東京外国語大学大学院教授・中山智香子氏に聞く
第3回 仮想通貨が示唆する貨幣の正体
貨幣とはなにか――自明のようにみえるこの問いに答えることは、じつは難しい。中山氏は、ビットコインをはじめとする仮想通貨をめぐる議論から、貨幣と市場との矛盾や国家が通貨発行権を独占しようとする意図がみえてくると指摘する。
中山 智香子(なかやま ちかこ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。早稲田大学大学院経済学研究科理論経済学・経済史専攻博士後期課程単位取得退学。ウィーン大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(社会・経済学)。専門は思想史および経済学説、経済思想。近年は貨幣論と生態学経済の考察に注力。著書に『経済戦争の理論 大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房)、『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)、『経済学の堕落を撃つ 「自由」vs「正義」の経済思想史』(講談社現代新書)、『大人のためのお金学』(NHK出版)、『ブラック・ライヴズ・マターから学ぶ アメリカからグローバル世界へ』(共編、東京外国語大学出版会)など。
目次
ビットコインの包含していた可能性
都築 正明(以下―) 『経済ジェノサイド』では、アイスランドの国家破産について、貨幣と金融市場との矛盾を示す典型例として記されています。
中山智香子氏(以下中山) 投機それ自体は悪いことではありませんが、多くの場合、度を越してしまいます。お金が1人歩きしてしまうことを懸念して、戦後の金融システムは1国1貨幣という制度を堅持してきました。しかし金融家たちは、稼ぐ余地が少ないので不満を抱くわけです。そこではユーロダラー――アメリカ国外で流通するドル――という、事実上は異なる貨幣が密かな賛同を得て増大し、人々が固定相場制のロジックを逸脱していきます。それがブレトン・ウッズ体制が終結した一因だともいわれていることを書きました。すると友人――成城学園高校時代の国語の教師の周辺にいた友人の1人です――が、『経済ジェノサイド』を読んでくれたという人を紹介してくれました。それがデジタル通貨の研究をされている斉藤賢爾さんだったのです。
初期からデジタル通貨とP2Pの研究をされていた方ですね。
中山 そうなんです。「ビットコインを知っていますか」と尋ねられて、知らないと答えたら「これはテーマとして面白いから、絶対に知っておいたほうがいい」と、レクチャーしてくれました。かれ自身も仮想通貨を構想して設計をしていたそうですが、自分を利するような開発をしてはいけないと考えていたそうです。そしてビットコインが登場したときに、人々の儲けたいという心理を組み込まなければ仮想通貨は広く流通しなかったということに気づいたそうです。私もその話を聞いて、腑に落ちるものがありました。
マイニングができるというゲーム性もありますしね。
中山 そうですね。古くはユーロダラーに手を出していたような投資家が、規制を逃れるべくタックスヘイブンを活用するのですが、タックスヘイブンに対する規制は次第に強くなり、そのリスクを避けるには、物理的な場所ではなく、ビットコインのようなかたちで仮想空間に貯蔵をするほうが合理的だということになったのでしょう。実際、ビットコインが実現した後に広く普及したきっかけは、タックスヘイブンであったキプロスに規制の手が及びそうになったときであったといわれています。ビットコインはお金の持ついくつかの側面を持ったことで、多くの人が飛びつくことになりました。投機のメカニズムでテクニカルに儲けて価値貯蔵することができますし、支払手段としては、当事者間の暗号認証だけで行うことで、取引手数料を省くこともできます。ビットコインが考案された当時、不正な取引を防ぐための規制をかけることで取引手数料は膨大にふくれあがっていましたから。また、匿名性が確保されるということも大きかったのだと思います。取引履歴を確認することはできるものの、取引当事者である個人や組織について瞬時に特定することは困難です。そのあたりは開発者であるサトシ・ナカモトがこだわった部分だと思いますし、多くの人々が利用した理由だと思います。そこからインターネット上の取引については、取引のアリーナの一部がビットコインに移動するわけです。
外形的にはオンライン市場取引のオルタナティブが形成されるわけですね。
中山 国境を越えることに制約がなくなるわけですから、むしろメインになる可能性もあります。東京都内の杉並区に住んでいる人と世田谷区にいる人とがオンラインを介して国外で取引することも可能ですし、それが海外の人と国内の人であっても変わりません。そのように貨幣や国家の規制から自由な取引が、サトシ・ナカモトや斉藤さんのような方々が構想した、テクノロジーを用いて実現するアナーキーなオンライン市場取引だったわけです。
