経済学者・井上智洋氏インタビュー(1)
「中華未来主義」は誰にとってのディストピアか?

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

井上智洋氏は、AI研究者からITエンジニアを経てマクロ経済学の道へ進むという異色の経歴を持つ。2019年に上梓した大著『純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落』(日本経済新聞出版)では、AIの開発競争によって西欧の近代化以来の“大分岐”が起きると予測している。近代化によって西欧がアジアに先んじその後の世界のモデルになったように、次はAIの社会実装によって中国が先進モデルとなり新しい世界をつくるという文明史的なコンセプトである。

格差は広がり、これまでとまったく質の異なる失業が増加する。こうした時代に、私たちの社会はどこへ向かうべきなのか? 井上氏は以前からAIの成長と技術的失業をベーシックインカム(BI)と結びつけて論じてきた。

果たして警鐘が福音となる時代は訪れるだろうか? 新著『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)刊行目前の井上氏に話を伺った。(全3回)

2021年4月28日 東京・新宿にて

 

 

 

井上 智洋(いのうえ ともひろ)
駒澤大学経済学部准教授。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、IT企業を経て、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。2015年から現職。博士(経済学)。人工知能と経済学の関係を研究するパイオニアとして、学会での発表や政府の研究会などで幅広く発言。AI社会論研究会の共同発起人をつとめる。著書に『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)、『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』『純粋機械化経済』(以上、日本経済新聞出版社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)、『MMT』(講談社選書メチエ)などがある。

 

 

目次 (1)「中華未来主義」は誰にとってのディストピアか?

エンジニアから経済学者へ:技術的失業という問い

『ポスト・ヒューマン誕生』の衝撃:AIの先のBI

技術者は社会のネガティブな面が見えない:「ワクワク」だけでいいのか

技術による社会変革を知らない世代:50代以上には気づけない危機

「中華未来主義」と日本の没落:“ベンチャー国家”の成長スピード

 

 

 

 

 

エンジニアから経済学者へ:技術的失業という問い

 

桐原永叔(以下、桐原) 最初に井上さんの経歴について質問させてください。どういうきっかけでAIの研究に取り組まれて、またどういうきっかけで経済学に進まれたのか、その辺の経緯をお聞きできると、AIとマクロ経済を横断している井上さんの特異なポジションも理解できるのでないかと。

 

井上智洋氏(以下、井上) 大学は慶應大学の環境情報学部です。コンピュータサイエンスが専門で、AIを研究するゼミに所属していました。学生時代からプログラミングのアルバイトをしていたのですが、そのままバイトしていた会社に就職してシステムエンジニアを3年弱ぐらい経験しました。学生時代は、竹中平蔵先生のマクロ経済学の授業を履修した程度で、経済についてはそれほど関心がありませんでした。

 

桐原 どういうきっかけで経済学に関心を持たれたのですか?

 

井上 働いているうちに、自分がエンジニアに向いていないということに気がついて、どうしようかと考えていました。経済に興味を持ちはじめたのは、自分がつくっている経理システムによってたとえば経理に携わる人たちが失業するのではないか、便利なソフトやネットサービスが普及すればするほどいろんな分野で失業も増えるのではないかと考えたところからです。つまり「技術的失業」に関心を持ちはじめたのです。同時に、その頃(2000年前後)、日本はデフレ不況で経済が停滞していたので、素朴に「経済学者はいったい何をやっているんだろう? 彼らがちゃんとやらないからこんな状況になっているのではないか。だったら自分がやってみよう」と考えたのですね。

 

桐原 社会運動的な興味ですか?

 

井上 半ばそうですね。技術的失業とデフレ不況という二つが興味の軸にあって経済学を学び直すことになりました。

 

桐原 AIを突き詰めて経済学に行ったわけではないということだったんですね。

 

井上 その頃はAIのことは忘れていました。ちょうど「AI冬の時代」で、大学時代にAIやっていましたというと、ずいぶん時代遅れなことをやっていると見られていたんです。ですからAIというよりもITによる技術的失業に関する問題意識があって大学院に入り直しました。

 

 

桐原 著作には、社会学や哲学など多方面から引用されていますが、これは大学時代から親しまれていたのですか?

