科学者たちの複雑な心理を考える
映画『オッペンハイマー』をめぐって
戦時下の科学と倫理
ここまで書いてもう1冊おもいだした。科学者の倫理観を考えるうえでも、戦時下の機密情報の謎を考えるうえでも示唆があり、しかも科学文明のまえに降伏した日本が戦後、どのように科学文明にむきあってきたのかを考えさせられる本。それはノンフィクション作家の藤原章生の『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか “最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生』(新潮社)だ。衝撃的なのはタイトルが示しているように、原爆投下前に日本の学者のあいだに都市に対して新型爆弾が投下されるという情報(噂?)が流れていたという証言が大きなモチーフになる。
1945年の春ごろ、湯川秀樹の京大の同僚教授が広島出身の自身の学生に対し「広島は危ないから両親を疎開させろ」と内密に伝えたという事実が残っている。この時期が重要なのは、映画『オッペンハイマー』にもシーンがある標的会議で京都、小倉、新潟と並んで広島の名があがった時期と一致していることだ。果たしてこの学生は両親を疎開させ、原爆の被害を免れた。
もっと重要な事実は内密に伝えた場に湯川秀樹も同席していたことだ。なぜなら、彼の教え子にも広島出身の学生である森一久がいたからである。原爆投下のとき、広島の実家にいた森一久は両親を一瞬にして失い、自身も生死の間を彷徨った。森は新型爆弾投下を口にした教授がいたこと、その場に師である湯川がいたことを知ったのはずっとあとのことだ。森はそれを藤原と探ろうとするが、結局のところ、確たる事実は掴めない。
この本では、湯川の最後の弟子といわれ、ジャーナリストから日本原子力産業会議副会長まで務めた森が生涯かけて原子力という呪いと向き合う姿を丁寧に描いていく。“原子力村”のあり方を、「仲良しクラブ」とまで痛烈に批判した森の倫理感、責任感は非常に重いものだ。戦後のオッペンハイマーの悔悟と、それに伴う運動にも通じる。それは圧倒的な被害者と圧倒的な加害者という架橋不能なものかもしれないのだが。
オッペンハイマーは戦後、日本人物理学者の多くをアメリカでの研究に招いて日本の物理学の発展に寄与してきたし、1965年、ロスアラモスにもいたリチャード・ファインマンとともにノーベル賞を受賞した朝永振一郎の研究にいち早く目をつけ物理学雑誌への論文掲載を後押ししたとされる。
物理学者の罪悪感。森一久は湯川秀樹にひじょうに可愛がられ、森の依頼で原子力委員にも就任している。どこかオッペンハイマーの戦後の日本人、同学者への思いを彷彿とさせる。
ファインマンには湯川や朝永が登場する愉快なエッセーがある。これなども日本に原爆を投下したマンハッタン計画に参加した経験に屈託はまったくない。ちょっと言及すべきかもしれないが長くなるのでここまでにしよう。
湯川博士、原爆投下を知っていたのですか―“最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生―
藤原章生 (著)
新潮社