ネットカルチャーの黎明期からある、脱中央集権的なマインドですね。
中山 DAO(Decentralized Autonomous Organization:分散型自律組織)による分散型民主主義のような統合的なものとして大上段に構えるのではなく、シンプルに権威への信託をなしで済ませる1対1のフラットな形態の誕生を期待していたように思います。
ビットコインは“暗号資産”として課税対象に
一方それがアンダーグラウンドな経済との親和性、ひいては兌換性を持つことにもなり、ダークな印象を持たれた面もありますよね。また、情報の非対象性があるという意味では“市場の失敗”に依拠しているところもあります。
中山 だれもがマイニングをできるわけではありませんし、中国が早い時期に目をつけて独占に近い状態にしたこともあります。早い時期にマウントゴックスが破産して以降、取引所についても多少慎重になったとはいえ、いまや類似の暗号的支払手段が数え切れないほどある状況です。日本でも2017年からビックカメラがビットコインでの決済を導入しました。小規模な投資と決済手段という位置づけだったビットコインがメジャーになったことから「あれは貨幣ではない」という言説も強くなっていきました。当時の日本政府の見解は「ビットコインはモノである」という、思わず「モノじゃなくてデータだよ」とツッコみたくなるようなものでした。そしてG7など国際的な舞台での議論を経てビットコインなどの“仮想通貨”には“暗号資産”という名前がつけられ、通貨ではなく資産として課税の対象になりました。
エルサルバドルでは、2021ビットコインが公式の通貨の1つになりました。大統領のナジブ・ブケレには、自国を南半球の情報産業のハブにしようという野心があるようですけれど。
中山 私もその報道をみて、驚きました。その後、少し前の新聞(朝日新聞2024年6月11日)では、日本の大学生サークルが国際貢献としてエルサルバトルの人たちにビットコインのつかい方を教える記事が“いい話”として掲載されていて、さらに驚きました。無垢な学生が目をキラキラさせて「途上国の人たちを笑顔にしたいです」というような一般化がなされている。もちろん各国や国際社会でも暗号資産の展開やブロックチェーンの活用を看過できなくなって、ここ数年はCBDC(Central Bank Digital Currency:中央銀行デジタル通貨)の導入が進んでいます。現行の貨幣を束ねている機関がブロックチェーンの技術を使うというだけでは、あまり意味がないとは思うのですけれど。
そこに通底した話が「IT批評」の取材でもよく聞かれます。5GであれChatGPTであれ、テクノロジストやアーリーアダプターはみんなユートピアを語ります。しかし民主化する過程では美少女のイラストを描くためにChatGPTを使うとか、AVを観るためにビデオデッキが普及したのと同じような力学が必ず働きます。ビットコインについても、投資して儲けるには信用できる人がバックにいてほしいという、ビットコインの描いたユートピアとはまったく遠いものになってくことが繰り返されています。楽天が取引を担うのであれば、ビットコインの意義はどこにあるのだろうと。
中山 仮想通貨を資産の1つの選択肢にしてしまうことで、潜在的な破壊力を削ぐことになります。CBDCを推進している人たちは、中央銀行が保証する、ダークなイメージのない支払手段の選択肢をつくり、それを逸脱する動きを規制しようとしているように見受けられます。推進の理由として銀行業務の負担軽減も挙げられていますが、仮想通貨が本格的に普及したら、銀行は究極的には存在意義を失うことになります。ビットコインが普及したのは2014年ごろからですが、金融経済の関係者は、ずっと仮想通貨がなくなることを主張しつづけています。しかし実際には一向になくならず、仮想通貨は姿かたちを変えつつずっと存続しています。仮想通貨のなかでもLibraの存在は大きかったと思います。Libraの前史は長く、2000年前後にFacebookがインターネット取引の仮想通貨発行を構想したことにはじまります。2019年には、ドルやユーロ、円などの主要通貨の預金と短期国債などの資産を組み込んだ“バスケット”を準備して、そこに連動させることで既存通貨にペッグした一種のステーブルコインとして価格の安定をはかることを表明し、安全性をアピールしました。そして新興国などの銀行口座は持っていないけどFacebookは利用しているという層と、VISAやMASTER、eBayといった決済サービスをつなぐことで、新興国の人たちを金融的に包摂できるというビジョンを打ち出しました。
マイクロファイナンスのような途上国支援の意義もあるようにみえます。
