ASI-Archが拓く創造と進化の時代
第2回 AIがAIを創る?──ASI-Archに沸く熱狂とその揺り戻し

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Author 伊藤 要介
IT批評編集部

ASI-Archは論文のタイトルに「AlphaGo Moment」と銘打たれ、そのインパクトからも研究者やメディアの間で注目を集めたようにも思えます。このネーミングは著者自身が選択したものですが、キャッチーなものとしては受け止められず、むしろ再現性、コスト、そしてAI自律性の意味をめぐる激しい議論に繋がる要素になったようです。本稿ではRedditやHacker Newsにおける論争を手がかりに、熱狂と懐疑が交錯する現状を3つの論点で整理してみます。

目次

コミュニティの反応──Redditなどで顕在化した熱狂の揺り戻し

「AIがついにAIを発明した」もしこんなニュースを耳にしたら、私たちはどのような反応をするのでしょうか。おそらく最初に訪れるのは驚きや興奮でしょう。「人間を超えた創造が始まったのではないか」という刺激は避けられないように思います。

2025年7月にarXivに投稿された論文「AlphaGo Moment for Model Architecture Discovery」は、まさにそのような刺激を多くの人々に与えました。1,773件もの自律実験を20,000GPU時間にわたって実行し、106個の線形アテンションを発見した。こうした数字が並ぶだけで、一種のブレイクスルーが起きたように感じるでしょう。

しかし現時点で私たちが目にしているのは、査読前のプレプリント、つまり確立した「事実」ではなく、あくまで途中経過に過ぎません。著者自身も「本論文はarXiv版のプレプリントであり、まだピアレビューを経ていません。発表者は『第一のASI』や『AlphaGo Moment』といった言葉は、他者による再現が取れるまではマーケティング用語だと受け止めるべきだ」と述べています。 このような“最終確定一歩手前”の段階にいるにも関わらず「AIがAIを創造した」というセンセーショナルな言葉が一人歩きし始めたのはなぜなのでしょうか。

arXivに投稿された論文に対する反応は、RedditやHacker News、LessWrongといったコミュニティに色濃く現れました。公開直後、「AIがついに発明者になった」という声が相次ぎましたが、それに続いて懐疑的なコメントが一気に押し寄せていました。

OpenAIやDeepMindでの経験を持ち、現在はMetaに在籍する研究者のLukas Beyer氏は、この論文のタイトルに掲げられた主張に対して即座に異を唱えました。彼はX(旧Twitter)上で「もし怪しい匂いがしたら大抵それは魚だ。私は魚が嫌いだ」と投稿しました。ユーモラスな表現に見えますが、背景には論文が過度に「臭い」、つまり胡散臭いという批判を感じざるを得ません。

また、別の専門家からは「debunked(反証済み)」という指摘も上がっていました。さらに、名の知られた研究者だけでなく、RedditやHacker News、LessWrongといったコミュニティでも、多くの技術者たちが熱狂に浮かれすぎず冷静さを保ちながら議論に参加していました。そこには単なる否定ではなく、「熱狂の揺り戻し」に近いものがありました。初期の興奮が少しずつ冷静な視点に置き換えられ「何が本当に新しいのか」を切り分けようとする議論が始まったのです。

3つの論点──比喩の妥当性・再現性のコスト・自律性の中身

「AlphaGo Moment」という比喩は過剰ではないか

囲碁におけるAlphaGoの“第37手”のような妙手と、ニューラルネットのアーキテクチャ自動発見とを同列に語ること自体に違和感があるという批評です。囲碁では勝敗評価のルールが明確であり、AlphaGoの場合はその評価関数も極めて単純でした。しかしニューラルネットのアーキテクチャ評価はノイズも多く、優劣が決定的に定まらない難しい問題です。こうした違いを踏まえ、「AlphaGo Moment」という比喩は過剰ではないかという声が複数上がっていました。

実際に、あるRedditユーザは「AlphaGoの“第37手”のような衝撃的な妙手になぞらえるのは飛躍ではないか」とコメントしています。また、Hacker News上でも「本当にAlphaGo級のブレイクスルーなら、著者自身がそう喧伝しなくても他者が自然と言い始めるはずだ。自分で”AlphaGo級“と名乗るのはむしろ怪しい」という指摘があり、自己喧伝の強さに違和感を持つ技術者は少なくないようです。

