アーティスト 草野絵美氏に聞く
第1回 ミレニアル世代の作家が描く1980年代の風景
渋谷に生まれたアーティスト草野絵美氏は、高校時代にアメリカユタ州への留学経験を経たのちに東京の多様性を新たな視点で捉えなおし、2000年代後半の原宿でストリートスナップを撮影して原宿の多彩なファッションを世界に発信した。AIを駆使した草野氏に凝縮されたレトロフューチャリスティックな表現には、都市のリミックス感覚と1980年代への憧憬が反映されている。
草野 絵美(くさの えみ)
1990年、東京都生まれ。AIなどの新技術を取り入れ、ノスタルジア、ポップカルチャー、集合的記憶を主題に作品を制作。作品は、M+(香港)、サーチ・ギャラリー(ロンドン)、グラン・パレ・イマーシフ(パリ)、フランシスコ・カロリヌム美術館(リンツ)、金沢21世紀美術館など、世界20カ国以上の美術館やギャラリーで展示されているほか、Frieze、Untitled Art Miami、Kiafといった国際的なアートフェアにも参加している。2023年にはクリスティーズとグッチのコラボレーションオークションに参加し、2024年にはクリスティーズとUNHCRによるチャリティーオークションにも出品。2025年、世界経済フォーラムにより「ヤング・グローバル・リーダーズ」に選出された。高校時代から原宿でストリートファッションの写真を撮影し、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(ロンドン)などで作品を発表。写真やファッションの経験を通じて、マスメディアが個人や社会のアイデンティティに与える影響を探求している。また、1980年代のJ-POPを現代的なSFの視点で再解釈する音楽ユニット「Satellite Young」の主宰兼リードシンガーとしても活動し、SXSWなどの国際的なイベントに出演。AIやデジタル技術を創作プロセスに取り入れ、これらを協働するパートナーとして位置づけ、過去と現在の対話を通じて現代社会を再考する作品を制作している。
目次
再発見した東京のファッションをフォトグラファーとして世界に発信
都築 正明(以下、――)草野さんは、渋谷区でお生まれになったそうですね。
草野 絵美氏(以下、草野)渋谷区で生まれ、幼稚園の年長からは練馬区に引っ越して、そこで育ちました。
高校生のころからストリートスナップのフォトグラファーをされていたのですよね。
草野 高校は新宿にある私立の高校に通っていました。2007年まで1年間アメリカに留学していて、ストリートスナップは帰国した直後からはじめました。大学に入学してからもしばらくはしていましたので、2008年から2010年ごろまでフォトグラファーとして活動していました。
原宿のキャットストリートを中心に活動されていたとのことですが、当時のストリートの風景を、どのように捉えていらっしゃいましたか。
草野 留学する前までは東京で生まれ育って、高校は新宿にありましたから、放課後に寄ったりしていましたし、渋谷や池袋には中学校のころから電車で行ったりもしていました。アメリカに留学して帰国してから、東京の景色が以前とは異なる印象で目に映るようになりました。私はアメリカかぶれの父のもとで生まれ育ったので、子どものころはアメリカに大きな憧れを持っていました。ドラマで観る「ゴシップガール」やハリウッド映画で描かれるアメリカのハイスクールのように、さまざまな人種や国々の生徒がいて、多様なのだろうと。しかし留学先はユタ州で、保守的な地域で、ほとんどが白人の方々が住んでいる街で、アジア人は私を含め数人しかいませんでした。東京で私の通っていた高校はさまざまな人種の方が通っていてる学校だったので、そちらの高校のほうが多様性に富んでいたと感じました。また原宿などを歩いていると、周囲の目を気にせずみんな好きなファッションを楽しんでいるようにみえました。帰国後に、原宿の多様なファッションに興味を持つとともに、それを発信したいと思うようになり、留学したおかげで英語も話せるようにもなっていたので、英語ベースで運営されているストックフォトを扱うメディアのアルバイトとして、ストリートスナップを撮影して掲載していました。
2000年代後半の原宿のキャットストリートというと、表参道をはさんで南側には裏原宿の個性的な店があり、北側にはポップなお店やグローバルブランドのアンテナショップがあって……という印象です。
草野 当時はドメスティックに醸成されたファッションカルチャーの最後の世代でゴスロリを着た子もいたし、“ヤマンバギャル”も限界集落のように生息していました。当時はまだ読者モデルだったきゃりーぱみゅぱみゅさんを撮影したこともありました。2008年ごろは、本当に多様なファッションの人々がいましたね。
まだ渋谷には雑誌「egg」モデルの“ゴングロ三兄弟”というガングロギャルがいた時代ですよね。
草野 そうですね。そこから分岐して“オラオラ系ギャル”などが分岐して現れては消え、という感じでした。またSNSが定着しはじめて、Instagramが出てきたぐらいのタイミングでしたから、少しずつ“映え”みたいな意識も醸成されてきていました。レディガガのような大きなリボンをつけていた人もいました。そのころからファッショントレンドのサイクルがどんどん速くなってきました。2008年頃当時に流行っていたファッションは、1980年代に流行したネオンカラーのトップスに60年代のミニスカートを合わせて、70年代に流行したグラディエーターサンダルを履いて50年代のカンカン帽を被ってというように、さまざまな時代のリミックスが、部分部分で流行ってはすぐに消えるという感じでした。そこから日本でもH&MやZARA、Forever21などの海外のファストファッションが上陸しはじめると同時にUNIQLOのデザインも洗練されてきて、シンプルなファッションが増えてきました。ですから、2008年初頭から2009年ぐらいまでにかけて、ストリートにいる人たちのファッションがシンプルで地味になっている感覚がありました。
