その声は、だれがどこに呼びかけるのか
第2回 「ケアの倫理」はいかに導き出されたのか
個人の自律を軸にした従来の発達理論に関わるなかで、キャロル・ギリガンは意見を求められて口ごもる女性たちの声に耳を澄ませた。家父長制のもとで沈黙を強いられた彼女たちのためらいや逡巡のなかに、古典派心理学では見逃されていた別様の発達の形があるのではないか――ギリガンの「ケアの倫理」はこうした問いから誕生することとなった。
目次
道徳発達理論と心理社会的発達理論はいかに形成されたのか
ハーヴァード大学で教職に就いていたころに、コールバーグと同じくギリガンに大きな影響を与えた同僚に発達心理学者であり精神分析家のエリク・エリクソンがいる。主著『アイデンティティとライフサイクル』(西平直・中島由恵訳/誠信書房)で提唱した「自分が何者であるのかを知る」ことで自己同一性を確立するというアイデンティティ理論とともに、自我発達を8つの段階に区分した心理社会的発達理論でも知られる人物だ。ユダヤ系デンマーク人として出生し、ウィーンでジークムント・フロイトの娘であり精神分析家であるアンナ・フロイトのもとで精神分析を学んだエリクソンは、ナチス政権を逃れてコペンハーゲンを経てアメリカに亡命して臨床に携わりつつ、エゴ・アイデンティティ・基本的信頼感の概念を提唱している。アイデンティティ概念の着想は、自我同一性の不全に悩む境界性パーソナリティ障害のクライアントに接するなかで得たものだという。
ギリガンは、少女を対象にインタビューを行うなかで、インタビュイーが精神分析療法でいう乖離症状に似た様子を看取したことから「ケアの倫理」への考察を深めることとなる。『精神分析事典』(小此木啓吾編集代表・北山修編集幹事/岩崎学術出版社)によると、乖離(dissociation)とは「精神が記憶や意識やアイデンティティ等を統合する能力が一時的に失われた状態」のことである。編集代表の小此木啓吾は精神科医・精神分析家であり、さきに挙げた『アイデンティティとライフサイクル』の初訳『自我同一性――アイデンティティとライフ・サイクル』の訳編者でもある。一般向けの著作も多く『モラトリアム人間の時代』(中公文庫)や『対象喪失: 悲しむということ』(中公新書)などで知っている読者も多いかもしれない。加えると、編集幹事である北山修もまた精神科医・臨床心理学者であるほか、かつて加藤和彦・はしだのりひことともに“フォーク・クルセダーズ”として活躍したのちに活動を続けるミュージシャン・作詞家でもある。
口ごもる女性たちのアイデンティティ
ギリガンが女性たちへのインタビューをはじめるきっかけとなったのは、2025年1月掲載の本連載「サイボーグ・フェミニズムの到来」でも記した1973年の“ロー対ウェイド判決”である。人工妊娠中絶について、アメリカ合衆国憲法により保障された権利として堕胎禁止を違憲とした判決について自分自身がどう考えるのかを聞いてみたところ、女性たちは「わからない」もしくは「適切な質問ではない」と回答するか、世間的な解釈を前置きとして答える、もしくは沈黙をおいたあとで個人の見解を述べるという反応をみせた。さきに述べた乖離症状に似た反応とは、公的な言葉と個人の言葉との間を逡巡する精神状態のことである。
話を前回示した「ハインツのジレンマ」に戻してみよう。ハインツが薬を盗むべきか盗むべきでないかを問われた、ともに11歳の少年ジェイクとエイミーの回答は典型的なものだった。ジェイクはこの問いに「盗むべきではない」と明言した後にその理由を述べる。ハインツの妻は薬がなければ死んでしまうが、薬剤師は1000ドルしか儲けられなかったとしても生きていくことができる。人の命はお金よりも重いのだから、そちらを優先するべきだ。薬剤師はそのうち1000ドルを儲けることができるが、ハインツは妻を取り戻すことはできないのだから、人の命はお金よりも重い。人はそれぞれ違うのだから、ハインツは妻を取り戻すことはできない。そのうえでジェイクはこうも付け加える「ハインツが捕まったとしても裁判官はその罪を軽くするべきだ。法律は人間がつくったものであり、間違いがつきものだ」――きわめて道徳的な、あるいは優等生的な意見である。コールバーグの定義に従えば、ジェイクは慣習的水準における第3段階から第4段階に至っているといえる。
一方、エイミーの回答はどうか。エイミーは、お金を借りたりローンを組んだりする方法もあるかもしれないので、ハインツが盗むべきではないとしたうえで、しかしハインツの妻も死ぬべきではないというどっちつかずの回答をする。盗むべきではない理由を尋ねると、彼女は「盗んだとしても服用方法がわからないかもしれない」「薬を盗んで妻が助かっても、ハインツが牢屋行きになったらそれ以降は薬を持ってこられない。命が助かったとしても、周囲から白眼視される」「薬剤師と話し合って、1000ドル分は後回しにしてもらえるかもしれない」と回答し、結局のところ「盗むのは悪いことだから」ということになる。エイミーの回答は、非論理的で情緒的と映るかもしれない。あるいはまた“女性らしい(feminine)”とも。少なくとも、ディベートや“論破”において有利だとは思えない。コールバーグの分類で彼女の発達段階をいえば、前慣習的水準における第2段階と、慣習的水準における第3段階を行き来している状態ということになるだろう。
道徳発達段階論でいえば、ジェイクはエイミーよりも1段階分道徳的に成熟しているということになる。しかしながらギリガンは、ジレンマを非暴力的に解決するとともに、ジレンマの状況を相手に説得的に伝えながら解決しようとするエイミーの立場は未熟には思えないとして、コールバーグの理論設計そのものを懐疑する。そしてまた、伝統的な道徳発達理論が称揚する正義を語る言葉とは異なる“もうひとつの声(different voice)”について考察し、その中核にある“ケアの倫理(an ethic of care)”を導出する。