 

井上 大学時代に、授業ではコンピュータについて学びつつ、一方で哲学・歴史・文学などの実用性のない学問について個人的にのめり込んで本を読んでいました。私は自分のことを遅れてやってきたニューアカだと思ってまして(笑) 大学に入ったときに、その時点で10年ぐらい前の発行になる浅田彰さんの『構造と力』を読んで感動して、浅田さんや柄谷行人さんの本を読んでいました。その後、大学3年の時には柄谷さん経由でゲーデルの不完全性定理にはまってずっと数式とにらめっこしてました。

 

『構造と力――記号論を超えて』(浅田彰著・勁草書房)

『不完全性定理』(ゲーデル著・林晋、八杉満利子訳・岩波書店)

 

桐原 80年代、構造主義などのフランスの思想に影響を受けた新進の研究者たちが中心にブームになったニュー・アカデミズム(ニューアカ)にシンパシーを抱く人が、経済学では政策的にインフレーションを発生させるというリフレ派に近いお考えというのが意外でした。私自身もそういうリベラルな思想の影響をうけつつ、アベノミクスの必要性も理解しているつもりではあったのですが、言論として井上さんのような方が登場するのが意外だったんです。

 

井上 私が尊敬する浅田彰さんも、対談では景気を良くするためにお金をジャンジャン刷るなんてとんでもないって言っていました。自分のなかでは、ニューアカ的な考え方とリフレ的な政策が矛盾するとは考えてはいませんが。

 

 

『ポスト・ヒューマン誕生』の衝撃:AIの先のBI

 

桐原 AIに興味が戻るきっかけは何だったんですか?

 

井上 心のどこかではAIはすごいんじゃないか、人間の本質を捉えるものだとは考えていたのですが、その頃のAIでは何か面白そうなことが起こるとも思えなかったので、正直、関心が薄れていたのも事実です。経済学の大学院に行って、早稲田大学の助手になったぐらい、ちょうど2013年ぐらいに頭のいい友達がいて、レイ・カーツワイル の『ポスト・ヒューマン誕生』がすごいから読んでみろと言われて、仲間と輪読会をやったんですね。そこからやっぱりAIはすごいと再確認しまして、早稲田大学のワークショップで「AIを制するものは世界を制する」なんて発表して周りをポカンとさせていました。2016年以降の第3次AIブームが来るまでは誰もAIなんて見向きもしなかったんです。ただし、そのワークショップで一人興味を持ってくれた人がいて、それが今、日銀の副総裁をやっておられる若田部昌澄先生で、「君、面白いね」って言ってくださり、牛丼をご馳走してくださいました(笑) 若田部さんご自身がかなりのSF好きで、AIに関する論文集を出したときにも、過去にも自動化が進んで人の仕事がなくなるという議論があったことを物凄い量の文献をリサーチしてまとめていました。

カーツワイル経由でAIにまた興味を持ちはじめて、2014年ぐらいにSYNODOSに「機械が人間の知性を超える日をどのように迎えるべきか?―AIとBI―」というタイトルで人工知能とベーシックインカムを結びつけて最初に論じました。

 

『ポスト・ヒューマン誕生』(レイ・カーツワイル 著・井上健他訳・NHK出版)

『経済学者たちの闘い』(若田部昌澄著・東洋経済新報社)

SYNODOS(2014.12.16)井上智洋 機械が人間の知性を超える日をどのように迎えるべきか?――AIとB I

 

 

 

技術者は社会のネガティブな面が見えない:「ワクワク」だけでいいのか

 

桐原 エンジニアも含めてITビジネスに従事する人たちは、ITやAIで社会がどう変わっていくかという視点が不足しがちな印象があります。ビジネス領域が広がるとか、収益が上がるという話はしますけど、技術的失業とかテクノロジーが引き起こす社会問題については関心が薄いように感じます。いかがでしょうか?

