東京外国語大学大学院教授・中山智香子氏に聞く
第4回 人間社会にとってバーチャリティとはなにか
バーチャルという言葉を聞くと、私たちはリアルの対義語として捉えがちだ。しかし中山氏によれば、それはフォン・ノイマンとモルゲンシュタインの著した『ゲームの理論と経済行動』に頻出する言葉であり、現実に肉薄したものであることを指摘する。第4回では、実体のある世界に価値を付与するバーチャルなものについて語られる。
中山 智香子(なかやま ちかこ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。早稲田大学大学院経済学研究科理論経済学・経済史専攻博士後期課程単位取得退学。ウィーン大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(社会・経済学)。専門は思想史および経済学説、経済思想。近年は貨幣論と生態学経済の考察に注力。著書に『経済戦争の理論 大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房)、『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)、『経済学の堕落を撃つ 「自由」vs「正義」の経済思想史』(講談社現代新書)、『大人のためのお金学』(NHK出版)、『ブラック・ライヴズ・マターから学ぶ アメリカからグローバル世界へ』(共編、東京外国語大学出版会)など。
目次
自由という言葉の意味するもの
ガルブレイスのテクノストラクチャー × ノーラン・チャート
都築 正明(以下―)ガルブレイス1が『新しい産業国家』で指摘したテクノストラクチャーを、国家の介入を横軸に、テクノロジーの規模を横軸にして図示してみると、同じく国家の介入を横軸に、経済的自由を縦軸においたノーラン・チャート2の経済的自由の軸がテクノロジーの規模にキレイに置き換わります。
中山 そうなんですよ。かつて貴族に対抗していたブルジョアジーが、資本家と同じ位置を占めるというように経巡っていきます。先端技術が構造全体を引っ張っていく構図は、これからも続くだろうと予測できます。
ビッグテックと“ポストモダン”自由論のねじれ
反権力・反権威を出自とするアメリカのビッグテックの大物たちが、ドナルド・トランプのような人を支持して政治を牛耳ろうとする。
中山 実業家出身で、ダークサイドを引き受けるようなところが、ドナルド・トランプが人気を獲得する理由ですね。多くの人が「トランプなんて……」と言いながらも投票したのが2016年の経緯でした。
その行動を焚きつけるためにケンブリッジ・アナリティカが情報操作をしていたというのが、皮肉なところです。
リベラル⇔ネオリベラリズム⇔リバタリアンの系譜
中山 今回の大統領選の水面下で、そうしたことが行われていないとよいのですが。
いまは“自由”という言葉が多義的になりすぎて、なにを示すのかが不明瞭です。リベラルというのは福祉国家を目指す左派の言葉でしたし、リベラリズムというのは“寛容と介入”を是とする立場でした。それがネオリベラリズムと称されると市場原理主義として国の関与を最小限にする右派的な言葉になります。さらにリバタリアンというと、弱肉強食の自由競争を是認する立場です。リバタリアンには、かつてはアナキズムを指す言葉だった自由至上主義という訳語が充てられるようになりました。
中山 おっしゃるとおり、リバタリアンを含むノーラン・チャートからみると、いまは右派しかいないようにみえます。ガルブレイスはテクノストラクチュアにおいては、社会主義や共産主義といった異なる政治体制においても、異なるものの見方があるとは考えていなかったわけですが、現在のような状況を想定してはいなかったでしょう。実際に、権威主義国家がベタに公正を意識しているかというと、まったく違うわけですし。
桐原永叔(IT批評編集長) 歴史を概観すると、いつも人々は自由を求めますが、自由が徹底されると競争に敗れた落伍者が出てきて規制を欲します。そこからファシズムや共産主義への流れが発生します。ファシズムも社会主義を名乗って出てくるわけですし。そうした独裁からの揺り戻しとして自由主義がやってきて、その自由のうえでテクノロジーの研究開発が進み、その成果を利益化していこうというシュンペーター的なアントレプレナーが出てきているのが現状ではないかとみているのですが、先生はどうお考えでしょう。
中山 まったく同意です。新しいテクノロジーを社会がどう受け止めるかという点に至ると、それがどう儲かるかということに回収されてしか社会性を持ちえなくなっています。社会のために役立たなければテクノロジーは意義を持ちませんが、なぜか利益の部分に落ち着いてしまう。ビットコインについても、どれだけ儲かるかという話に終始することを問題視しても、残念ながらそれ以外の受容はありえなかったというのが私の認識です。
貨幣という形態をとっている時点で、バーチャルであろうと市場というフィクションのなかでしか通用しないということですね。
