経済学者・井上智洋氏インタビュー(2)
「デフレマインド」が阻む日本のDX

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

前回(1)は、技術者がテクノロジーの負の側面に目を向けない現状や、中国がAI大分岐によって日本はおろか欧米諸国を置き去りにするほどの成長をとげる可能性について話を聞いた。

ITは社会をさまざまに変えてきた。新たな企業が登場し市場を制覇する。わずか数年の単位でビジネスは様変わりしていく。しかし、残念ながら日本から新たなグローバル企業が登場したとは言い難い。むしろますます取り残されているようだ。

社会を変えたITはマクロな経済のみならず、企業会計や消費行動といったミクロ経済学も根本から変えようとしている。そこにはAIによって、気づかないうちに変えられる人の行動があるようだ。

2021年4月28日 東京・新宿にて

 

井上 智洋(いのうえ ともひろ)
駒澤大学経済学部准教授。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、IT企業を経て、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。2015年から現職。博士(経済学)。人工知能と経済学の関係を研究するパイオニアとして、学会での発表や政府の研究会などで幅広く発言。AI社会論研究会の共同発起人をつとめる。著書に『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)、『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』『純粋機械化経済』(以上、日本経済新聞出版社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)、『MMT』(講談社選書メチエ)などがある。

 

 

目次 (2)「デフレマインド」が阻む日本のDX

技術が加速する時代の恐ろしさ:「アニマルスピリット」と「デフレマインド」

デフレマインドの内面化:30年で失われたもの

アーキテクチャによる不正の抹殺:テクノロジー本来の社会性

 

 

 

 

 

 

技術が加速する時代の恐ろしさ:「アニマルスピリット」と「デフレマインド」

 

桐原 卵と鶏といった議論かもしれませんが、経済力があっての技術力なのか、それとも技術力があってこその経済力なんでしょうか? 

 

井上 これは両方がいい循環に入ってしまったら、グルグル回っていくんですね。今日(4/28)見たニュースでは、トヨタが研究開発に思い切って1兆円投資しますと言っています。一方でアップルがAIと5Gの研究開発に50兆円使いますという記事があって、象徴的でした。企業どうしがここまで研究開発で競争する時代もこれまでなかったと思います。以前は投資という言葉自体が新しい機械を導入する「設備投資」を指していて、それが競争の中身だったわけですが、今は投資といえば、研究開発にどれだけ投じられるかが勝負になってしまっている。そこが企業の命運を分けるようなっていて、これが本当に技術が加速する時代の恐ろしさだと感じています。お金をかけて新しい技術を生み出して自社の製品に搭載するというサイクルが重要で、それをGAFA は理解しているからAIに対してどんどん投資している。日本の大企業の経営者が「AIも大したことがないことがわかりました」なんて言っている間に彼らはガンガン投資していますから差がつかないわけがありません。

 

桐原 大手企業の経営層は頭からAIに対して懐疑的で、少しでも問題があるシステムならうちは使わないよという姿勢なんですね。「100%間違いのないものにしてから持ってこい」という感じです。これではAI導入なんて進まないですよね。

 

 

 

井上 企業経営者などがリスクを恐れずに積極果敢に投資する様を、ジョン・メイナード・ケインズは「アニマルスピリット」と呼んでいます。私はその正反対の精神を「デフレマインド」と勝手に呼んでいます。デフレ不況が長く続くと、企業も労働者もマインドが保守的になってしまって、攻めの姿勢がなくなってしまいます。労働者の側で言えば公務員志向が高まるというのが、デフレマインドが生み出した結果です。経営の側で言えば、「投資はしません」「賃金も上げません」「内部留保を確保します」というのが典型的なデフレマインドです。日本を復活させるためには攻めの姿勢が必要でAIもどんどん導入すべきだと考える人は少なくないのですが、日本がそもそもそういう保守的な国になってしまったのはなんでだろうという根っこのところを考える視点が必要です。

 

『雇用,利子および貨幣の一般理論 上下巻』(ケインズ 著 ・間宮陽介 訳・岩波書店)

 

 

 

デフレマインドの内面化:30年で失われたもの

 

桐原 「アニマルスピリット」を持つ経営者は多くはないでしょうね。10年ほど前からジョージ・アカロフとロバート・シラーの『アニマルスピリット―人間の心理がマクロ経済を動かす』が話題になったりしてましたけど。

 

『アニマルスピリット―人間の心理がマクロ経済を動かす』(ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー著/山形浩生訳・東洋経済新報社)

 

 

井上 昔は日本でも「アニマルスピリット」を持つ経営者が多くいたと思います。実は平成と言われる時代の30年間で、日本人の心がものすごく変わってしまったことに、私たち自身が気付いていないんじゃないでしょうか。この辺りは社会学者に研究してほしいと思うのですが、たとえば女子学生のリクルートスーツの色ひとつとってもずいぶん変わっているのですが、皆さん覚えていない。1990年ぐらいの就活生の写真を見ると、スーツが意外とカラフルなんです。それが徐々に色を失っていって、デフレが始まる1998年ぐらいには「喪服化」と言われていますが、真っ黒なスーツになって、シャツの襟の形などもみんな一緒になっています。最近に至っては髪型や化粧まで定型があってそれに合わせなければならないみたいな風潮ですよね。私は、これは心の保守性の象徴だと思っていて、個々の学生さんが悪いわけではなくて、世の中がそれを強いているに過ぎない。就職活動は減点方式なので、会社としてはすごく優れているかもしれない人を雇うことよりも、「こいつは入れちゃマズいだろう」という人を雇わないことに力を入れるんです。そうなると、学生の側も減点されないように考えるから、みんなと同じ格好をするのがいちばん楽なんです。

 

桐原 30年前はそんなにカラフルでしたっけ?

