量子コンピューターを理解するための量子力学入門
第4回 量子コンピューターはパラレルワールドを使っている?──多世界解釈と観測問題
パラレルワールド仮説──多世界解釈入門
枝分かれる「猫が生きる世界」「猫が死ぬ世界」
実は量子力学の解釈の中には、状態の収縮(波の収縮)を考えないものもある。そのような解釈として有名なのが、いわゆるパラレルワールド(並行世界)の存在を仮定する「多世界解釈」である。多世界解釈の原型は、1957年にヒュー・エベレットIII世(1930〜1982)が提唱した。
多世界解釈に基づいてシュレーディンガーの猫の思考実験を考えてみよう。通常の解釈では、放射線が観測された瞬間に、原子核の重ね合わせ状態が崩れ、「原子核が崩壊していない状態」は消え去ってしまう。一方、多世界解釈では、観測前は「原子核が崩壊していない世界」と「原子核が崩壊した世界」が重ね合わさっていると考える。世界とは、観測者や実験室の外まで含めた、文字通り世界全体のことだ。重ね合わせ状態になっている世界どうしは互いに影響を及ぼし合う(干渉を起こす)ことができる。
しかし、一方の世界で観測が行われると(放射線がマクロな物体である検出器と相互作用を起こすと)、「原子核が崩壊していない世界」と「原子核が崩壊した世界」が断絶し(干渉を起こさなくなり)、独立した二つの世界(パラレルワールド)に枝分かれする。観測前の2つの可能性が、観測後も消えてしまうことなく存続しつづける、と考えるのが、通常の解釈とは異なるところだ。つまり、半死半生の猫といった状態を考えるのではなく、「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」が枝分かれして、ともに存在し続ける、と考えるわけだ(図2)。

図2. 多世界解釈に基づいた「シュレーディンガーの猫」・credit:Christian Schirm(CC0)
コペンハーゲン解釈では、量子力学に支配されたミクロな世界(「シュレーディンガーの猫」の思考実験における放射性物質の原子核)とは独立した存在として、「外部の観測者」を考えた。外部の観測者が行う観測によって、ミクロな世界で状態の収縮が起きる、と考えるわけだ。一方、多世界解釈では、観測者もミクロな世界と一体のものだとして、観測者も量子力学に支配されていると考える。多世界解釈では、状態の収縮を考えないので、ミクロな世界から独立した外部の観測者なるものを想定する必要がないのだ。
多世界解釈によると、可能性の数だけ世界が枝分かれして増えていくので、事実上、無限とも言える数のパラレルワールドが今この瞬間にも、同じ場所に共存していることになる。しかもそれぞれのパラレルワールドには、“別のあなた”が存在することになるのだ。私たちの人生がどこまで量子力学に支配されているのかは不明だが、全く違う人生を歩んでいるあなたも、そこには存在しているかもしれない。
枝分かれしたパラレルワールドどうしは完全に断絶してしまう。そのため、SFのようにパラレルワールドを行き来するといったことは残念ながらできない。パラレルワールドどうしは互いに影響を及ぼすことは一切ないし、パラレルワールドに情報を伝えるなんてこともできないのだ。
宇宙論との親和性:外部観測者のない初期宇宙に最適
あまりにも突飛な考え方なので、多世界解釈の支持者は当初は少数派だった。しかし、1980年代以降、物理学に基づいて宇宙の誕生などを解き明かす、宇宙論(cosmology)という分野の研究が活発になってくると、多世界解釈を支持する研究者も増えてきた。
現在の宇宙は膨張していることが天文観測から分かっているが、逆に言えば、過去の宇宙ほど小さかったことになる。時間を遡っていけば、宇宙が原子や原子核よりも小さかった時代があったことになるのだ。そのようなミクロな宇宙を理論的に扱うには、量子論4の考え方が必要になってくる。つまりミクロな宇宙自体の重ね合わせ状態を考える必要が出てくるわけだ。しかし宇宙に「外」はないので、宇宙から独立した外部の観測者は想定できない。しかし多世界解釈なら外部の観測者を必要としないので、ミクロな宇宙を量子論に基づいて扱うことができるのである。
物理学者に限らず、科学者たちが理論の善し悪しを判断する指針の一つに「オッカムの剃刀(かみそり)」がある。オッカムの剃刀とは、ある現象を説明するときに「仮定が少ない説明の方が優れている」という考え方だ。多世界解釈の支持者からすると、「状態の収縮」という仮定を必要としない分、多世界解釈は他の解釈より優れているということになる。一方で、状態の収縮を必要としない代わりに、無数の世界の存在を仮定するわけなので、多世界解釈に批判的な研究者からは不自然な解釈だとみなされている。
量子コンピューター発案者ドイッチュの支持理由<
量子コンピューターの概念の提唱者であるデイヴィッド・ドイッチュ(1953〜)は、多世界解釈の支持者として有名だ。ドイッチュに言わせれば、量子コンピューターが超高速で計算を行える理由は、たくさんのパラレルワールドで分担して計算を行っているから、ということになる(日本物理学会誌 Vol.59, No.8, 2004「二人の悪魔と多数の宇宙––量子コンピュータの起源––」古田 彩)。
量子コンピューターの量子ビットは計算の間、0と1の重ね合わせ状態になっている。例えば2個の量子ビットなら、「00の情報を表現している世界」「01の情報を表現している世界」「10の情報を表現している世界」「11の情報を表現している世界」が重ね合わせになっており、それぞれの世界で計算が進む。n個の量子ビットなら2n個の世界で同時並行で計算が進むので、計算が高速になる、というわけだ。
ただし、第1回「量子コンピューターを巡る誤解──量子コンピューターはなぜ『計算が速い』と言えるのか?」でも説明したように、量子コンピューターでは、多数の量子ビットの重ね合わせ状態を保ったままで計算を行った後、最終的に観測を行うので、得られる答え(多数の量子ビットによって0と1で表現された情報)は1つだけである。「パラレルワールドで行われた多数の計算結果がすべて同時に得られる」というわけではないことには注意してほしい。また、量子コンピューターの概念の提唱者であるドイッチュは多世界解釈の支持者だが、「量子コンピューターは多世界解釈でないと説明できない」というわけでもないので、そこも誤解のないようにしたい。