人のパートナーとなるAIを探求する──慶應義塾大学教授・栗原 聡氏に聞く
第5回 来るべき共生社会を紡ぐヒューマンな知性と感性とは
研究とは未知のことを探ること
先生が、研究室をはじめ、さまざまな場面で人を採用する際に重視することはありますか。
栗原 最初に「あなたには、どんな野望がありますか」と聞いてみたりします。そこで「こういうアルゴリズムを提案して……」という細かなことを回答する方には、魅力を感じません。特異な回答を求めているわけではありませんが、なにか自分のしたいことがあって、そのために技術が必要なわけです。そうしたビジョンを語れない学生が増えている印象です。
若い研究員の方にお話を聞くと「あまり突き抜けた研究をさせてもらえない」という声も挙がってきますが……。
栗原 させてもらえないのではなく、もはやできないのかもしれません。そして、さらに悪いことには、指導教官や審査員も突拍子もないことを評価する能力が低下してきているように思えます。企業においてブレークスルーが起きないのは、まずリスクを恐れているからです。先日、中国の人工知能研究所DeepSeekが高精度の生成AIをリリースして話題になりました。実際のところはわかりませんが、約9億円のコストで開発できたと発表されています。日本の経済産業省はファウンデーション・モデルをつくるために膨大な資金を提供していますし、50億円あまりの開発費を投じている企業もあります。しかしDeepSeekのような成果を出す企業が出てくる気配はまったくありません。日本の場合は、アメリカで確立されたファウンデーション・モデルを使った小粒なモデルを使うことを前提にしていて、基本は後追いです。それでは、圧倒的なリソースのもとで貪欲に前進する米国に追いつけるわけがありません。中国はアメリカと対立関係にありますし、DeepSeekの人たちは、豊富な資金調達や高性能のGPUを用いることができないなどの厳しいリソースのもとで、アメリカとは異なる手法を模索してやってみないと分からないテーマに挑戦して成功したわけです。日本の場合には、そうしたチャレンジをする風土がありません。必ず成功するような研究は、本来は研究と呼ぶべきではありません。国の大きなプロジェクトでも、5年経てば事業化の目処がつくかどうかを聞かれます。未知のことを探る研究が、5年で事業化できるはずがありません。
桐原 私自身も就職氷河期世代に該当するのですが、多くのビジネスパーソンのあいだではデフレマインドが常態化しています。
栗原 「TEZUKA 2023」は経済産業省の所轄するNEDO(New Energy and Industrial Technology Development Organization:国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の事業でしたから、産業化や事業化をはかることは当然です。しかし文部科学省が所轄するJST(Japan Science and Technology Agency:国立研究開発法人科学技術振興機構)や科学研究費助成事業は、次の芽を育てることが本来の目的ですから、そこが産業活性や実用的な側面を意識してきているのはよくない傾向です。AIは工学であり、最終的には役立つことが求められることは当然ですが、面白さよりも直近の有用性を求めると、とりあえずのものしかできてきません。
先ほどDeepSeekが9億円で基盤モデルを開発した話がありましたが、子ども家庭庁が10億円を投じてNTTデータに任せて開発した“児童虐待判定AI”は、エラー率が60%を超えていて、採用が見送りになりました。胸ぐらを掴んで床に叩きつけても虐待である可能性が100点満点中2〜3点とスコアリングされてしまうというお粗末さで。これまでの先生の話でいえば、そもそも現場の虐待をどうにかすべきだという話になるかと思うのですが。
栗原 まったくその通りです。昨年、あるAI倫理に関する国際会議で犯罪者を検出するAIについて議論したときに、予定調和的な話題は、犯罪者を認識するAI技術の開発となりますが、フランスの女性研究者は「私ならば悪い人をなくすためにAIを使うことを考える」と指摘されて、ハッとしました。豊かな教育を実現するためにお金を使うにしても、それを投資として考えると6歳の子どもがお金を稼ぎはじめるのは10数年後のことです。そこに何十兆円もかることを日本の有権者が支持することは考えづらい。それよりも今の生活に振り分けることを望むでしょう。日本全体の構造的な問題なのだと思います。