経済学者・井上智洋氏インタビュー(3)
「頭脳資本主義」の時代をいかに生きるか?

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

前回は、テクノロジーによる社会変革に取り残されつつある日本企業と、「デフレマインド」を内面化した私たちの生活がテクノロジーにどのように影響されるのかを話してきた。

インタビュー最終の今回は、単純な労働力の経済性ではない知的な生産力の経済性の社会である「頭脳資本主義」の時代の訪れについて訊いた。AI大分岐によって、先進国から脱落しうる日本において、次の世代はいかなる社会を生きることになるだろう。

AI大分岐による国家間の格差、頭脳資本主義による個人の経済格差など、“中間”や“平均”といった概念がまったく変わろうとしている。

しかし、次に来る社会では確実に人間とAIの格差は縮まるはずだ。問われているのは、AIとともにいかなる社会をつくるかということかもしれない。

2021年4月28日 東京・新宿にて

 

 

井上 智洋(いのうえ ともひろ)
駒澤大学経済学部准教授。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、IT企業を経て、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。2015年から現職。博士(経済学)。人工知能と経済学の関係を研究するパイオニアとして、学会での発表や政府の研究会などで幅広く発言。AI社会論研究会の共同発起人をつとめる。著書に『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)、『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』『純粋機械化経済』(以上、日本経済新聞出版社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)、『MMT』(講談社選書メチエ)などがある。

 

 

 

目次 (3)「頭脳資本主義」の時代をいかに生きるか?

AIの社会実装はなぜ進まないのか?:企業文化とDXのジレンマ

大企業がハマった罠:アライメントがモジュール化を阻む

「頭脳資本主義」の時代:実態なき平均が示す大格差

ディープラーニングの“人間力”: 匠の暗黙知はAIが継承する

 

 

 

 

AIの社会実装はなぜ進まないのか?:企業文化とDXのジレンマ

 

桐原 著書に書かれているAI大分岐ですが、これはAIが汎用性を獲得することが前提になっていると考えてよろしいですか? 

 

井上 そのあたりは少し自分の考えを修正しました。汎用AIができたら世の中がガラッと変わるだろうと見ていたのですが、どうも汎用AIの研究が目に見えて進んでいるように思えない。そこで、汎用AIをつくらずにどこまで生産活動を自動化できるのかと調べています。これは、金融・小売・物流・建設・農業・医療など業種ごとに早い遅いがあるので、分けて考える必要があります。たとえば物流だと日本政府は2030年までに完全無人化にするという目標に掲げています。私が検証した限りでは2030年に必要な技術がだいたい出揃うぐらいで、そこから普及するのに15年ぐらいかかるのではないかと見ています。ですから物流の完全無人化は2045年ぐらいかなと。建設はもっと難しくて、鳶職の人たちはとても不安定な場所で作業しているのですが、足下のバランスも難しいし手先の器用さも必要とされる仕事です。窓枠をはめるだけのロボットや鉄骨を組み立てるだけのロボットならできると思うんですが、鳶職の人がやっている一通りのことをできる建設現場用の汎用ロボットが現れるまでには2040年まで待たなければならないんじゃないかと推測しています。ただし、業種によって早い遅いはあるにせよ、自動化の方向に向かうのは間違いないことです。

 

桐原 AI大分岐でのテイクイフの時期について、中国と日本では20年ぐらい差がつくと書かれていますが、そんなに差がつくものですか? 中国で新しい技術ができたら日本でもすぐにキャッチアップしそうなものですが。

 

 

(『純粋機械化経済』より抜粋。井上智洋氏作成)

 

 

井上 技術の仕組みを学ぶのはすぐにできても、難しいのは導入です。技術がつくられてから導入されるまでの時間に中国と日本ではものすごい開きがあるなと常々感じています。そもそも日本はセルフレジの導入が欧米と比べても遅かったんですが、今でもセルフレジをあまり使っていないですよね。なぜ導入に時間がかかるかというと、経営者が「面倒くさい」とか「よくわからない」とか、「コストがかかるから」という理由で導入しない場合もあれば、「消費者の方が慣れないだろう」「使わないだろう」という理由で導入しないケースもあるんですね。

 

桐原 経営側からすると、AIに置き換わるからといって正規雇用の社員を辞めさせるわけにはいかないという点も見逃せませんよね。たとえば倉庫でのピッキングをAIによる自動化にと考えていても、ベテラン社員がいたりすると簡単にクビにはできず自動化を見送ったり。人が集まる組織の長として当然のことかもしれません。また、コスト的にも自動化より人を雇うほうが安かったりする。そうした事情が重なって、一旦、自動化を先送りすることに経済合理性があるようにもみえる。

