棋士とAI研究者 二つの顔を持つエンジニアが考えるAIと将棋の関係
――谷合廣紀四段インタビュー(1)

FEATUREおすすめ
聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

棋士でありながら、東大大学院生、AIエンジニアなど、複数のキャリアを実践している谷合廣紀氏に、AIと将棋の関係やエンジニアと棋士の共通点などについて伺った。人間の直感を、AIがもちうることができるのか。

2021年11月18日 株式会社トリプルアイズ本社ビルにて

 

 

谷合 廣紀(たにあい ひろき)

1994年生まれ。棋士(四段)。東京都出身。東京大学工学部電気電子工学科を卒業、同大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻博士課程に在籍中。自動運転ベンチャー「ティアフォー」のエンジニアとしても勤務している。2006年に新進棋士奨励会に6級で入会。2011年9月に三段に昇段し、2020年4月1日付で四段昇段・棋士となる。

著書に『Pythonで理解する統計解析の基礎』(技術評論社)がある。

 

 

【目次】

本当に将棋が好きになれるかどうかで強さに違いが出る

Pythonを使ったデータ分析の仕事からAIに興味を持つ

自動運転の物体認識領域でブレークスルーを目指す

メンタルを持たないはずのAIが直感的な手を指すようになった?

 

 

 

本当に将棋が好きになれるかどうかで強さに違いが出る

 

桐原永叔IT批評編集長(以下、桐原) 将棋は小さい頃からお強かったのですか。

 

谷合廣紀四段(以下、谷合) そうですね。小学生の高学年の頃には全国大会の東京代表になっていたので、同世代のなかではそこそこ強い方だったのかなと思います。

 

桐原 将棋の場合、覚えはじめの時点から強い人とそうでない人は差があるものですか。

 

谷合 最初の頃は本当に将棋が好きになれるかどうかで強さに違いが出るものだと思います。好きな人ほどどんどん伸びていくのかなと。

 

桐原 他のインタビューで、小学4年生で数学の面白さにも目覚めたとおっしゃっていますが、数学と将棋は共通点があるものでしょうか。

 

谷合 たしかに将棋が好きな人には数学が好きだという人が多いですね。具体的な共通点と言われるとちょっと思い浮かばないですが。まあ、論理的思考が鍛えられるという意味で、理系の学問とマッチするかもしれなというぐらいは言えるかもしれません。

 

 

Pythonを使ったデータ分析の仕事からAIに興味を持つ

 

桐原 コンピュータにはじめて触れたのはいつぐらいですか。

 

谷合 家にパソコンがあり、小学生の頃にネット将棋をやるために触ったのがはじめてだと思います。その後、ネットゲームにハマって、おかげでタイピングはすごく上達しましたが、パソコンの中身やプログラミングまでは興味が及びませんでした。最初にパソコンに触れたときには、すごく弱い将棋ソフトが入っていて、小学生の私でも勝ったり負けたりという力量でした。

 

桐原 『IT批評』が籍をおいているトリプルアイズ社の創業者が、昔やっていた将棋ソフトと久しぶりに指したら、劇的に強くなっていたことに驚いて、「いま囲碁AIに取り組まないと時代に取り残される」という危機感で囲碁AI研究を始めたと言っていたのを思い出しました。そんなに昔の将棋ソフトは弱かったのですね。

 

谷合 Bonanza(ボナンザ)が出てくる2006年以前の将棋ソフトはルールベースで手を組み立てていましたから、よくてアマチュア高段者ぐらいだったんじゃないかと思います。私が奨励会三段になったあたりから電王戦も始まって、だいぶ将棋AIも一般に認知されるようになり、周りの棋士も使う人が増えはじめました。私も将棋の研究のために将棋AIを使うようになったのは、奨励会で三段に上がってからです。Bonanzaが出てきた頃から強くなっていることは認識していましたが、いよいよ人間が将棋AIを参考にする時代になってきたと感じました。

 

桐原 谷合さんはご自分でも盤面の画像解析による棋譜の自動プログラムをつくっていらっしゃいますね。

 

谷合 2014年ですので、ディープラーニングがブームになる前です。学校の課題で、古典的なルールベースの手法を用いたプログラムで作成しましたので、今のAIの手法とはだいぶ違っていました。

 

桐原 そんななかで、受験勉強にも力を入れて東大に合格されるわけですが、大学に入って勉強しようと思うテーマが具体的にあったのですか。

 

谷合 特にはありませんでした。東大で得られる人脈は得難いものがあるだろうというのと、目指すならトップをと考えたことは確かです。AI研究に興味を持ったのは大学院に進んでからで、東京大学先端科学技術研究センター特任助教の辻真吾先生に出会い、Pythonを使ったデータ分析の仕事をいただいてからです。そこからAIに興味が出始めたというのがきっかけですね。学校の勉強と違って、企業のデータを使って分析するので、具体的に人の役に立つのが実感できたというのが大きいです。それと、世界的なデータ分析のコンペティションがありまして、他人と競うというのが好きな性分なもので、そこからハマっていったというのもあります。今はAIモデルもつくりますしデータ分析もします。あえて分類するならば「データサイエンティスト」という呼び名がしっくりくるなと思っています。

