東北大学総長特命教授 野家啓一氏に聞く
(3)AIが加速する時代にこそ「科学を俯瞰する哲学的視点」を
誤解や間違いにこそ希望がある
桐原 カタールワールドカップでは、VAR判定の結果が大きく試合に影響しました。これこそ数学の言葉で人間や自然を書き換えようとしている始まりのように感じました。人間よりもAIを信じる、知覚より数学の言葉を信じるような時代に差し掛かっているのかもしれないと考えさせられました。
野家 そうですね。人間の知覚能力には一定の限界があります。そこで私たちは知覚能力の拡張として望遠鏡を使ったり顕微鏡を使ったり、また老眼鏡を掛けたり補聴器を使ったりということをしているわけです。サッカーやプロ野球で用いられるAIやビデオ判定も、その延長線上にあるものとして捉えられるかどうかということですね。そこで今おっしゃったように、人間の知覚は信用ならない、AIのほうが信頼できるし正しい知覚を提供してくれるという価値観の逆転が起こりかねません。そうならないためには、人間の主体性を確保しておく必要があるだろうと思います。そうでなければ、至るところに防犯カメラやセンサーが設置されて人間の行動が管理されることになりかねません。あくまで機械を使うのは人間だという主体性をどう確保するかという歯止めとなる一点を、人間の尊厳として確保しておく必要があるだろうと思っています。
桐原 「デジタルネイティブ」といわれる若い人やこれからの子どもたちが、テクノロジーに依拠しきった価値観を持つことになりかねません。
野家 今は、小学生でもIT技術については私などよりはるかに進んでいると思います。一方で、そうしたIT技術が社会に実装されていく過程で、いじめなど人間関係の問題が生じてくるわけですね。ですから、技術教育とともに倫理的・法的・社会的なELSIに関わる問題を車の両輪として身につける必要があります。技術の発展というのは止めることができませんから、一方でELSIの問題についても常に考え続ける。そういう態度を小学生のうちから養っておくことが必要です。その際に、小学生よりもIT技術で劣っているような教員が題目をならべても説得力がありませんから、車の両輪をきちんと身につけた優秀な教員を養成していかなければなりません。
桐原 私たちはどのように科学技術と向き合えばよいのでしょう。
野家 解釈や意味づけ、価値判断が人の仕事として残るかどうかという問題があります。私としては、ぜひ残ってほしいとは思うのですが、最近の生成型AIは俳句をつくったり小説を書いたりして人間の感性、感情の領域にまで入り込んできています。一方で、将棋の藤井聡太棋聖はAIを使って将棋を学んだり研究したりしていますが、AIには思いもよらないような一手を指すこともあるわけです。そこが人間のクリエイティビティだといえます。AIは膨大な過去のデータを処理して一定の前提条件下で唯一の正しい答えを見つけるのは人間より得意だと思います。しかし、人の話を誤解したり間違いをおかしたりということは、コンピューターには難しいのではないでしょうか。そう考えると、誤解したり間違いをおかしたりすることのなかに人間らしさがあって、これはAIには真似できないことではないかと言うこともできます。逆説的になりますが、誤解や間違いや失敗のなかからこそ、新しいものの見方や考え方、これまでのパラダイムを変えるような発想が出てくるのではないかと、私は考えています。むしろ、そういう意味での人間らしさのほうに今後は期待していきたいと思っています。<了>