東京外国語大学大学院教授・中山智香子氏に聞く
第2回 経済合理性の綻びが露呈した21世紀
ウィーンより帰国した中山氏は、大学で経済思想史を教えつつ、現実と格闘する人々との親交を深める。2001年のアメリカ同時多発テロ事件やリーマンショックなど、市場合理性の綻びを露呈する事件が陸続と起こるなかで、中山氏は新自由主義の暴力性を概念化し、批判する方向に舵を切る。
中山 智香子(なかやま ちかこ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。早稲田大学大学院経済学研究科理論経済学・経済史専攻博士後期課程単位取得退学。ウィーン大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(社会・経済学)。専門は思想史および経済学説、経済思想。近年は貨幣論と生態学経済の考察に注力。著書に『経済戦争の理論 大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房)、『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)、『経済学の堕落を撃つ 「自由」vs「正義」の経済思想史』(講談社現代新書)、『大人のためのお金学』(NHK出版)、『ブラック・ライヴズ・マターから学ぶ アメリカからグローバル世界へ』(共編、東京外国語大学出版会)など。
目次
ゲーム理論による合理性分析の限界
都築 正明(以下―) 帰国されてからは、熊本大学で教えられていたのですよね。
中山智香子氏(以下中山) 熊本大学に赴任することが決まり、博士論文がほぼ終わるまで1年待っていただいてしまいました。1995年の4月から熊本大学に着任したのですが、5月と6月は最終審査を受けにウィーンに行き、いったん帰国してから7月にまた卒業式に行ってというバタバタしたなかで大学教員としてのキャリアをスタートしました。熊本大学には経済学部がなく、私は文学部史学科の文化史学講座で思想史を教えていました。熊本大学には歴史学の面白い先生たちがいらっしゃいました。西洋史や文化史、考古学の方もいる自由な雰囲気のなかで過ごしました。
桐原 永叔( IT批評編集長、以下桐原) 渡辺京二先生とも交流されていましたよね。
中山 熊本大学で中世フランス周辺国の経済史を研究されていた山田雅彦先生のパートナーが、渡辺京二先生の娘の梨佐さんでした。渡辺先生には、その縁で知己を得ることとなりました。
桐原 渡辺京二先生の著作には、娘さんの話がよく出てきますものね。
中山 当時渡辺さんや石牟礼道子さんたちは真宗寺というお寺に集って、さまざまなイベントを催していました。水俣病を描いた『苦海浄土』のドイツ語訳が1998年に出版されたとき、熊本大学でドイツ語を教えているドイツ人の先生にお渡ししたところ、とても感激されたので石牟礼さんとお引き合わせをしました。そのとき私は通訳をしたのですが、そこでお茶を淹れてくださっていたのが渡辺京二先生で、それが初対面でした。その渡辺先生も昨年の暮れに亡くなってしまって……渡辺先生と梨佐さんは前日の夜までおしゃべりをしていて、朝起こしにいったら息を引き取られていたそうです。真宗寺で営まれた葬儀には、梨佐さんや山田先生をはじめ、そのころ集まっていた方々と悲しい再会を果たすことになりました。文学部は、学問的に尖った現場でしたから、東洋史の碩学の足立啓二先生に「ゲーデルが、無矛盾性が成立しないことを証明したのに、歴史学の実証にどんな意義があるのか」などと青臭い議論を挑んだりもしたことを思い出します。今思い出すと冷や汗がでますね(笑)。
そこには先生ご自身の学問的葛藤もあったのでしょうか。
中山 そうなのです。ロジックの世界の根底が揺らぐなかで、実証や論証の学問を続けていけるのだろうかという煩悶はありました。言論にはある種の狭さがある一方で、強さもあるのだと思います。理論としての面白さだけでなく、人間社会に認識の転換を迫るインパクトを与えうる力を持っていますから。私の1冊目の著作『経済戦争の理論:大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房)では、シュンペーターとポランニー、それにモルゲンシュタインを挙げて、経済学が決定的に何か違うものになり得た可能性について論じました。
なり得た可能性もあったけれど、そうはならなかったという含意でしょうか。
中山 なりそこなったともいえます。ノイマンがモルゲンシュテルンといっしょにゲーム理論を構築したときには、経済を扱う言説や思考が従来とは異なるものになりうることを見通していたはずですが、通念のほうが強くて受け入れられなかったのだろうと考えます。その後もゲーム理論はそれなりに展開していきますが、本来の目的である、経済の認識を変えるまでには至らなかったように思えます。
熊本大学で教えていらした時期に、それを明らかにしようとされていたのですね。
