東北大学総長特命教授 野家啓一氏に聞く
(3)AIが加速する時代にこそ「科学を俯瞰する哲学的視点」を
研究室の扉をひらいた臨床哲学
桐原 理学系の人たちのなかでもテクノロジストといわれる人たちからは、世の中をよくするんだ、よいことをしているんだという自負を強く感じます。だからこそ反省が働きにくい面もありますね。そうした意味では、科学哲学を含め哲学の分野から考えて発信することの重要性が増しているように思います。
野家 私もそう思います。最近は大阪大学の元総長の鷲田清一さんが「臨床哲学」を提唱しておられます。20世紀後半から21世紀にかけてさまざまな社会問題が出てくるなかで、これまで書斎のなかの学問だった哲学をもう一遍、社会の現場で鍛え直さなければならない。鷲田さんはそうおっしゃって、ケアや医療の現場など社会の最前線で悩みや苦しみを抱えている方々の声に耳を傾けて寄り添いつつ、哲学の見地から支援する活動をされています。現在は鷲田さんの意を汲んだ若い方たちを含めて、介護や教育、ジェンダーなどの幅広い分野で、当事者との共同研究を軸にさまざまな活動が行われています。鷲田さんは大阪大学大学院文学研究科の倫理学研究室を臨床哲学科と改称して再編成しましたが、理工系の学部にもこうした臨床哲学的なことを考え発信する部署を設けていかなければならないと思います。
桐原 鷲田さんは身体論の方ですから、身体を通じた倫理や哲学ということなのでしょうか。自然科学も身体を抜きにして語ることができませんね。
野家 こうした分野では、文系/理系という区別は次第になくなっていくべきだと考えています。大阪大学でコミュニケーションデザイン・センター(現在はCOデザインセンターに改称)のセンター長をされていた小林傳司さんが現在JST(Japan Science and Technology Agency:科学技術振興機構)に移られて、社会技術研究開発センターのセンター長をされています。彼は大阪大学工学部の大学院でゼミを担当して、社会で話題になっている具体的な問題についてSTSやトランス・サイエンスの視野から大学院生に考えさせる授業を続けておられました。こうした試みを普及させようという動きが少しずつ出てきていますから、それをきっかけに科学哲学や臨床哲学の重要性が多くの大学で認識されるようになり、少なくとも理工系学生には必修化するくらいの大胆な改革を進めることが必要だと思います。
桐原 私が技術に触れつつ覚えていた危うさや違和感は、やはり先生のおっしゃられたような哲学的なアプローチから払拭されるべきだと改めて思いました。技術の進歩は後戻りをしません。不安感や疑問を抱いたとしても立ち止まらずに先に進んでいってしまう。
野家 技術というのは、発見されたり発明されたりすると、それ以前には戻れなくなるんですね。そうすると、結局その新しいものをどう使うかという話になってきます。倫理や哲学というバックグラウンドがないと、その技術をどう使うかについて、きちんと筋道を立てて考えていくことができない。ChatGTPの問題をはじめ、今はそのような状況に入りつつあるのではないかと思っています。
桐原 お話を伺って、後戻りができないからこそ、今までの科学技術を反省したり、科学が輸入された経緯まで遡って反省したりということが、私たち日本人にとって重要なのだと思いました。そこは日本の近代化を反省したり見直したりすることとも通底しているように感じます。
野家 ただし最先端の物理学やエンジニアリング、生命科学を研究している研究者には、とてもそうしたことに割く時間的余裕がありません。1分1秒でも早く研究成果をネットにアップして競争者を出し抜かなければならない状況ですから、とても倫理や哲学などの周縁的なことまで考えていられない、というのが理系の研究者の本音だと思います。また若い方はそこまで手が回らないのが実状だと思いますから、やはりノーベル賞受賞者など影響力のある立場にいる方に、率先して反省的な視点を若い方たちに植え付ける活動をしてもらう必要があると思っています。