スケーラビリティと再現性の問題

ASI-Archでは1,733もの実験に約20,000 GPU時間を投入して成果を得たとしています。このような大規模な計算資源を投入できる機関は、世界でもごく限られた存在でしょう。コミュニティでは「この成果は真に汎用的なフレームワークなのか?計算資源を湯水のごとく注ぎ込んだから出せた特殊な例に過ぎないのではないか?」と言う根源的な問いが投げかけられていました。仮に巨額の予算と計算資源を投入しなければ再現も拡張もできない手法だとしたら、それは一般的な手法とは言えないのではないかという指摘です。

実際、Hacker News上では「より大型のモデルで同じ成果を得るのにOpenAIやAnthropic級の予算が必要だとしたら、得られるものは高コストすぎて、たかが知れている」とのコメントが寄せられていました。また、Redditの議論でも「もし真に自己改良型AI(RSI)が現段階で可能なら、こんな限られた計算資源の小規模チームからではなく、はるかに巨大な計算力を持つGoogleの“AlphaEvolve”のようなプロジェクトがすでに達成しているはずだ」との趣旨の意見が出ていました。要するに、ASI-Archの成果は計算資源に強く依存した特殊事例ではないかという懐疑です。突き詰めれば「誰もが再現できるわけではない成果を、どこまで一般化して語れるのか?」という視点が示されたと言えるでしょう。

「自律性」の中身は何か

ASI-Archの内部構成は、「研究者」「エンジニア」「アナリスト」という複数のLLMエージェントで構成されており、仮説の立案・検証・改良という一連のステップが組み込まれていると報告されています。しかし、それらが本当に“因果的な思考ループ”として機能しているのかには懐疑的な声がありました。つまり「なぜこの設計が良いと判断したのか」という説明可能性(Explainability)は果たされているのか、単なるブラックボックス的な大規模探索に過ぎないのではないか、という指摘です。

ある技術者は「この論文は文学的な演出に凝りすぎだ。コードを見たら冗談みたいな出来だった。そんな出来で本当に画期的な自己改良AIが達成できたとは思えない」と辛辣に評していました。

また別のコメントでは「ChatGPTに無数のアーキテクチャを吐き出させ、たまたま性能が良かったものを『発見』と言っているだけではないのか」という疑念も投げかけられていました。

さらに実務者からは「仮に制約(利用規約など)を取り払ったとしても、OpenAIやGoogleがこの手法をすぐ採用することはないだろう。一見うまくいっても、開発者自身がメカニズムを理解しきれていないAIモデルはリスクが高すぎる。標準的なケースでは動いても、想定外の状況でどんな不具合を起こすかわからない」といった指摘も出ていました。

要するに、ASI-Archが本当に“自律的な研究者”として因果関係を理解・説明しながら設計を行なっているのか、それとも単に大規模な試行錯誤(ヒューリスティックな探索)を自動化したにすぎないのか、現時点では判断がつかないという慎重な見解が示されています。

論点の行方──帰属と責任への接続

以上に挙げた指摘の数々は、決して粗探しのための批判の羅列ではないことは理解いただけると思います。むしろ共通しているのは、「何が新しく、どこから先が未踏の領域なのか」を丁寧に切り分けようとする建設的な営みです。

哲学者バートランド・ラッセルは随筆「愚者の勝利(The Triumph of Stupidity)」(『人生についての断章』所収・みすず書房)において「真に賢い者は疑いを大切にし、安易な結論に飛びつかない」と述べました。まさに疑問を呈すること自体が知性の現れであり、これらのコミュニティの慎重な声は決して単なる否定ではなく建設的な問い直しとして評価すべきものでしょう。

技術の将来的な可能性を語ることは大切ですが、その語りが“未来”に偏りすぎると、私たちはつい“現在の足元”を見失いがちです。幸いにも、Redditのような場で交わされる議論には、論文やプレスリリースだけでは拾いきれない温度差や、開発現場の感覚に根差した知見が詰まっています。このようなコミュニティの議論の場は、いわば「現実検証の部屋」として機能していると言えるでしょう。

今回見えてきた

  • 比喩の妥当性
  • 再現性とコスト
  • 自律性の中身

という3つの論点は、突き詰めると次の問いに行きつくように思われます。

AIが新しい設計や構造を生み出したとみなされるとき、その成果の「帰属」と「責任」はどこに置かれるのか。

です。もし不具合や損失が生じたら、誰が、どのような根拠で説明し、どういった手続きで正当化するのか。

  • 研究・企業・公共部門の間で役割とリスクをどう分有するのか
  • 知的財産の帰属はどう整理されるのか
  • 説明可能性(Explainability)をどこまで求めることができるのか

いずれも結論を急ぐより先に、合意の作法を整える必要がある話題ではないでしょうか。

次回は、ASI-Archの技術的な仕組みを具体的に見ながら、議論の背景にある実験や手法を確認していきたいと思います。

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