 

井上 日本がDX全般で遅れている理由はいろいろ考えられますが、そのうちのひとつが終身雇用です。終身雇用というのは、人件費が固定費になってしまっていて、一度、雇った人をクビにできないのであれば、雇った人にそのまま作業をやってもらったほうが安くつくという構造なんです。人の代わりに自動機械を導入するなら安くなりますが、人はクビにできないうえに、機械を入れてしまうと、そのままコストが上乗せされてしまうのでそんな決定はできないわけです。だから、終身雇用をやめましょうと主張したいわけではないですが。

 

桐原 トヨタの社長が、エンジンの開発技術を枯れさせたくないから、そうそう全部電気自動車にするということではないと談話しています。雇ってきた人はクビにできないし、守ってきた技術も簡単には手放すことができないんでしょうね。人情としてはよく理解できるのですが。

 

井上 でも結局、方針転換せざるを得ないと思います。日本の自動車会社は2015年頃には、自動運転技術に強い抵抗感がありました。運転する喜びとかひっくるめて車をつくって売ってきたという思いが強かったからです。ところが欧米に遅れをとっていることがわかると、しばらく経ってから方針転換をしましたよね。みんなが自動運転のほうを向いたので、「ああ未来はこっちにあるのか」と気がついた。私みたいにはたから見ていても、なんでこんなに動きだしが遅いのかなと感じるところはあります。

 

 

 

 

 

大企業がハマった罠:アライメントがモジュール化を阻む

 

井上 これも2016年頃ですが、うちの大学から何人も大手銀行に採用されました。教員としてはありがたいですが、「これからAIの時代だっていうのにそんなに人を雇って大丈夫なのかな?」と心配になった。そうしたら、3年ぐらい経ってからようやくのこと、大手銀行が軒並み行員を減らすと言いだしました。大きな企業ほど慣性の法則が働いて方針転換しにくいのかもしれませんが、それが日本企業の大きな弱点だなと思います。

 

桐原 日本のものづくりにはさらに厳しい局面が待っていると予想されていますね。

 

井上 工業製品のコモディティ化が進みました。パソコンでも家電製品でもモジュールを組み合わせれば簡単につくれるようになりました。モジュールになっていれば全体を調整しながら組み立てる技術は不要になります。それで、発展途上国でも組立が可能になり、日本の製造業は軒並みダメになってしまいました。最後の聖域として残されていたのが自動車です。ガソリンエンジンの車の製造ではすり合わせ技術というんですが、部品同士の相互の影響を複雑に考慮しながらつくらなければならないから、いまだに組み立てには高い技術が必要です。ところが電気自動車になれば、部品の数も少なくなり組み立て自体もブロックを組み立てるみたいに簡単になります。シリコンバレーのベンチャー企業や台湾の小さな会社が自動車をつくることが可能になるので、トヨタや日産が車を作る必然性みたいのものが失われていくでしょう。

 

桐原 象徴的な話ですね。日本の企業では経営もアライメント(調整)が大事で、各部署ですり合わせて有機的に結合しましょうということでやってきたから、この部署が不要だからといってスパッと切り離すことができません。一部分を切り離してしまうと全体に影響が及ぶような仕組みになっているので、なかなか組織も変えられない。

 

井上 チームワークでみんなが有機的に結合してやっていく強みもあるのですが、オンラインには弱いですね。仕事の切り分けができていませんから。

 

 

「頭脳資本主義」の時代:実態なき平均が示す大格差

 

桐原 組織そのものもAIによって変わっていくだろうと思います。個々の働き方についてはいかがですか? 井上さんの教え子である20代の人たちも、20年後30年後の働き方がどう変わっていくのか興味があると思うのですが。井上さんは生き残るための3つの要素(クリエイティビティ、マネジメント、ホスピタリティ)を挙げていますが、AIで働き方はどういう方向に変わっていくと考えていますか。

 

井上 会社に勤めて平均的な給料をもらうというスタイルが成り立たなくなると思っています。所得の分布を見ても、普通は中間層が分厚くてヒトこぶのグラフになるはずなんですが、日本ではフタこぶになって、中間のところが凹んでいるという現象がすでに起きていて、しかもその谷がどんどん深くなっています。これはアメリカでも同じことが起こっていて、経済学者のタイラー・コーエンという人が『大格差(Average Is Over)』という本で書いているのですが、平均的な所得とか平均的な生活水準という考え方が成り立たなくなりました。

