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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

言語はどこからうまれたか

先述のノーム・チョムスキーは、言語について生物学的なアプローチから論述した人物だ。ヘブライ語をすべての言語の起源とするユダヤ・キリスト教の価値観から科学革命を経て、言語が人によりつくられたということが自明視された19世紀には、人類初の言語はどこから生まれ、どのようなものだったのかを主張する説がなされて百家争鳴の議論が沸き起こった。
あまりに議論が加熱したことと、いずれの言語起源説にも明確なエビデンスがないことから、言語学研究の権威だったパリ言語学会は1866年に、ロンドン言語学会は1872年に言語起源論や普遍言語の創造を一切受け入れないこととした。
それから世紀をまたいだ1957年に出版されたチョムスキーの“Syntactic Structures”は、言語学にパラダイムシフトをもたらした。その一部は『統辞構造論 付『言語理論の論理構造』序論』(福井直樹、辻子美保子訳/岩波文庫)に邦訳されている。チョムスキーは当時の理論計算機科学にも通じており、彼の提唱した形式言語の階層はチョムスキー階層としてニューラル言語モデルにも応用されている。

チョムスキーは言語について、意味ではなく文法に注目し、言語には生成文法(generative grammar:GG)の規則があることを主張した。すべての言語の多様性の背後には、数学的論理性を持つ共通の基本構造があるというのだ。
さらに人には普遍文法(universal grammar:UG)が遺伝的にプログラムされており、自分のまわりにある特定の言語について、普遍文法のパターンに従って習得することが母語を身につける本質であるとした。また認知科学者スティーブン・ピンカーは『言語を生み出す本能』(椋田直子訳/NHKブックス)において、チョムスキーのいうような文法の基本原理は、ほかの諸器官と同様に進化過程における自然選択の過程で人が本能として身につけてきたものだと述べている。

さきに述べたとおり、エヴィレットの言語と文化のカップリング説はチョムスキーらの言語生得説への反論の1つだが、認知科学者マイケル・トマセロは普遍文法論を批判し『ことばをつくる―言語習得の認知言語学的アプローチ』(辻幸夫他訳/慶應義塾大学出版会)において人が必要に応じて言語を習得していく用法基盤モデル(Usage-Based Model)の認知言語モデルを主張した。
また、ともに認知科学者・行動科学者であるニック・チェイターとモーテン・H・クリスチャンセンは『言語はこうして生まれる「即興する脳」とジェスチャーゲーム』(塩原通緒訳/新潮社)において、言語コミュニケーションを相互が協力して理解を深める即興的なジェスチャーゲームとして捉え、サピア・ウォーフ仮説やチョムスキーやピンカーの言語生得説は間違っているとした。
こうした批判を受けてか、チョムスキーも2019年に出した共著論文“Generative Grammar and the Faculty of Language: Insights, Questions, and Challenges ”において、多くの言語に共通な規則“Marge文法”があることを主張している。

それぞれの言語と文化が独自にカップリングをなしているという説は、ともすれば偏狭な言語ナショナリズム――とくに言語の境界と国境がニアリーイコールの関係にある日本のような国においては――に陥る危険性を孕んでいる。日本語の起源については、朝鮮語起源説、アルタイ語起源説、タミール語起源説など、さまざまな議論が巻き起こされたものの決着はついておらず、その独自性が日本語――ときに日本国そのものの――特殊論というイデオロギーや言語ナショナリズムが巻き起こることが多い。日本語が他言語にくらべて複雑かつ優秀だと主張する論者も多いが、時制については現在と過去の2種類(「〜である」と「〜た」)しかない。
このことから、日本人が西洋的な単線的時間を生きておらず、循環的時間を生きてきたと主張されることも多いが、古語の助動詞の1部には未来を表すものもあった(助動詞「べし」「む」の推量用法)ため、安直にはいいきれない。また現代英語には過去形・現在形・未来形のそれぞれに完了形と進行形を持つため12種類の時制があるものの、古英語は未来形を有しない。また古英語は、大きく影響を与えたラテン語と同様に自由語順であり、いわゆるSVOにもとづく文構造をなしていない。

自国語をもとに言語全体を語るのは、インド・ヨーロッパ諸語の話者だけではない。昨年『言語の本質』(今井むつみ、秋田喜美著/中公新書)が大きな話題になり、2024年新書大賞を受賞するとともに、今井むつみ氏の、AIの生成する言語は記号接地がなされていないので意味を持たない、とする言説が人口に膾炙した。著者たちは言語と身体を結びつけるものとしてオノマトペを重視するが、日本語は韓国語とならび約10,000語と、英語の4〜7倍以上という例外的にたくさんのオノマトペを持っているので、これを全言語に敷衍することは難しいと思われる。

統辞構造論 付『言語理論の論理構造』序論 (岩波文庫)

統辞構造論 付『言語理論の論理構造』序論
ノーム・チョムスキー 著 , 福井直樹 訳 , 辻子美保子 訳
岩波文庫
ISBN9784003369517


言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能 上
スティーブン・ピンカー著  椋田直子訳
NHKブックス
ISBN978-4-14-001740-1



ことばをつくる―言語習得の認知言語学的アプローチ

ことばをつくる 言語習得の認知言語学的アプローチ
マイケル トマセロ 著 辻 幸夫 他訳
慶應義塾大学出版会
ISBN:978-4-7664-1533-9



言語はこうして生まれる―「即興する脳」とジェスチャーゲーム―

言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム
モーテン・H・クリスチャンセン、ニック・チェイター著 、塩原通緒訳
新潮社
ISBN978-4-10-507311-4


言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書 2756)

言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか
今井むつみ/秋田喜美 著
中公新書
ISBN978-4-12-102756-6


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