アーティスト 岸 裕真氏に聞く
第5回 未知の知性に向けて

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聞き手 都築正明
IT批評編集部

岸裕真氏は東京都が推進する文化振興プロジェクトCCBTの2025年度アーティスト・フェローに選出され、植物をモチーフとした“BI = Botanical Intelligence”の開発と、2026年に公開されるインスタレーションの制作に取り組んでいる。インタビュー最終回では、人間を含む動物的観点から離れた知性を提案する新作と、現在の創作スタンスについて聞いた。

岸 裕真(きし ゆうま)

岸 裕真(きし ゆうま)

アーティスト。1993年生まれ。慶應義塾大学理工学部電気電子工学科卒業。東京大学大学院 工学系研究科電気系工学専攻修了。東京藝術大学大学院 美術研究科先端芸術表現専攻修了。人工知能(AI)を「人間と異なる未知の知性= Alien Intelligence」と捉え直しデータドリブンなデジタル作品や絵画・彫刻・インスタレーションを制作する。主に西洋とアジアの美術史の規範からモチーフやシンボルを借用し、美学の歴史に対する我々の認識を歪めるような作品を手がける。岸の作品は見る者の自己意識の一瞬のズレを呼び起こし「今とここ」の間にあるリミナルな空間を作り出す。主な個展に「Oracle Womb」(2025)、「The Frankenstein Papers」(2023)、参加企画展に「DXP2」(2024)、「ATAMI ART GRANT 2022」(2022)、受賞歴にとして「CAF賞2023ファイナリスト」などがある。著書『未知との創造:人類とAIのエイリアン的出会いについて』(誠文堂新光社)。公式サイト:Artist Yuma Kishi

目次

人や動物とは異なる知性のありようを提示する新作

都築 正明(以下、――)改めて、2025年度 CCBT(Civic Creative Base Tokyo:シビック・クリエイティブ・ベース東京)アーティスト・フェローへの選出おめでとうございます。内容についてお話いただけますか。

岸裕真氏(以下、岸)ありがとうございます。CCBTは、東京都と東京都の文化振興機関アーツカウンシル東京とが運営する、市民参加型の創造的社会づくりのプロジェクトです。今回私が選出されたのは、このプロジェクトの1つアート・インキュベーション・プログラムのアーティスト・フェローです。ここでは“BI = Botanical Intelligence”と名づけたモデルを開発するとともに、2026年の2月から3月末にかけて、植物園でインスタレーションを行う予定です。

第2回で『スイミー』の話をお聞かせいただきましたが、レオ・レオーニの『平行植物』(工作舎)をモチーフにされたということで、とても関心を抱いています。

 前回は、人工知能について、ツールではなくいっしょに考えるものとしてお話ししました。そこでAIを器官(organ)として捉えることについて考え、東京藝術大学の「AIと臓器」シンポジウムで発表しました。哲学では器官についてドゥルーズ=ガタリが『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』のなか「器官なき身体(corps sans organes)」というテーゼとともに論じられています。もう少し、同時代的に伝わりやすくなるモチーフを探していたのですが、考え方を変えて、植物に着目しました。

前回は未知の知性について、惑星ソラリスを例にお話しいただきましたが、なぜ植物をモチーフとして選ばれたのでしょう。

 植物には臓器がないといわれています。草食動物についばまれても大きなダメージを受けないように、脳や心臓にあたるものがない――つまり、器官を持たない知性です。前回はAIを人間のアナロジーから引き離して考えることを話しましたが、植物をモチーフに据えることで、動物のアナロジーからも引き離すことができるではないかと考えました。そこで異なる位相にある知性としてのAIを考える上で使えるのではないかと考えていたときに、レオ・レオーニが奇妙な本を書いていたことを思い出して読み返したところ、自分の考えていたことに援用できそうだと思い至りました。