 

井上 写真を見て私も新鮮な驚きを感じました。でも、こういう変化が起こっていることに気がつかない。「デフレマインド」がすっかり内面化されている象徴ではないかと思います。公務員化が進んだのと軌を一にする話です。

 

桐原 著作のなかで「資産効果」にも触れられています。保有する資産に余裕があれば、支出も増えて、多様な事物に出費するようになる。資産がないから保守的な使い方しかできない。心とお金に余裕があったらもっといろんなことに冒険を厭わない「アニマルスピリット」につながるわけですよね。

 

井上 おっしゃる通りです。元ZOZOの前澤さんがお年玉で100万円を配っていました。その後の調査の仕事を手伝っています。わかったことは、お金があることによって、人々は気持ちに余裕ができたり、エンパワーされたりするということです。そのあたりの効果は、個人レベルで見れば懐に余裕ができると視野が広がるという行動経済学的な話になるし、マクロで見れば世の中に出回るお金の量を増やす経済政策が必要だという話になります。

 

 

 

アーキテクチャによる不正の抹殺:テクノロジー本来の社会性

 

桐原 「IT批評」のレビューにも書いていることなんですが、どんなマイクロなものであってもデータの軌跡を完全に記録できるブロックチェーン技術は、世界史的にも単式簿記から複式簿記に変わったときぐらいインパクトがあるんじゃないかと思っています。ブロックチェーンはリアルタイム性、データの堅牢性、検証性に優れていますから、企業会計に導入されればおそらく粉飾決算はアーキテクチャとして不可能になるのではないかと。

 

井上 なるほど、取引の履歴を全て公開して透明にすれば、経営者もいい加減な情報は出せなくなりますね。

 

桐原 12年前「IT批評」を創刊したときから、ITは社会のあらゆるものを再定義すると考えてきたんですが、ブロックチェーンも企業会計を再定義しうるものです。株式市場は常に信用に足る情報を求めていますから、フィンテックとしてブロックチェーンは普及するとしても、一方で経営者は歓迎しないかもしれません。複式簿記が発明されても、ごまかしがきく単式簿記にこだわった王侯貴族がいたように、です。

 

井上 私自身は、グレーゾーンがあることによって不正へのインセンティブがかき立てられる状況が嫌で仕方がないんです。税申告が最たるもので、あたかも上手に節税したことが経営手腕とみなされてしまうのはどう考えてもおかしいわけです。そんなことよりも真っ当に稼ぐ方に頭を使う方が何倍も生産的なのにと思います。自動改札ができてからは、キセルをする人がいなくなりましたが、はなから構造的にそういうことができなければ、やろうと考える人もいないので、いろんな面でそれこそIT技術が抜け穴を塞いでいくのはいいことだと思います。

 

 

 

桐原 グレーゾーンがあることによって人は倫理と損得の間で悩んでしまいます。アーキテクチャーで不正が抹殺されてしまえば、わざわざ無駄なコストをかけないですね。テクノロジーが本来的に社会性をもつのはこういう点かもしれないと思いました。

 

井上 ただ恐ろしい面もあります。東浩紀さんが15年ぐらい前に、自動改札はキセルをできる自由を奪っているんだと「ゾーニング」というワードを使って述べていました。私はキセルをする自由はさすがにない方がいいかなと思うのですが、今の中国では犯罪を犯す自由が奪われているという言い方ができるかもしれません。AIカメラが街角にたくさんあって全て監視されているので、反乱も起こせないですよね。10年前ぐらいまでは、農民反乱の話がよく伝えられていましたが、最近はそんな話もまったく聞かれないですが、やはり監視されていることによって反乱も起こせなくなっているかなと推測したりします。

 

桐原 著作でも、習近平はAIによって最も権力を増大させた政治家だと書いておられますね。

 

井上 AIをうまく使えば、ウイグルの人たちを抑圧できるし、まったく反乱も犯罪も犯せないディストピアをつくりだすことができるのかと見ています。もちろん犯罪はないほうがいいんだけれど、犯罪を犯せるような余白みたいなものが自由だったり社会のダイナミズムを生んでたりする部分もあるので、それを完全に鎮圧してしまう中国のような社会でいいのかというのは考えなければなりません。

 

桐原 まさに東浩紀さんがおっしゃっていた規律訓練型の権力から環境管理型の権力への移行をAIが実現しているということですね。

 

井上 行動経済学の「ナッジ」に対する批判にもつながる話だと思います。AIがナッジ的なことをやって知らない間に人を支配するということもあり得る話です。

 

桐原 AIはつい10年ほど前まで、論理や計算に強いルールベース型が主で、直感やひらめきといった思考に弱いと言われていました。行動経済学で思い出したんですが、ダニエル・カーネマンが提唱した「ファスト&スロー」で言うと、AIはファストな思考であるシステム1よりスローな思考であるシステム2が得意だったわけですよね? 大人にも難しいことが得意で、子供にも簡単なことが苦手だった。正解ではないけど正解に近いものを見つけ出すヒューリスティクスのような思考ができなかった。それが、最近はシステム1的な思考をするAIが登場しているとすると、論理では感知できないような方法で人を支配する可能性も感じます。

 

『情報環境論集 東浩紀コレクション』(東浩紀著・講談社)

『ファスト&スロー 上下巻』(ダニエル・カーネマン著・村井章子訳)

 

 

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