 

井上 そうですね。確かにAIがもたらす社会問題の話をするとIT関連のビジネスマンの方に嫌がられたりしますね。そういうのはいいから導入の仕方を教えてくれと。むしろ、そういう話には政治家の方が興味を示しますね。なぜかと考えたのですが、ビジネスで秀でている人や優秀な技術者と話をすると、口癖のように「ワクワク」という言葉を使うんですね。常にワクワクを感じている人って、社会のネガティブな面が見えないし、見たがらない傾向はあると思います。私は自分を“陰キャ”だと思っているんですが、陰気なキャラの人の方がそういうことに気が付きやすいのかなと思います。私が技術者にもビジネスにも向いていないので学者になったのも、陰気な部分を持っている優位性を活かせるからという理由もあります。そういう面を全く持っていない人は逆に社会問題に気づきにくいので文系の学者には向かないだろうと思います。理系の学者はワクワクしていてもいいんだろうけど、文系の学者は技術革新に伴う失業や格差について目が行かないとまずいですよね。

 

 

桐原 技術者はともすると、「ドラえもんをつくりたい」「できたらすごい」って発想はあるけど、ドラえもんが誕生することの社会的なインパクトについては考えませんよね。

 

井上 特に負のインパクトについては考えないでしょうね。あるとき人工知能学会で、AIで雇用が奪われるけど、ベーシックインカムでなんとかディストピアをユートピアに変換しようという話をしたときに、かなりAIのネガティブな面に触れたので怒られるかと思いきや、「楽観的な話でよかったです」と言われて、びっくりしたことがあります。おそらく頭に入ってくる時点でネガティブな話もポジティブな話に切り替わっているんじゃないかとすら思いました。

 

桐原 ビジネスマンの好きな言葉に「パラダイムシフト」があります。IT分野は特にでしょうが、経営者はやたらと口にしたがります。どうも「商流が広がる」とか「ビジネスのプレーヤーが変わる」くらいの意味で使っていて、トーマス・クーンが提唱した際の社会や価値観が革命的に変化するという意味、つまり自分たちの立場が失われてしまうような危機感を背景にして使われることがありません。

 

井上 そういうことで言うと、ヨーゼフ・シュンペーターの「創造的破壊」という言葉もやたらとポジティブに受け入れられがちですね。でも、たとえばコロナ禍で企業が淘汰されていく状況においては、企業で蓄積されていた経験知や文化が一挙に失われてしまうので、これは危機的状況だと考えなければならないんです。景気が良いときにやっていけない企業が淘汰されるのはしょうがないことですが、大きな不況や災厄が来て淘汰される会社に対して、創造的破壊という言葉を用いて正当化するのは間違っていると思います。ビジネスマンのなかでもコロナをうまく乗り切っている人ほど、「政府の支援は必要ない」なんて言っています。自分が痛い目に合わないとわからないんですね。

 

 

技術による社会変革を知らない世代:50代以上には気づけない危機

 

桐原 これはひとつには文系と理系の考え方の隔絶に原因があるようにも思います。ただ、AIがこれだけ普及してきて、両者が歩み寄りはじめたと感じるんですが。

 

井上 そうですね。私の教えている経済学部のゼミでも、サブゼミでAIのプログラミングを教えるよと言うと、ちゃんと人が集まるようになりましたから。さすがに文系といえども技術について学んでおかないと先がないということは、特に若い人は感じ始めていると思います。それは今の50代、60代との大きな違いです。彼らは、技術がそれほど大きく社会を変える体験をしてきていませんから。私は1970年ぐらいに第2次産業革命の余波が完全に消滅したと思っています。第2次産業革命というのは内燃機関と電気モーターがカギとなる技術ですから、自動車を購入して家電製品を揃えた時点で完結したのです。それ以降は技術が停滞して、未来への技術的な希望がなくなって、テクノロジーは自分たちの生活を変えてくれないだろうという失望と諦めが広がっていったのが1995年ぐらいまで続いていたと思います。95年にwindows95が出てインターネット時代が幕を開けましたが、その辺りからITを軸に技術が世の中を変えていくという資本主義が加速した時期だと捉えています。今はAIとかブロックチェーンとか5Gとか、毎年のように続々と新しい技術が出てきていますが、こんなことは70年代、80年代にはなかったことだと思うのです。

 