 

 

 

自動運転の物体認識領域でブレークスルーを目指す

 

桐原 谷合さんは、棋士と大学での研究、企業での研究と三足の草鞋を履いているわけですが、実際の働き方というのはどんな感じなんでしょうか。

 

谷合 企業のほうは、週に1回、しかもリモートで家からの参加なのでかなり自由にやらせてもらっています。

 

桐原 現在は自動運転の研究をなさっているということですが、具体的にはどういう研究でしょうか。

 

谷合 自動運転はさまざまなプログラムから成り立っているのですが、私がやっているのは、認識の領域です。自動運転車のルーフに乗っている「LiDAR(ライダー)」というセンサーに関わる部分に携わっています。LiDARで取得した点群から物体を検出する部分のアルゴリズムを書いています。いわゆる「3次元物体検出」です。カメラで取得した画像から、画像内の物体を検出する「物体検出」と似たようなタスクです。自分の車の何メートル先に他の車や人がいるのかといった認識をするアルゴリズムを書いています。

 

桐原 自動運転はAIのなかでもホットなトピックなので、研究のしがいがありますね。

 

谷合 自動運転はAIモデルのコンペティションもよく行われていますし、データセットも各自動運転の企業が大きなものを出していて、GoogleのWaymo(ウェイモ)だと1テラを超えるようなデータセットが公開されています。ただ自動運転も走る環境によって、それこそ日本とアメリカでは全然ちがってくるので、ティアフォーもそうしたデータセットをつくろうとしています。実際に公道を走ってとったデータも大事なのですが、それだけだと限界があるので、シミュレータ環境の活用も世界的に行われていることです。自動運転車と言ってもいろんなセンサーが考えられていて、どのセンサーがベストなのかは各社とも試行錯誤の段階です。センサーの構成を変えるごとにデータを取り直さなければなりませんし、認識のアルゴリズムの精度が上がった時に、実際に走らせた時にどれくらい変わるのかといったことは、その度に公道を走らせるわけにはいかないので、シミュレーター環境を活用することになります。

 

 

メンタルを持たないはずのAIが直感的な手を指すようになった?

 

桐原 将棋の対局も人間同士であるかぎりメンタルの強さが最終的な勝敗を分ける部分があるように聞いてますが、AIはメンタルに左右されることはありません。そこの違いはどうお感じになりますか。

 

谷合 たしかにAIはメンタルがないので、人と対局するのとは感じが違って、やりづらさを感じることはあります。人同士であれば局面ごとに相手の手応えみたいなものを感じることができます。同じ人同士でもネットで指すと印象が変わるということもあるので、対面では相手の発する雰囲気も情報として取り入れながら指しているのだと思います。特に何度も対戦している相手だと、癖を覚えていて、表情やしぐさから局面を相手がどう評価しているのか探るということは棋士なら普通にやっていることだと思います。

 

桐原 なるほど、そういう意味では盤上以外の豊富な情報をもとに棋士の方は勝負に臨まれているのですね。棋士のメンタルが、そうとう鍛えられているという印象もそこからくるものかもしれませんね。

 

谷合 そうですね。三段リーグの時にメンタルを削られる経験をくぐり抜けてきていますから。26歳までに四段に上がれればプロになれますけど、上がれなければそこで門が閉じられてしまうので、大変でした。棋士は三段リーグを抜けて来ているので、ある程度はメンタルが強いなのかなと思います。

 

桐原 メンタルもそうなのですが、人間とAIの大きな違いとして直感のあるなしと考えられていたように思います。ところが羽生善治永世七冠が、たしかディープマインド社のデミス・ハサビスからディープラーニングの説明を受けるなかで、AIも人間の直感に近い思考をするようになったのでは?と思ったと著書に書かれていました。

 

谷合 候補手をすべて探っていくと、数手先には何万手も選択肢が出てきてしまい、とても人間には扱えない数字になります。少なくとも私は局面を見たときにパッと候補手が3つぐらい思い浮かぶのですが、それを4手先まで延ばしても、選択肢は100ぐらいなのでなんとかなります。候補手を3つぐらいに絞るというのはやはり直感が働かないとできないことだと思います。AlphaZero(アルファゼロ)が出る前のAIというのは、すべての候補手を読んでいって、シラミつぶし的に最善手を探していくというスタイルでしたが、AlphaZero以降は人間と似たようなことをやっていて、良さそうな手を集中的に絞っていくというやり方に変わってきているので、そこが直感的と評されるのかなと思います。

→(2)を読む