原宿でいえば、明治通りにH&MとForever21が登場して、ハイブランドで発表されたルックをスピーディかつ安価に提供したことから流行サイクルが速くなったわけですよね。
草野 それまでは渋谷の子は109で買いものをして、原宿の子はラフォーレで買って、裏原宿にも小さなお店がいっぱいありました。雑誌も赤文字系と青文字系とがはっきり分かれていて、青文字系の子は「Zipper」や「FRUiTS」を読んでいて、赤文字系の子は「CanCam」を読んでいるという文化でしたが、2009年から2010年にかけて服装もグローバルになってきて、とりあえず特定のブランドを着ればコミュニティから一目置かれるという時代ではなくなりました。流行りのカンカン帽や大きなリボンなどはファストファッションで取り入れることができましたし、H&Mは毎週シーズンがあるほどのスピードで展開されてきました。流行サイクルが非常に速くなって、UNIQLOも大手メゾンのデザイナーとコラボレーションを展開するようになりましたから、すごくダサい人はいなくなったけれど、尖った服だけ扱っているお店はどんどんなくなっていきました。
そこからノームコアやスポーツミックスの時代になって、ファッショントレンドがあまり活発ではなくなります。
草野 2008年から2010年ぐらいにわたってそれを体感したことで、現在進行系のファッションに面白みを感じられなくなった気がします。
生まれていない時代への憧憬を音楽活動で表現する
草野さんの作品に通底するテーマの1つとして“レトロ”があると思うのですが、これは慶應義塾大学SFCで坂井直樹さんのもとで学ばれた影響も大きいのでしょうか。
草野 坂井直樹さんの研究室にいたことは大きかったです。坂井さんはデザインの分野でずっと“レトロフューチャー”のコンセプトをデザインで扱って来られた方ですから。坂井さんはデザインにおいても、ストーリーやコンセプトメイクから入って行く方です。1980年代にはそうしたコンセプターがたくさんいらっしゃったそうですが、そのなかで唯一抜きん出て現在まで活動しているのが坂井さんだと伺いました。モノづくりだけでなく生き方も含めて、坂井さんからは大きく影響を受けています。
学生起業をされたりしつつ、在学中に音楽ユニットとしてSatellite Youngの活動をはじめられたそうですが、背景にはどのようなモチベーションがあったのでしょう。
草野 当時は1980年代の「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」や「美少女仮面ポワトリン」などの東映の魔法少女を扱っている特撮を観ていました。子どものころは「燃えろ!!ロボコン」という番組をよく観ていました。1970年代の「がんばれ!! ロボコン」のリバイバルバージョンです。Satellite Youngをはじめようと思ったのは、そうした特撮もののような映像を撮りたいと思ったことがきっかけです。ディズニーやハンナ・バーベラ、カトゥーン・ネットワークなどのアニメを観せられて育ってきたので、その反動で日本のアニメや特撮ものに興味がありました。またアイドルや歌謡曲にも興味を持っていて「夕やけニャンニャン」などもずっと観ていましたから、あの異常なことが当たり前だった昭和の明るい部分も暗い部分も両儀的にを再現したいと考えて結成しました。
Vaporwaveの場合は、海外の方が日本のシティポップをDAW(Digital Audio Workstation)でビートをずらして浮遊感のあるサウンドメイキングをして、それを空虚なレトロフューチャーな映像をバックに発信してきたカルチャーです。Satellite Youngの場合は、オリジナルの楽曲を東京で作成して、情報量の豊富なサイバーパンクな映像をバックにレトロフューチャーを表現していたのが写し鏡のようで興味深かったです。
草野 Satellite YoungはVaporwaveから派生したSynthwaveというジャンルで、1980年代の電子音楽を再現した音作りが特徴なのですが、それを日本語で歌っている人がほぼいなかったことから際立ったのは、確かにそうだと思います。
Vaporwaveの音ネタとして使われたことから、松原みきの「真夜中のドア 〜stay with me」や竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」が海外でヒットして日本でも再評価を受けたりしています。逆に、草野さんのお好きな1980年代のアイドル歌謡曲のソングライターの多くがシティポップの中心人物だったりするところも面白いですし、それが海外の方々には新鮮だったのだと思います。
草野 確かにそうだと思います。ただ、子どものころからそうした表現をしたかったというのが最初のきっかけです。昭和の再現を自ら作り出したいという動機も強かったですし、タイムスリップしてみたいとも思っていました。
Satellite Young “Dividual Heart” Official Music Video
小沢なつき, 斉木しげる, 湯本貴宣, 山中一希, 石上大輔, 柴田理恵, うえだ峻, 長江秀和, 大杉漣, 石井洋祐 (出演)
坂本太郎, 三ツ村鐵治, 佐伯采治, 村山新治 (監督)
東映
花島優子, 斉木しげる, 音無真喜子, 小林竜太, 前田利恵, 柴田理恵, 下島祐司, 山沢武久, 天間信紘, 螢雪次郎, 鈴木清順 (出演)
佐伯孚治, 村山新治, 坂本太郎, 三ツ村鐵治, 岩原直樹 (監督)
東映
伊倉一恵, 未唯, 渡辺いっけい, 奈良沙緒理, 三嶋啓介, 小池城太郎, 加藤夏希, 野田圭一, 神尾直子, 小倉敏博, 飯干隆子, 千田義正, 大林勝 (出演)
坂本太郎, 岩原直樹, ヒデ・I, 加藤弘之 (監督)
東映
山本圭子, 大野しげひさ, 加藤みどり, 山田芳一, 福田信義, 佐久間真由美, 島田歌穂, 由利徹, 野田圭一 (出演)
奥中惇夫, 畠山豊彦, 北村秀敏, 伊賀山正光 (監督)
東映
松原みき
ポニーキャニオン




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