桐原 確かに私たちの世代は、テクノロジーの行き詰まりを感じていたのかもしれません。継続的な進化しか想像できないというような。それに公害といった社会問題もあったせいか、未来が薔薇色という想像はしなくなっていたと思います。映画『ブレードランナー』が82年、『ターミネーター』が84年で、そのぐらいからディストピアとしての未来が扱われるようになっていることからも、私たちの世代のテクノロジー観はできているかもしれません。

 

 

「中華未来主義」と日本の没落:“ベンチャー国家”の成長スピード

 

井上 「ブレードランナー」といえば、あの映画で描かれていた世界はまさに今の中国を彷彿とさせるのですが、「中華未来主義」という言葉をご存知でしょうか? これは、未来は中国にあるというある種のオリエンタリズムの現代版というか、AI時代のオリエンタリズムで、欧米人や私のような日本人が、中国こそが技術的に発展して未来を先取りするんだという考え方です。中国人哲学者の許煜(ホイ・ユク)が、欧米人が中国を勝手にすごい国であると思っている幻想を指して「中華未来主義」という言葉を使って批判しています。

 

中国の「爆速成長」に憧れる〈中華未来主義〉という奇怪な思想 水嶋一憲 現代ビジネス2019/03/08

 

 

私自身は反動主義者でもオルタナ右翼でもないのですが、中国が未来を先取りしているという点については、幻想ではなく事実ではないのかと考え、『純粋機械化経済』という本においてもAI大分岐で真っ先にテイクオフするのは中国であると書きました。本当はこの本のサブタイトルも最初は「頭脳資本主義と日本の没落」ではなく、「中国の勃興と日本の没落」にしようと考えていたぐらいです。別に中国を称賛しているわけではなく、独裁国家の恐ろしさを感じているのですが、民主的でないからといって決して侮ってはいけないということを繰り返し強調したつもりです。今回の『現金給付の経済学』のなかでも、お金をばら撒いてまで日本経済を成長させなければならない理由のひとつとして、中国の脅威を挙げています。中国がもっと友好的な国であればのんびりしていてもいいのですが。いろんな意味で中国に対抗できる国になるためには、経済成長も必要だろうと思います。

 

桐原 前回の近代化の大分岐の流れのなかで、日本は先進国に入り、中国やインドは停滞を余儀なくされました。今度のAI大分岐では、立場が全く逆転して、中国やインドが先にテイクオフしてどんどん加速成長を遂げると書かれています。

 

 

(『純粋機械化経済』より抜粋。井上智洋氏作成)

 

井上 日本はAI後進国としてノロノロやっていくという未来が思い切り見えてしまっているので、かなり危機感があります。2016年時点ではそこまで差がつくとは思っていなかったんですが、ここ数年で私のなかで中国に対する見方がガラッと変わりました。

 

桐原 ついこの間、EUが画像認識について規制を強めると発表したときに、私の周りのAIコンサルをやっている人たちが、これでまた中国に勝てなくなると話していました。独裁国家で個人情報の取得に規制がなく、データ資源が取り放題なわけですから。

 

欧州が提案した「AI規制」の流れは、世界へと波及する可能性がある WIRED 2021.04.26

 

 

井上 中国って国自体がベンチャー企業のようなもので、別な言い方で、私は中国のことを「巨大なシンガポール」と呼んでいます。シンガポールは開発独裁で国自体がベンチャー企業であるかのように振る舞っていて、世界の優秀な人材を引っ張ってきて、瞬く間に一人当たりのGDPで日本を追い越して豊かな国なったわけですが、同じことを世界一人口の多い巨大な国でやろうとしているのが中国なんだと思います。問題になった「千人計画」にしても、まさに世界中の優秀な人材をお金で集めるという、どこかの企業がやりそうなことを国ぐるみでやっています。アメリカにはGAFAがあり、これはそれぞれがミニ国家みたいなものですから、アメリカ政府が頑張る必要はないかもしれません。でも、少なくとも日本は政府が音頭をとってもう少し頑張っていかないとどんどん置かれていくという危機感があります。

 

 

(『純粋機械化経済』より抜粋。井上智洋氏作成)

 

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