心と生命、身体の新しい見取り図
東京大学大学院総合文化研究科教授 池上 高志氏に聞く(2)

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聞き手 都築正明(IT批評編集部)
桐原永叔(IT批評編集長)

第2回では、生命と心について聞いた。池上氏は、さまざまなアート作品やプロジェクト、パフォーマンスに関わっていくなかで、身体性の重要性を強く感じたという。また今後予定されている新しいプロジェクトについても、話を聞くことができた。

池上高志

池上 高志(いけがみ たかし)

東京大学大学院総合文化研究科教授。1961年、長野県生まれ。複雑系・人工生命研究。東京大学大学院理学系研究者博士課程終了。理学博士(物理学)。人工生命(ALife)を軸に、ダイナミクスからみた生命理論の構築を目指す。またサイエンスとアートを架橋する作品制作やパフォーマンスも多く手掛ける。著書に『複雑系の進化的シナリオ―生命の発展様式』(朝倉書店 金子邦彦との共著)、『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』(青土社)、『生命のサンドウィッチ理論』(講談社)、『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(講談社 石黒浩との共著)など。

目次

心は環境との相互作用によって形成される

都築 正明(以下、――)心と生命の関わりについてお聞かせください。

池上高志氏(以下、池上)フランシスコ・バレーラ1というチリの生物学者が、ウンベルト・マトゥラーナ2とともに提案した“オートポイエーシス”3という概念があります。この考えに日本の郡司 ペギオ‐幸夫4先生や松野孝一郎5先生、ドイツのオットー・レスラー6、バスク大学のエゼキエル・ディ・パウロ7といった多くの人々が賛同して、生命と心を連続して考える運動となっています。たとえば「アメーバに心はないのか?」という質問に答えるのは難しい。「生きているというのは心を持っているということではないか」と考えることもできますし、逆に「心があるということが生きているということではないか」と考えることもできます。私は、生きているなら心も持っているだろうと考えますが、心は人間にしか存在しないと思う人もいます。

石黒浩先生8との共著『人間と機械のあいだ』(講談社)でも、心や生命が受容する側にあるのか、それとも外にあるのかということが、繰り返し議論されています。

池上 石黒先生は心について「見る側に心があるから心があるようにみえる」というトップダウンで考えています。私は反対に「心は生成するものだ」というボトムアップで考えています。先ほどのオフローデッド・エージェンシーの考え方(第1回、参照)から、心をつくっていくうえでは、人間から移ってくるほかにも、雨が降っている、車が走っているというような環境の中にいることが大事だと思っています。人間を含む生物の心を考える際にはそうした環境との相互作用を考えることが 重要です。

アンディ・クラーク9も『現れる存在』(ハヤカワNF)で、環境との相互作用を重視しています。

池上 環境そのものについてもそうですし、どこまでが環境でどこまでが身体なのかという境界が曖昧であることにも言及されていますよね。魚のヒレは1つの方向にしか動かせないけれど、渦の流れをつくって動き回るから3次元の世界を動き回ることができる。環境も身体の一部である。

そうすると、心・身体・環境という定義は難しくなってきます。

池上 定義しても「わかる」ことにはならないので、面白みを感じられません。たとえばAIの研究をするときに「知能とは何か」ということが重要なわけではありませんし、それがわかったからといって、新しいものが開発できるわけでもありませんよね。AIの素晴らしさは、まずプラクティカルに使えるということです。ALife研究においても、まず動くものをつくって、それが社会に広まったときにどうなるかを考えることを重視しています。そもそも「心のわかり方」というもの自体、よくわからないものですから。ディープ・ニューラル・ネットワークは、これまでのネットワークをすごく大きくしたらできることが変わった。これは頭で考えていてもわからないです。ChatGPTもそうです。ChatGPTが巨大なコーパスを与えた途端、質的な変化が感じられた。それはまた心が外からやってくることに近いのではないかと思っています。

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