『大格差~機械の知能は仕事と所得をどう変えるか』(タイラー・コーエン著・池村千秋訳・NTT出版)

 

いま起きていることは、私は「頭脳資本主義」と呼んでいますが、企業の売り上げとか利益を決定づけるのは、労働者の頭数ではなくて、頭脳のレベルになりつつあって、その傾向はもっと進みます。頭脳を振り絞って高給取りになるか、社会的なニーズはあるけれども賃金の低い肉体労働につくかどちらかになりつつあります。そこは若い人は考えておいた方がいいと思います。そこそこの会社に入って安定した給料をもらうということがいつまで続くかわからないので、自分の強みを意識するだけじゃなくて、この職業はいつまであるんだろうということを考えてキャリアプランを練らなくてはいけない面倒臭い時代になっています。

 

 

(『純粋機械化経済』より抜粋。井上智洋氏作成)

 

 

桐原 AI自身がプログラムをつくりはじめるとエンジニアという職業も安泰ではないですね。

 

井上 今はシステムエンジニアやプログラマーは引く手あまたですが、プログラミングの自動化が広がれば、どこかで需要が減少傾向を辿る可能性はあると思います。ただし、技術ができてから導入されるまでのタイムラグが相当あると思うので、プログラマーの仕事がある日一斉になくなるなんてことは起こらないと思います。雇用というのは徐々に減っていくのです。既に減りつつあるのは事務職です。事務職に就くのは厳しくなっていて、有効求人倍率は高くないです。あとは、金融業に行く人は要注意でしょう。ITに強くて金融業を変革するぐらいの気持ちがあればいいでしょうが、銀行に就職すれば一生安泰という時代でありません。

 

 

ディープラーニングの“人間力”: 匠の暗黙知はAIが継承する

 

桐原 そのあたりの話は、今の若い人たちはテクノロジーが社会を変えつつあるという実感を持っているので、すんなりと理解できるでしょうね。むしろ40代50代は未だに人間力が大事だとか言いがちです。

 

井上 そうですね。面白いのは、60代70代で、これ一筋でやってきましたみたいな職人さんなんかは、そのまま引退してしまうと経験が継承されないので、それをデータ化してAIに再現させようという動きがいろんな業種で課題になっています。

 

桐原 面白いですね。これまでデータ化が不可能とされてきた彼らの持つ暗黙知がディープラーニングによって継承可能になったということですね。

 

井上 理屈ではなく直感でやっていた匠の技を人が習得しようとしたら何十年もかかるわけですから、AIが再現できるようになったのはすごいことで、まさにディープラーニングのおかげです。

 

桐原 NHK特集で将棋の羽生さんがアルファ碁の生みの親であるデミス・ハサビスと対談したときに、「将棋でいう直感やひらめきをAIは再現できないと思っていたけど、ディープラーニングは同じことをやっているような気がする」とおっしゃっていました。

天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る 

 

 

 

ビッグデータという経験によって実績をあげるAI

 

井上 人間の直感はそんなに神秘的なものではないかもしれませんよね。ただし、ディープラーニングで再現できたとしても、「なぜ」ということはAIにはわからない。結局ユニットとユニットが繋がるリンク部分のウエイト(重み)を増やしたり減らしたりしているだけなので、理屈が立てにくいんです。人が直感でやることを理屈で説明するのが難しいように、AIが再現したものも人は説明できないし、AI自身も説明できない。だからディープラーニングのなかで何が行われているのかわからないのでブラックボックスなんて言われてしまうんですね。20世紀までのAI研究は、人間が理屈を立ててそれをコンピュータが実装するものだと思っていたのですが、21世紀のAIは理屈が立てられないまま実装できるようになってしまった。ここが大きく違うところです。

 

桐原 演繹的に学習していたものが、膨大なビッグデータを経験のように帰納的に学習できるようになったわけですね。

 

井上 英語学習に喩えると、これまでのAIは文法をきっちり学んで文法通りに話すみたいなことだったのですが、実際、ネイティブの習得方法はそんなものではなく、耳から入ってきたものを真似して習得していきますよね。無意識のうちに帰納的な法則を見出して聞いたり喋ったりしています。そうしたネイティブの習得の仕方に今のディープラーニングは近いのだと思います。理屈で説明できないとAIはつくれないという思い込みがあったのですが、それがデータさえ集めれば理屈抜きでもAIは学習できるようになった。まるで「経験こそ力だ」という人生訓みたいなオチではありますが。(終)

 

 

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