中山 メタバースも含めて、人間社会にとってバーチャリティとはなにかを捉えようとすると、経済学者である私としてはゲーム理論を研究するなかで考えたことに立ち返ることになります。フォン・ノイマンとモルゲンシュタインが著した『ゲームの理論と経済行動』には、バーチャリティやバーチャルという言葉が頻出します。この言葉は、それまであまり見ることがない言葉でした。ノイマンとモルゲンシュタインの議論の中では、従来の価格理論でいう需要と供給の値切りの駆け引きにおいて、バーチャルに買い手が現れることで価格設定の幅がさらに狭まるという論を展開しています。“いないけれどいる”という存在が現実に関与することに、私は大きな知的刺戟を受けて、バーチャルな世界が現実社会にとって持つ意味を考えてきました。お金の実質はバーチャルなところにしか存在しえない、つまり価値の世界はバーチャリティに依拠しているのだと思います。経済は、物質世界を捨象しては存在しえませんし、人間も肉体を持つ有限な存在だからこそ生命があって、そこでさまざまなことが起こり得るから面白いのですが、それがすべてではありません。そこで“ないけれどある”ようなものが、さまざまなかたちで現実世界にコミットしてくるわけです。それがバーチャルなものに人々が惹かれる理由だと思います。
抽象化されていて、行動変容を促すものということですね。
中山 バーチャルという言葉はリアルの対義語として理解されがちですが、現実にバーチャルなものが展開されるうえではリアルに肉薄します。そこがバーチャルな世界の真骨頂だと思います。そこで、VRやメタバースのようなバーチャルなものが現実をサボタージュする側面を持っていてもよいのですが、ただ経済学者としては、すべてがそうなるべきではないと思います。
炭鉱のカナリア”を保護するシステムをつくる
アナルコ・キャピタリズム vs. 脱国家論のジレンマ
先生も同様かと思いますが、若いころにポストモダン思想に感化された身からすると“脱中心”や“脱中央集権”と聞くと……。
中山 グッときますよね。しかしフリードマンの孫であるパトリ・フリードマンの掲げるアナルコ・キャピタリズムのようなリバタリアンたちは、テクノロジーにも精通しているスーパーエリートであり、自由と財産が確保されているなかで活動しているので、どうしても現実的な思想とは思えません。一方、たとえば松村圭一郎さんが『くらしのアナキズム』(ミシマ社)で書かれているような、ジェームズ・C・スコット*3の脱国家論などを意識した、変革をめざさないアナキズムも、共感はできるのですが、その先のビジョンが見えづらい気がします。
制度として担保すべき“疑義申し立て”の仕組み
わずか2年半で解散した柄谷行人のNAM(New Associationist Movement)の前例もありますし。
中山 もっとも、そこには結局、可能性がないとしてクリエイターやアクティヴィストのふるまいが低く見積もられることにも問題があると感じます。秩序の名の下にささやかな創造性の芽をつぶして体制を強化しようとする人たちもいますから。テクノストラクチュアの構図では、だれも責任を取らない状態に進んでいきます。そこで確保しなければならないのは、疑義を申し立てる“炭鉱のカナリア”を保護することです。デジタルの世界でも、悪しきものが強度を持って、多くの人々がそこに染まってしまう傾向があります。したがって、そうした流れに歯止めをかけたり、ストラクチュアに対し必要なときに破れをつくろうとしたりする力は、担保されなければならないと思います。
その構造を外から見られるようにして、声をあげた人たちを黙殺しないしくみですね。
中山 人々の善意や良識だけにまかせておけるほど私たちは無垢ではありませんから、システムとして確保することが重要です。
テクノロジーの世界でも経済の世界でも、人文知の役割がいわれていますが、それがナイーブな受け取り方をされている気もします。ロバート・シラーは『< a href="https://amzn.to/3IdO3W8" target="_blank">アニマルスピリット』(東洋経済新報社)で主流派経済学を批判したのちに『それでも金融はすばらしい』(東洋経済新報社)で金融関係者を鼓舞し、続刊『ナラティブ経済学』(東洋経済新報社)では物語が経済効果に大きな影響を及ぼすとしています。
中山 AIにもストーリーが必要だという話がなされますが、理論的な行き詰まりがくると、それを繕うために人文知がもてはやされるのかもしれません。経済をめぐる知についていうと、さまざまな人が現状をなんとかしなければならないと考えつつも、なかなか進まない状況だと思います。2年前に『経済学の堕落を撃つ』というタイトルの新書を出したことで、経済学者の友人らには「叱られている気がした」と言われましたが。
内容を読むと、経済学批判でないことは明らかですよね。前著『経済ジェノサイド』もそうですが、あとがきでは柔和な人柄が伝わりますし。
中山 怖い人だという先入観を持たれがちで、実際に会うと驚かれます。
*3 ジェームズ・C・スコット(1936-2024)。アメリカの政治学者、人類学者。東南アジアの農村社会における叛乱・抵抗についての研究、農耕社会と国家を形成しない社会の研究、無政府主義研究で知られる