフォン・ノイマンの激論はすさまじい。それとともに出色なのが文化人類学者として出席しているグレゴリー・ベイトソンの“斜め上”の発言だ。ベイトソンの著作はながらく入手困難で、筆者自身も思索社から出版された『精神の生態学』(佐藤良明訳)を手放してしまったのを悔いていたが、幸いなことに岩波文庫より2022年に『精神と自然』(佐藤良明訳)が、翌2023年には『精神の生態学へ』(佐藤良明訳)が刊行されている。また2019年には認識論の視点から著されたモリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ』(柴田元幸訳/文藝春秋)が再刊されている。

グレゴリー・ベイトソンは人類学者として研究者のキャリアをスタートした。ニューギニアのイアトムル族のフィールドワークを行い、その成果を“Naven: A Survey of the Problems suggested by a Composite Picture of the Culture of a New Guinea Tribe drawn from Three Points of View(ナヴェン:3つの観点からみたニューギニアの一部族文化の複合的理解が示唆する問題点の調査)”(未邦訳)として著した。タイトルにある“ナヴェン”というのは、子どもの成長にあたって親族内で催される祝祭儀式である。この祝祭では、親族のうち男性が女性の衣装を着て子どもの母親を演じ、子どもは自分の父親を演じてみせる。また周囲の女性は男性の衣装を着て子どもの父親を演じる。男性は女性の依存的な態度を、女性は男性の粗野な態度をカリカチュアして滑稽に演じてみせるのだ。ベイトソンはこのエピソードを、男女間や大人と子どもとの分裂を回避する機能として読み解いている。

カウンセリングにおいても、ナヴェンのようなアプローチを用いられることがある。たとえば思春期の子どもに手を焼いている両親の相互理解をめざすセッションにおいて、それぞれの立場を入れ替えて演じさせるパターンでは、以下のようなやりとりが交わされる。

 母親(に扮した子ども)「ちょっと、宿題があったんじゃないの?」

 子ども(に扮した父親)「(スマートフォンを手に)うっぜーな、しようと思っていたところだよ」

 父親(に扮した母親)「勉強はできるうちにしておかないとだめだぞ、おれが子どものころなんかは……」

文面にすると失笑するような内容ではあるが、それぞれ自分がほかの家族の目にどう映っているのかを知り、相互理解をはかることがこのセッションの目的である。人は主観的に閉鎖した1人称のドミナント・ストーリーの主役としてしか生きられない。ゆえに客観的な自分については、他者の目を通じたオルタナティブ・ストーリーの脇役として知るほかない。昨今、自分を客観的に捉えるという意味で“メタ認知”という言葉が多用されているが、個人にできるのは、せいぜい自分がどのように世界を把握しているのかをたどる“認知の認知”という本来の意味でのメタ認知までだ。ほんとうに自分のありようを客観的にみることができたら、それは人どころか生物としての条件も失うことになる。近代言語学の祖とされるソシュールの記号論においては、言語は世界を分節化して恣意的に記号に結びつけた“約束ごと”にすぎないとされる。ベイトソンは多岐にわたる研究領域を渉猟した研究者だが、精神分析の分野においては統合失調症を2つの矛盾したメッセージにとらわれて心理的に身動きのとれないダブルバインドの状態ととらえ、家族療法を提唱した人でもあった。

サイバネティクス学者たち: アメリカ戦後科学の出発
スティーヴ・J. ハイムズ 著 忠平美幸訳
朝日新聞出版
ISBN978-4022575654


精神と自然 生きた世界の認識論
グレゴリー・ベイトソン 著 , 佐藤良明 訳
岩波文庫
ISBN9784003860182


精神の生態学へ 上下
グレゴリー・ベイトソン 著 , 佐藤良明 訳
岩波文庫
ISBN9784003860298


デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化
モリス・バーマン 著, 柴田 元幸 訳
文藝春秋
ISBN978-4163910215


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