即興する心とAIの因果
第3回 “世界モデル”設計の不可能性と可能性

REVIEWおすすめ
著者 都築 正明
IT批評編集部

神経科学者にしてシリコンバレーの起業家であるジェフ・ホーキンスが2002年に著した『考える脳・考えるコンピュータ』は、階層モデルに基づく深層学習の進化に大きく寄与するとともに“世界モデル”に基づくAGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)の実現を示唆した。しかし17年を経た現在、彼は新たな理論のもとにそれを否定している。彼の到達した“1000の脳理論”とは。

目次

予測する脳と計算するコンピュータ

神経科学と人工知能の研究を行うヌメンタ社の共同設立ジェフ・ホーキンスが、サイエンスライターであるサンドラ・ブレイクスリーとともに著した『考える脳・考えるコンピュータ』(伊藤文英訳/ランダムハウス講談社)は、現在の深層学習に大きな示唆を与えてきた。ホーキンスは、科学とテクノロジーを架橋する興味深いキャリアを歩んだ人物だ。1959年にニューヨーク州に生まれ、科学誌「サイエンティフィック・アメリカン』の脳特集号を読んで脳の働きに興味を抱いたという彼は1979年にコーネル大学を卒業後、まずは資金とキャリアを築くためにインテル社のエンジニアとして勤務しつつ、同社に脳研究の部門を設立しようとするが却下される。同社を退社後に、MITの人工知能研究所への入所を試みるも失敗し、カリフォルニア大学バークレー校の博士課程で学んだものの、脳を学際的に研究することができず、シリコンバレーに戻り、1992年にパーム・コンピューティング社を設立し、モバイル・コンピューティングの嚆矢とされるPDA“Parm Pilot”を開発する。このビジネスの成功をもとに、2002年に大規模理論神経科学を研究するレッドウッド神経科学研究所を設立。2005年には同研究所をUCバークレーに移管して『考える脳・考えるコンピュータ』で展開した自己連想記憶理論に基づくソフトウェア開発を行うヌメンタ社を共同設立し、同社チーフサイエンティストを務めている。

同書では“真の知能”である人間の脳は膨大な記憶を基に未知のことを予測する能力を持つ一方、AIの“人工知能”はプログラムに基づいて動作する根本的に異なる仕組みで動いていることを主張する。特に人は脳の新皮質において現実世界の構造を記憶し、それを階層的に処理するアルゴリズムを持っていることが強調され、脳の本質を理解できない単純なニューラルネットワークモデルでは“真の知能”には到達できないと述べている。そして知能の本質は、記憶による予測の枠組みであり、新皮質は現実世界をパターン記憶して、それをもとに未知のことを予測する能力を発揮するとした。

ホーキンスによると、大脳新皮質は階層構造をなしており、知覚情報は下位層から上位層へ伝わるボトムアップの過程で抽象度を高め、上位層から下位層へのトップダウンによるフィードバックによって予測と現実の照合が行われるとされる。各階層構造においては、入力された知覚情報から時系列パターンを抽出→過去の記憶と照合して次の入力の確率分布を計算→予測と実際の入力との差異から誤差信号を生成→誤差信号を用いてシナプス結合を修正する――というプロセスが実行されている。例えば視覚情報処理においては、前回記した眼球のサッカード運動で断続的に得られた映像を、この時間的予測によって連続的な認識に変換しているとされる。このような生物学的なアルゴリズムを実装したニューラルネットワークモデルが、のちに多層ニューラルネットワークにおけるバックプロパゲーション(Backpropagation:誤差逆伝播法)として援用され、AIによる深層学習のブレイクスルーをもたらすことになる。

考える脳 考えるコンピューター〔新版〕
ジェフ・ホーキンス 著, 伊藤 文英 訳
ハヤカワ文庫
ISBN978-4150506018


1 2 3