マスメディアは何に負けたのか? インテリジェンス・トラップとメリトクラシーの地獄
第4回 能力測定社会がわたしたちを壊す

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著者 桐原 永叔
IT批評編集長

多様性というニヒリズムの入り口

近代の生きづらさについて、前回は、カール・ポランニーとフリードリヒ・ハイエクの思想的対比を眺めつつ、それぞれの理想から安定した社会制度の実現を目指し技術革新と試行錯誤を繰り返して進んできた歴史をみた。

政府の干渉を最小限にして自由市場を推進することこそ社会は自律的に安定すると論じたハイエクと、市場の自由化が社会の不安定を引き起こすと指摘したカール・ポランニーのそれぞれの思想は揺れ動きながら相互に影響をしあっているようにも思える。

ハイエクのいう自由市場は競争を求める。競争は革新を求める。革新には人の能力が不可欠であり、テクノロジーの進化はイノベーションの一大側面として絶対的なものになってくる。そうしてメリトクラシーは強化されていっており、わたしたちの疎外感と孤独感は深まっていく。

ところで、カール・ポランニーには高名な弟があった。物理学だけでなく経済学、科学哲学で業績のあるマイケル・ポランニーである。マイケル・ポランニーを有名にしているのは「暗黙知」の概念だ。

ニヒリズムを乗り越えるのもまた神

「暗黙知」とは“知ってはいるが言葉にできない”知識である。よく例にだされるのは、自転車の乗り方だ。自転車に乗ることができる人でも、それを言葉で説明できる人はほとんどいない。翻っていえば、言葉にできないことに知識や思考が潜んでいるということだ。

マイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』(髙橋勇夫訳/ちくま学芸文庫)の第1章で「私たちは言葉にできるより多くのことを知っている」と述べる。わたしたちはいつも言葉にできる以上のことを理解している。近代化によって、機械的な人間観や歴史観が科学そのものさえ依って立つ場を失うほど、思考の力を失いつつあるとマイケル・ポランニーは論じている。わたしたちは言葉にできない能力(暗黙知)によって、科学的な発見を導き、人間らしい社会を築いてきた。暗黙知を無視することは、そもそも知性の根底にあるものを否定することにほかならない。このあたりはベルグソンの学習Ⅲにも通底する考えのように思えるし、わたしが神秘主義哲学を持ち出して述べたこと(#46 テクノ・リバタリアンから神秘哲学へ)にも通じている。

マイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』の結論で、暗黙知として重要なもののひとつとして、キリスト教の伝統や信仰をあげる。近代科学が捨ててしまったキリスト教の伝統や信仰に価値を見出していた。科学的合理性にもとづいて価値の多様性や意味の相対性を認めることはニーチェのいうニヒリズムに陥る入口でもある。すべての事象に同等の価値があるとすれば、わたしたちは何も選べなくなる。それがニヒリズムのきっかけになる。

神の死によって現れたニヒリズムを乗り越えるのもまた神ということだと、マイケル・ポランニーはいわんとしているのではないのか。

暗黙知の次元

マイケル ポランニー(著)

高橋 勇夫 (翻訳)

ちくま学芸文庫

ISBN:978-4480088161

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