人のパートナーとなるAIを探求する──慶應義塾大学教授・栗原 聡氏に聞く
第5回 来るべき共生社会を紡ぐヒューマンな知性と感性とは
AIを教育に――人と出会い、感性を育むために
少し不安なのは、10年前に『「学力」の経済学』(中室牧子著/ディスカバー21)がベストセラーになり、就学前教育のコストパフォーマンスが高いことや非認知型能力の重要性が喧伝されました。すると、高額なモンティスソーリ教育の幼稚園に入れることが流行しましたし、しばらくしてコロナ禍で対面授業ができなくなると、潤沢な予算のもとでリモート授業を行う私立小学校受験熱が高まったりもして階層の拡大再生産が起きてしまいました。
栗原 私が教育にAIを導入することを提唱しているのは、そうした発想とは真逆です。まず必要なのは学校の先生の授業外業務を効率化することです。日本の先生は膨大な事務作業で忙殺されています。そこを効率化できれば、授業やその他の時間でも1人ひとりの子どもたちとフェイス・トゥ・フェイスで寄り添ってあげる時間は増やすことができます。またセキュリティを高度化することで、放課後に校庭を開放して、好きに遊べる環境をつくることもできます。高価で高度な教育などは必要ありません。私自身の経験でいえば、小学校での思い出のシーンの1つに、先生と教室で紙飛行機を折って、窓から飛ばしてどれだけ遠くまで飛んだかを競ったことがありす。先生を身近に感じ、心理的な安心感のもとで、さまざまなことを考えて工夫しながら紙飛行機を折り、どのように投げればよく飛ぶのかを試行錯誤して、校舎のかたちによって変わる上昇気流を感じて……そうした感覚を得ることが重要なのだと思うのですよね。そうした感覚がイノベーションを起こすことに与える効果は計り知れません。単によく飛ぶ紙飛行機についてインターネットで検索すれば最適な折り方が紹介され、それを折って飛ばしてそれで終わりです。試行錯誤もうまくいって感動した体験もそこにはありません。
大きな意味では、AIによって保護者の仕事が効率化することで、子どもと向き合う機会も設けられるわけですよね。
栗原 「小学生全国選抜プログラミングコンテスト」に出場した子どもたちは、学校や家庭など、ほかの人とのやりとりのなかで才能を開花させていったわけです。そうした機会を多く持てるようになるということの縁の下の力持ちとして、教育においてAIが普及する意義があるのだと思います。
先生ご自身が、現在の研究に就かれる経緯では、どのような出会いがあったのでしょう。
栗原 漠然と、人間はなぜ考えることができるのかという疑問は大学学部生のころに抱いていましたが、マルチ・エージェント・モデルというテーマに面白さを感じたのは、大学院も終わりの頃になってからのことでした。卒論・修論でSmalITalkというプログラミング言語を使ったことから、オブジェクト指向コンピューティングへ興味を持ったことがきっかけでしたが、安西祐一郎先生が訳されたマーヴィン・ミンスキー『心の社会』(産業図書)を読んで、心が小さなエージェントのもとに成り立っているということに感銘を受けました。また指導教官だった土居範久先生にも大きな影響を受けました。OSのスケジューリング研究やセキュリティの研究をされていた方で、橋本龍太郎元総理大臣に答申をして国立情報学研究所を創設した方です。正直、学生のときは土居先生がなにを専門にしているのかよく理解できていなかったわけですが、打算のない人間関係重視の姿勢や、まずは行動してやってみるという姿勢に惹かれました。所眞理雄先生も、学生のころの身近な研究者であり、思えば、魅力的かつ偉大な先生が周りに多くおられたことは幸運な事だったのだと思います。そうした打算なき多様な人的ネットワークがなにかのきっかけで威力を発揮するわけです。NTT基礎研究所に入ると竹内郁雄さんや、研究コミュニティでは現在札幌市立大学学長の中島秀之先生といった強烈な求心力を持つ方々と出会うことになりました。
前回は、大阪大学での出会いについて伺いました。
栗原 大阪大学には9年ほど在籍しましたが、元田浩先生、鷲尾隆先生、沼尾正行先生といったこちらもものすごい研究者の方々と親交することができました。多様な人間ネットワークの持つ潜在的価値は計り知れません。新たな出会いにせよ、セレンティビティにせよ、イノベーションは発見にせよ、すべては内向きでなく外向きな姿勢であることが大切であり、現在の分野やエコーチェンバー、フィルターバブルといった社会性は内向的なものばかりです。情報系の学会では、どうしても情報教育の観点から高校生を対象にした取り組みが多いわけですが、私の主たる活動の場である人工知能学会では幼年期や小学校・中学校を対象に、いまお話ししたような倫理的関係や発想、それに人間関係を育むことをテクノロジーに加えて盛り込む試みをはじめています。結果が出るまで時間のかかる取り組みですし、すでに取り組むべきタイミングとしては遅すぎるのかもしれませんが、やってみないと分かりませんし、まずは動かないと何の変化も起きないわけです。<了>