東京大学大学院総合文化研究科教授 池上 高志氏に聞く
(3)フレームを壊し、ルールをアップデートする
桐原永叔(IT批評編集長)
「はじめに行為ありき」身体性を通じた価値の創出
人間が進化することを考えると、新しい認識論や価値観が必要になってきます。
池上 伊藤穰一1さんと、新しい貨幣の価値についてよく話しています。いまは、貨幣と人生の価値とが強く結びついています。でも新しい貨幣をつくって、そこに人生の幸せに結びつく別の価値が生まれれば楽しいですよね。新しい価値や社会が生まれることには、とても意味がある。現在のお金を最大化するという構造をぶち壊すためのシステムとして、Web3.0やDaoがあれば、それは理想的だと思います。一見それは絵空事のように思えるかもしれません。でも例えば、研究のセミナーをしたいと申し出れば、世界中どこでも断られない。それはお金では買えないアカデミアのパスポートです。こういうのが、第2の貨幣としての価値として期待されるものです。第2、第3の貨幣が技術によってつくられるのであれば、人間もまだ捨てたもんじゃない。
価値観やルールが更新されるということですね。
池上 たとえばいまのグローバル経済のなかで、日本が同じルールに則って、アメリカに敵うようなことは考えづらい。なので先に述べたような、新しい価値観をもたらす貨幣はなんだろう、ということを考えるわけです。
桐原 ゲーテの『ファウスト』で主人公ファウストが悪魔メフィストと相まみえる直前のシーンで、新約聖書「ヨハネ福音記」をドイツ語に訳しつつ「はじめに語(ロゴス)ありき」という言葉に違和感をおぼえ「意(こころ)ありき」「力ありき」と書き換えていき、最後に「はじめに業(わざ)ありき」と改めます。『ファウスト』の邦訳書には、ここを「はじめに行為ありき」と訳出しているものもあります。翻って仏教など東洋思想では、頭だけで理解することを下に見て身体修養を重要視しますよね。そこには身体性と知性の関係に対する示唆がありますし、先生の「動きが生命をつくる」というテーゼにも近いように思います。
池上 すばらしいですね。アーティストの荒川修作さんも、同じようなことを考えていたようです。三鷹天命反転住宅は、身体を駆使して生活するなかから精神が降り立つ“ランディング・ポイント”として建築されたものです。荒川修作さんは、私の高校の大先輩でもあり、彼が亡くなる 3 〜 4 年前から仲良くしていただいていましたが、そのころの荒川さんは、おじいさんおばあさんが楽しく生きられる移動型の人工の土地を構想していていました。ひとつの身体に心が局在化するのではなく、さまざまな場所に偏在するのだとよく言っていました。拡張された身体を考えられていて、アンディ・クラークにもよく通じるところがありました。
先生と共著で『複雑系の進化的シナリオ』を出された金子邦彦先生の研究室にいた円城塔2さんの作品を読んでいると、緻密かつ複雑な物語構造のなかで新しい言語認識をつくりだそうとしているようにみえます。
池上 円城さんは研究者としても優秀でしたけれど、小説家として言葉でみる世界の限界に挑戦していますね。私は言葉にできないものを追求していますが、彼の進んでいる方向は、いまChatGPTが増強しているかもしれない。
その分、芥川賞候補になったときの選評では毀誉褒貶がすさまじかったです。とくに『道化師の蝶』で受賞したときも「読者に苦労をかける」「言葉の綾取りみたいなゲーム」などの選評があり、石原慎太郎さんは怒って選考委員をやめてしまいました。
池上 新しい時代の幕開けはつねにそうですよね。円城さんの作品は本当に素晴らしいものです。比較して、いまのメディアアートがどれだけの訴求力を持っているかについては疑問です。
アトラクションとして楽しむものは多くありますが、アートとして新しい感覚を触発する作品はほとんどないように思います。
池上 私がアート作品をつくりはじめたのが 2005 年です。このころはメディアアートも面白かったと思うのですが、その後どんどんつまらなくなっていった気がします。やはりディープ・ニューラル・ネットワークやChatGPTなどが現実に出てくるのに伴ってつまらなくなったのだと思います。本来はそこから面白くなるはずなのですが何故でしょうね。しかしVRだけはそうでない気がするので、いまはVRアートに興味があります。VRだと「最初に言葉ありき」でなく身体性を通じた価値観に関わるものがつくれるのでは、と思っています。
The Process in Question: The Bridge of Reversible Destiny – 2022 VR version Demo movie
新しい価値はフレームを壊すところから生まれる
桐原 禅画には円相というのがあって、ただ墨で円を描くんですが、それで悟りの度合いがわかるといったりします。
池上 いっしょに作品をつくっている渋谷慶一郎3さんとの関わりで高野山のお坊さんと話す機会があります。悟ったお坊さんと話すと面白いです。そうしたお坊さんにも二通りいて、すごく真面目な人もいると思いますが、ベンツに乗っていて服も靴もGUCCIで揃え、財布には札束が入っているような人もいる。でもその方が、実はお金で手に入れられるものを得たうえで、新しい認識論を展開できるかもしれないと思ったりします。
桐原 禅の公案に「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という話があります。若い修行僧が、ある山に行って、そこに住んでいるおばあさんに「修行したいからこの山の庵を貸してください」と頼むんです。おばあさんに「お使いなさい」と言われて修行をはじめます。そのおばあさんには娘がいて、身の回りの世話をするのですが、ある時、おばあさんに唆されて修行僧を誘惑しようとします。するとその修行僧は「枯れ木が岩に寄り添うように何にも感じない」と言って拒絶するんですね。娘からそのことを聞いたおばあさんは、「こんなくだらない男の世話をしてきたのか」と言って、そのお坊さんを追い払って庵も焼いてしまう――公案なので単純な解釈ではどうにもならないのですが、間違いのない確実な解決はかえって世界を理解しずらくしていると言われている気になります。
池上 その解釈は難しいですね。似た話で、仙人に「自分を仙人にしてほしい」と言ったら、仙人が「いまから何があっても絶対に口を開いてはいけない。それができたら仙人にしてやろう」と言うものがありますね。そこで、虎や蛇や暴漢に襲われたりするけれども口を閉じている。最後に自分の両親が鞭で打たれている場面を見せられて、何のためにその山に座っているのかを言わなければ両親を殺すと言われる。お母さんは「話さなくてもいいから」と言うのだけれど、耐えられなくて「お母さん」と言ってしまう。結局、仙人にはなれなかったのですが、仙人は「もしあそこでお前が黙っていたら、お前の命を絶ってしまうつもりだった」と言って、主人公は平凡な暮らしに戻るという。
『杜子春』ですね。中国の「杜子春伝」では、杜子春が女性で息子を殺されてしまうのですが、芥川龍之介は主人公を息子にして母子愛をテーマとした小説にしています。
池上 やはり、新しい価値は矛盾を内包して、フレームを壊すところから生まれます。そのフレームの中には答えはないのだから、フレームの外に出るしかない。そこが重要なところで、ChatGPTには、この 2 つの話をつくることはできないと思いますよ。これをChatGPTがどう解釈するか、あとで試してみましょう。<了>
