アントカインドが示す物語の未来
第5回 AI時代の物語と未来への問い

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Author 伊藤 要介
IT批評編集部

これまで『アントカインド』を通じて見えてきた、「物語と時間」「記録と記憶」「象徴やモチーフの広がり」に触れてきました。振り返ってみると、共通して浮かび上がってきたのは「物語をどのように記録し、どのように体験するのか」という問いでした。現代は、SNSやクラウドに記録、保存され続けるデータの時代であり、AIは欠けた部分を補い、より正確な「保存」「復元」と「検索」「抽出」を目指しています。一方で『アントカインド』が描くのは、唯一無二の映画が消失し、不確かな記憶の断片を頼りに再構成しようとする姿です。全てを残そうとする技術と、不完全さを抱えた人間の営み。その対比は、AI時代における物語の未来を考える出発点のように思います。

目次

AIが拡張する物語の「形式」

AIがすでに物語の形式に介入し始めている今日、NetflixのCEOであるTed Sarandosは、AI技術がコストを下げつつ「想像を超えた物語の創造」を可能にするとBusiness Insider誌で語っており、それが「創造性の置き換え」にはならないとも述べています。このように、AIが拡張し、書籍のように完成された形式を超えた物語が生まれる可能性は加速しています。他にも基礎研究分野での、「Storyteller」という新たなプロット設計フレームワークでは、物語を主語、動詞、目的語(SVO)の構造に分解し、ナレッジグラフを用いて人物やプロットの一貫性を大幅に改善できたことを報告しました。また、「SARD」と名付けられたビジュアル・インターフェースは、AIと人間が協働しながら長編を構築することを支援する設計ツールとして発表されました。

応用分野に目を移すと、2025年のメディア博覧会(NAB Show)ではAIがもたらす3つの波として、“制作作業の自動化”“文化的ローカライズへの対応”“リアルタイム収益化”を可能とする技術が発表されました。これらは、創作された物語そのものではなく、「物語を効率的に創作し、最適な形で届ける技術」として注目を集めた例もあります。

これらの動向を眺めると、AIは物語に「安定性」や「効率性」を与える存在であることが見えてきます。言い換えれば「物語を失わないための装置」として機能しているのかもしれません。けれども、そこにあるのは本当に「体験としての物語」なのでしょうか。それとも単に「物語を安定化させる技術」に過ぎないのでしょうか。

『ANTKIND(アントカインド)』が描く「不完全さ」

アントカインド』の根幹にあるのは、3ヶ月かけて視聴する映画が消失し、主人公がわずかな断片的な記憶だけを頼りに作品を復元しようとする設定です。AIの復元が統計上の「最も正しい解」を目指すのに対して、主人公の試みは揺らぎや歪みに左右されています。正しさではなく、不確かさこそが、この物語を形作っているように感じます。

この構図を考える上で興味深いのが、心理学で報告されている、“Google効果”(Google Effect)、またはデジタル・アムネジア(Digital Amnesia)と呼ばれる現象です。Besty Sparrowらの研究は、インターネット検索が普及する中で、人々が「情報を記憶する」よりも「情報をあとで検索できる」という感覚に頼る傾向が強まっていることを示しました。具体的には、「この情報は後でネットで見つけられる」と判断した時、その情報を記憶しづらくなるという実験結果の報告です。

この現象は、デジタル時代において「記録があるからこそ記憶が不完全になる」ことを示唆するものだと思います。すなわち、外部参照の充実は、逆に人間自身の記憶を曖昧にする可能性を秘めている、私たちは「忘れてもよい」と考えていると言えるのではないでしょうか。

これに対して『アントカインド』の主人公が直面するのは、外部の記録すら残されていない状況です。消失という“完全な喪失”を前に、不安定な記憶に頼り、断片的な記憶を紡ぎ、物語を再構成していきます。これは、Google効果のように「記録を頼ることで記憶が弱まる傾向」とは真逆の方向を向いているように思えます。ここに、「正確さではなく曖昧さに意味を見出す」という人間的な物語体験の姿が浮かび上がってくるように思うのです。

AI時代に残る物語の本質

世の中はすでにAIによる無作為生成物語が“より好まれる”という実験結果も出てきています。PC Gamerの記事では、ブラインドによる短編小説比較テストで、AI生成作品が高評価を受けた例が報告されました。これはAIが「形式的に優れた物語」を生成できることを示唆しますが、一方で感情的な深みや文体の独自性に関しては、人間が創作した物語との対比で敏感に意識される要素かもしれません。

しかし、そこで生まれる物語は「破綻がない」ことに強みがある一方で、揺らぎや余白を含む体験に関してはどうでしょうか。『アントカインド』の主人公が不確かな記憶を辿るように、物語はしばしば曖昧さや不完全さから強い共感を生むことがあります。むしろ曖昧だからこそ、私たちは自分自身の体験を重ねることができるのかもしれません。つまり、AIが創作する物語にある余地は、新しい物語の器を作ることであり、物語の中心にある“何か”は人間自身のままであるように思えるのです。

AIが物語に与えるのは「形式の拡張」であり、人間が手放せないのは「不完全さから生まれる物語体験」なのかもしれません。『アントカインド』が描いている、“失われるものの記憶を辿る行為”そのものの価値は、AIには代替し難い人間的な探求なのかもしれません。AIは新しい形を与える力を持ちつつも、物語の本質である、欠落、揺らぎ、そこに想像を差し込む余地を忘れないでほしいというアンビバレントな呼び掛けなのかもしれません。

これからの時代、私たちは「保存され安定した物語」と「揺らぎを抱えた物語」という選択肢を与えられるのかもしれません。その時、あなたはどちらを選び取るでしょうか。完璧に最適化された物語か、それとも不確かさを抱えながらも心に残る物語か。読者一人ひとりの選択が、AI時代を生きる私たちにとっての新しい“物語体験”なのかもしれません。

アントカインド

チャーリー・カウフマン (著)

木原 善彦 (翻訳)

河出書房新社

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