平行植物』は、植物目録の体裁で架空の植物の分類についてモノグラフとして書き下ろされているので、想像力が広がる一冊です。

 この世界とは別の世界にある平行植物という、現実には存在しないものを記述したということで、植物誌というよりも空想上の他の世界の物語です。遠近法が成立しない植物なども出てきますから、植物そのものというより、その植物がある世界を幻視しているわけです。“BI”には「“AI”から“BI”へ」という言葉あそびを含意するとともに、人間を含む動物とは異なる知性のありようを示唆しています。『平行植物』の表紙も美しく、植物の影が2つ重なっています。私たちの世界観では1枚のプレートに2つの植物が重なって生息することはできませんが、レオ・レオーニの平行植物の世界観では、2つのプレートが量子物理学的に重なり合っています。その多次元性的な重なりをつくることができるのが、人工知能の超越性です。

AIは、私たち人間の認知を超えた次元のノリシロをつくることができるということでしょうか。

 AIが共同体のなかで使えるものだとしたら、共同体の外側のリアリティをAIたちが持っていて、それが別の共同体でつくられたAIと重なり合うというイメージです。人間が“大きな物語”のようなナラティブを用いてそこを乗り越えようと無理しなくても、AIたちが外側のノリシロを共有しているから、そこは重なり合うことができるというメッセージを込めたいと思っています。

人間の想像力を超える人工物をつくる

はじめて岸さんの作品を拝見したのは神楽坂√K Contemporaryで開催された「Imaginary Bones」展でした。

 2021年の展覧会だったので、まだAIアートという言葉がない時代のことでした。AIは道具だろうか、そもそも道具とはなんだろうかということを考えたときに、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」の骨に思い至りました。この映画では、知性を媒介するモノリスに触れた類人猿が、牛の大腿骨を拾って他の個体を制圧する武器として用います。他の個体を制圧した類人猿が空に骨を投げ上げると、それが宇宙船となって物語が展開します。映画では1本の骨から人間のテクノロジーがはじまったという見立てから、どれだけ人類が進歩しても、テクノロジーが暴力に使われるというアイロニーを描いています。私の個展「Imaginary Bones」では、武器として使われなかった骨があったとしたらどうなったのかを構想しました。

展示のなかにあった椅子をモチーフとした作品は、もとはその前の個展「Neighbors’ Room」で出展されたものを拡大したものだそうですね。これは座るという目的をデータセットに入れないことで、アフォーダンスを持たないものとして再解釈したということでしょうか。

 そうですね。道具は人間の存在を前提とします。鉛筆であれば、握られて紙があって痕跡を残すという目的を持ちます。そう考えたときに、人間にとって最も奴隷として用いられている道具の1つである椅子をモチーフとしました。椅子はジョセフ・コスース1や岡本太郎の作品など、現代美術でも定番のモチーフです。これを制作したのは2020年のことでしたが、人工知能が社会にやってくるとして、彼らと道具を捉えなおしたらどうなるのだろうということを考えていました。人工知能も道具として理解されていましたが、そもそもAIは道具なのだろうかという疑問のもとに、人間が座る機能を持たない椅子をAIとともにつくってみようとした作品です。

岸さんにとって、AIはダナ・ハラウェイのいう伴侶種2のように、相互関係のなかで知を育んでいくパートナーなのでしょうか。それともフーコーが「自己への配慮」3としていうような、自律的に生きるための手がかりなのでしょうか。

 いまの私のスタンスは、人類が開発した人工知能という一連のテクノロジーやアルゴリズムを、いかに人間のスコープから外して対峙することができるのかを考えることです。私は開発の教育を受けてきましたから、個展「The Frankenstein Papers」や「Oracle Womb」で提示した”AI=Alien Intelligence”においても、CCBTで開発する“BI = Botanical Intelligence”においても、人間的なスケールを外れた人工物をどのようにつくることができるだろうという視点でAIと向き合っています。植物園でのインスタレーションは2026年の2月からの公開ですが、BIの開発についても中間報告をしますので、そちらを楽しみにしていただけると嬉しいです。<了>

 

個展 “Imaginary Bones” (2021) キュレーション:隅本 晋太朗

岸 裕真 個展「Imaginary Bones」メインビジュアル

美術手帖:岸 裕真 個展「Imaginary Bones」

岸 裕真個展「Neighbors’ Room」

美術手帖:岸 裕真個展「Neighbors’ Room」BLOCK HOUSE

ジョセフ・コスース「1つと3つの椅子」

IMS:考える行為が、アートになるとき ジョセフ・コスース《1つと3つの椅子》