知能から生命へ 人工生命の最前線
東京大学大学院総合文化研究科教授 池上高志氏に聞く(1)
桐原永叔(IT批評編集長)

AIが意識や心を獲得すること、また人間に代わる新たな生命となることについて、まことしやかに語られることは多い。しかしそこで語られる意識や心、生命とは何なのか、人工生命(ALife)を研究する東京大学の池上高志教授に話を聞いた。生命を定義づけるものや、生命を技術にすることなど、興味深いことが次々に語られた。

池上 高志(いけがみ たかし)
東京大学大学院総合文化研究科教授。1961年、長野県生まれ。複雑系・人工生命研究。東京大学大学院理学系研究者博士課程終了。理学博士(物理学)。人工生命(ALife)を軸に、ダイナミクスからみた生命理論の構築を目指す。またサイエンスとアートを架橋する作品制作やパフォーマンスも多く手掛ける。著書に『複雑系の進化的シナリオ―生命の発展様式』(朝倉書店 金子邦彦との共著)、『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』(青土社)、『生命のサンドウィッチ理論』(講談社)、『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(講談社 石黒浩との共著)など。
目次
物理学のアプローチから抽象的に生命を考える
都築 正明(以下、――)まず、ご経歴からお伺いします。
池上高志氏(以下、池上) 長野県諏訪市で生まれ、すぐに東京・名古屋と移り住みました。アメリカなど海外に住んでいたこともありますが、小・中・高と名古屋で、愛知県立旭丘高等学校を卒業後、東京大学に入学しました。
先生が大学 1 年生のときのエピソードを興味深く読みました。朝永振一郎氏の『スピンはめぐる─成熟期の量子力学』(みすず書房)を読んでいて、量子力学と相対性理論とを統合する際に、スピノールという物質を想定することで相対性量子力学が誕生した、というくだりを読んで、信越本線の座席から立ち上がった、という。
池上 ちょっと大げさですが……まだ実在しないものを通して思考を組み立てることができる、ということに気がついて衝撃を受けました。生命というものを考える、大きなきっかけになりました。
生命について考えつつも、3 年次からは生物学でなく物理学を専攻されたのですね。
池上 父親は核融合を研究していた物理学者だったのですが「これからは物理よりも生物のほうが絶対に面白い」と、生物学への進学を強く勧められたりもしました。それはあながち間違いでもなくて、相対性理論や量子力学が誕生した 20世紀には物理学がサイエンスの主役でしたが、21 世紀は生物学や情報科学が発展を遂げることになりました。分子生物学が花開く時代でもありましたから、生物学を研究する先輩に話を聞いてみたりもしたのですが、そこでは DNA分子というモノを研究する還元論的な考え方が中心で、生命にリーチすることからは遠く感じられましたし、さほど面白くも思えませんでした。それよりも、当時関心を持っていたフラクタル幾何学やカオス理論などの抽象的なアプローチから生命を考えられないかと思うようになり、物理学の道に進みました。
先生が物理学を研究されている間の 1990 年にヒトゲノム計画が開始されましたが、そこに関心を持つことはありませんでしたか。
池上 ないですね。ヒトゲノム計画というのは、要するに大きなデータベースをつくることですから。それに、個人のDNAの差のほうが、人間とチンパンジーの違いよりでかい、とか友人もいってましたし。それはまさに複雑系的な観点で。
複雑系理論が萌芽したのも、そのころと重なりますね。
池上 1992 年に、京都大学で仲間たちとはじめたのが最初です。複雑系科学とは、複雑なものを簡単な方程式で書こうとするのではなく、複雑なものとして、どのように理解するのかを探るアプローチですね。当時京大人文研にいた安冨歩さんとは仲良くしていました。そののち、彼は貨幣の誕生と崩壊についてのシミュレーションなどをしています。
当時は複雑系理論への期待感が一気に高まった記憶があります。浅田彰さんは、いったんは死を迎えたユークリッド-ニュートン的な数学が、これからフラクタルやカオス理論において蘇生するんだということを言っていました。
池上 浅田さんの言ったとおりだったところもあります。カオスやフラクタルは、新しい見方、わかり方を教えてくれた。「生命は何か」「心は何か」というテーマについては、まずわかり方そのものがわからないとどうにもならない。そういう意味では、今もそれを探っています。
学部生や大学院生のときは、どのような研究をされていたのでしょう。
池上 カオスなどを研究したいと思い、鈴木増雄1先生の統計力学の研究室に入ってスピングラス2の研究をしていました。物質内で電子スピンが空間的な秩序を持つ経緯についてはよく研究されているのですが、スピングラス中の電子スピンは、空間的にはバラバラのように見えるけれど、時間方向には秩序があるのではないか、ということです。このスピングラスの理論研究がジョルジョ・パリージ<3の2年前のノーベル物理学賞のひとつの受賞理由となっています。当時の私の興味は、スティーブン・ウルフラム4が考えた一次元セル・オートマトン5の研究にありました。
ライフゲーム6に代表されるシミュレーション・モデルですね。
池上 もっとも打ち込んだのは、ニューラルネットワークの研究で、またノーマン・パッカード7の影響を受けて、免疫ネットワークの理論研究もしていました。あれを続けていれば、今ごろはノーベル医学・生理学賞を獲得できるような理論的ベースをつくれたかもしれないですけれど……冗談ですが。
もっと生命活動に近い分野に関心を抱かれたということでしょうか。
池上 はい。当時研究されていた脳神経細胞の考え方から、人間の自己/非自己の境界が神経細胞ネットワークの性質だとすると、多くの生物の場合は、精神的ではなく物質的な自己/非自己の境界があるだろうと考えました。生物の拒絶反応は免疫のネットワークがつくっていますから。免疫ネットワークにおける物質の自己/非自己というのが、どう生み出されるものなのか、もしくはフレキシブルなものなのかを知りたいなと思い、化学反応ネットワークの性質を、認知のダイナミクスとして調べていました。
免疫系というのは、生物が恒常性を保つために用いられますね。
池上 おっしゃるとおりで、免疫のホメオスタティックなところに興味がありました。たとえばホヤは自分以外のものとは接合するけれど、自分と同じものには拒絶反応を示します。こうした原始的な生物にも自己/非自己があると考えられるんです。
私たちは、自己というものを特権的なものとして捉えがちだけれど、単純な生物にも自己があるということですね。
池上 自己ができることが生命のはじまりであるならば、その理論化は非常に抽象的に始められるのではないか。そこがALife(Artificial Life:人工生命)の研究へつながるところです。