中山 Facebook側に儲けようという意図があったことは間違いありませんが、善意のビジョンは嘘ではなかったと思います。しかし家計というものは人々の暮らしに根づいたものですから、そこが大きな規模でユーザーを持つFacebookの決済システムに置き換わってしまったら国際金融機関でもかなわないかもしれない。Libraのホワイトペーパーが出されたとき、G7やG20が、それこそものすごい勢いで一斉にLibraを非難しはじめました。するとVISAやいくつかの企業が撤退し始め、次第に失速して結局2020年のLibra発行は実現せず、Diemと改称してプロジェクトが進んだものの、2022年には断念することとなりました。とはいえ、先端テクノロジーには、国が抑えておきたくても、そこには収まらない部分が必ず出てきます。仮想通貨をめぐる国家の反応、とりわけLibraからDiemになってやがて潰えたストーリーをみると、既存の金融システムを保守するロジックのほころびを露呈する力を持っていることがわかります。またWikileaksでは、国家やシステムの秩序を支える人たちの、とりわけ貨幣や金融についての不正をリークすることで曝くという、情報の力が示されました。Wikileaksが注目されたのも、タックスヘイブンで租税回避をしていた著名人のリストがきっかけでしたから。
欲望の充足手段としての経済とテクノロジー
先生は、合理性を追求するフマニタス(Humanitas ラテン語源:文明的人間)の人間観にたいして、サイバネティクス的なアントロポス(Anthropos ギリシャ語源:人類学的人間)の視点から批判されています。フマニタス的な権力構造の誤謬を糺すために、アントロポス側がテクノロジーを利用して監視し摘発する構図がありえるということでしょうか。
中山 テクノロジーそのものは政治的なものではありませんが、とくに産業革命以降は、科学技術を国家権力が独占し、多くの人を動員して経済成長に資するものとしてきた歴史があります。その意味では政治と無関係ではありませんし、特に先端技術はもっぱらフマニタス側の論理で用いられてきたともいえます。これにたいしてアントロポス側がテクノロジーを味方につけようとすると、対抗的なスタンスをとることが不可避になります。
人類学的な人間としてのアントロポスというと、どこか牧歌的なものを想像しがちですが、それだけではすまない事態になっているわけですね。
中山 さきほどのLibraの例と同じように権力からの弾圧を受けるわけですが、情報をリークすると個人の命が狙われます。各国のジャーナリストが連携して内部告発者を守ろうとしていますが、国家や大企業など権力の側は赤子の手をひねるように握りつぶします。世界の中央銀行や財務大臣たちがFacebookを叩いていたのと同時期には、「パナマ文書」の報道に関わったマルタ島の女性記者が爆殺された事件がありました。
自動車会社のリコール調査員という究極のトレードオフに従事する主人公が剥き出しの暴力に惹かれていく映画「ファイト・クラブ」のようですね。
中山 “清貧に生きよう”といって、楽しくささやかな生活をおくるだけ、地元だけで流通する地域通貨だけで充足するのならよいのですが、人はそれを超えることをしたかったり、欲望を充足させようとしたりします。私はそうしたことが原動力になっているのが経済というものの面白さだと思いますし、人が生きることを元気にする潤滑油だと考えています。権力や富裕層の側だけが自由にものごとを決めて進め、アントロポス側が一方的に不自由や不正義を監視したり告発したりする公正を担うという図式は不合理ですし、偏ったものが生まれて発展も削がれてしまいます
欲望と生の充実とが原動力になっていると伺うと、ますますテクノロジーと経済とが似たものに思えてきます。
中山 どちらも人の生活を支える適度なレベルに留めることが難しいですね。悪用される可能性はありますが、それを止めることは秩序側としても善良な市民の側からも必要です。たとえば内田聖子さんの『デジタル・デモクラシー』(地平社)のように、おもにアメリカの監視社会化をみている方は、ビッグテックの進めるデジタル化に与してはならないという強い否定の論調で、新興国に警告するというスタンスになります。もちろん理解はできるものの、拒絶的な論調以外のものも出て来てほしいと思います。なにより便利ですし、面白いですから。大学にも保守的な人が多いので、ChatGPTがリリースされたときには、大学側から、教員はまずChatGPTを使ってみて学生が試験の不正などに使わないよう注意喚起をしましょうと呼びかけられました。実際に学生たちはみんな使いはじめました。そこで2024年度には、使い方について指示をするようにといわれていますが、指示をするかしないかはおよそ無関係かと思います。ゼミ生と話していても、まずChatGPTを使ってみることが一般的で、それよりGeminiのほうがいい、いやCLAUDEが……という話にもなっています。しかし、もちろん、生成されたものをそのまま提出するようなことにはなっておりません。