中山 当時は欧米でもゲーム理論の歴史や意義に関心を持つ研究者が何人かは登場してきました。日本には当時そうした研究者はあまりいませんでしたから、海外に赴いて、ウィーン大学の哲学科教授となったシュタードラーさんたちと学会でセミナーを組織したりしました。まだウィーンにいた頃に、日本のゲーム理論の草分けのもうお1人でモルゲンシュテルンのお弟子さんでいらした故・鈴木光男先生に質問があってご連絡をしたのですが、ウィーンまでお返事とモルゲンシュテルンの写真を使うように送ってくださり、応援してくださいましたので、少し使命感もありました。その一方、合理性分析で語ることができることの限界も感じつつありました。ゲーム理論は国際関係や金融の理論として吸収されていくのですが、社会科学全体の視野からみると、そこで扱うことのできる範囲は人間社会の限られた部分にすぎません。ゲーム理論が萌芽した時代でも、ナチスの圧政を逃れ、移民として頭ひとつで他国で生きていける人はトップエリートだけでした。当時のとんでもないジェノサイドを現代に連なる課題として考えていったときに、そうした上澄みにあたる人々を対象とする部分だけで社会を考えることには抵抗も覚えました。まさに熊本の地で石牟礼さんが水俣病に取り組まれているところに居合わせてもいましたから。1998年ごろから、熊本大学の紀要論文にポランニーのファシズム分析について熱心に書くようになりました。
経済学と現実社会との断絶を結びなおす
――ゲーム理論が強者を利するものになったとお感じになったことが、先生の研究の転機になられたのでしょうか。
中山 ノイマンとともにゲーム理論を唱えたモルゲンシュタイン自身がアメリカに巻き込まれていき、イデオローグのような存在になります。経済を出自としながら、最終的には金融や核抑止論といった、アメリカの強い部分をつくっていく理論的支柱になっていくことに抵抗感を覚えました。
冷戦下の核抑止論では、ナッシュ均衡*1などが喧伝されていましたね。
中山 そうなのです。1950年代ぐらいまでは面白いのですが、その後はゲーム理論の受容がシンプルなものになりました。そこでポランニーに着目したところ、奥が深く、いまに至る研究テーマになっています。
社会に埋め込まれた経済について考えられたという流れですね。
中山 きっかけになったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件でした。オーストリア学派は新自由主義の土台にもなったわけですが、それが極端なかたちをとった帰結を目の当たりにして、自分の研究していることが、たんに限界があるだけではなく有害もなりえることに愕然としました。理論の持つ、暴力を正当化してしまう側面が生々しいかたちを持って表出する時代になったことを実感して、その一端に加担するのはやめたいと思いました。
9・11は冷戦終結後の構造をグロテスクに相対化しました。
中山 私がもともと抱いていた懸念が決定的なものになったできごとでした。そこで自由主義が持っている暴力性を概念化する研究を行っていたところに2011年3月11日の東日本大震災があり、さらに批判的な視線が強まりました。
新自由主義の持つ暴力性
『経済ジェノサイド』(平凡社新書)は、新自由主義の暴力性を指弾する論考ですね。
中山 私自身は新書を書くタイプではなく、地味に紀要論文を書きながら本をつくる研究者だと思っていました。東京外国語大学は、いちばん近しい上司がフランス現代思想の西谷修さんでしたし、ヨーロッパ思想史の上村忠男さんもいらっしゃいました。また文化人類学者の今福龍太さんもいらっしゃいました。文学でいうとフランス文学の西永良成さんやイタリア文学の和田忠彦さん、ロシア文学の亀山郁夫さんなど、人文知のきらびやかな研究者の方々とかかわる面白さがたくさんありました。『経済ジェノサイド』は、渡辺京二さんが大佛次郎賞を受賞されたときのパーティでお会いした編集者にご依頼いただきました。3・11直後の1カ月間という執筆期間で、冷や汗が出るようなスケジュールで書き上げました。
新書ならではのスピード感と鋭さが伝わってきます。
中山 論文執筆は、細かく緻密に実証性を積み上げていく作業ですが、新書はある意味“言いっぱなし”の切れ味勝負なところがありますから、とてもよい体験でした。フリードマンをネタにしていますが、まさにフリードマンという理論家はネタにしがいのある面白い人ですから……経済的スタンスについてはまったく評価していませんけれど。
アイスランドの国家破産を例にとりつつ、貨幣をめぐる争いが前景化していったさまを描いた箇所はショッキングでした。
中山 2008年のリーマンショックのころには、海外の学会に赴いて、さまざまな経済理論や経済思想をみて回っていました。その1つであるAHE(Association for Heterodox Economics:異端派経済学会)の年次大会に参加したときに、アイスランドからグンナル・シグルズソンという映画監督が招聘されていて、かれがリーマンショックのあおりを受けて国家破産したアイスランドを撮ったドキュメンタリー映画“Maybe I Should Have”の短縮版を鑑賞するセッションがありました。会場でコピーフリーのDVDを10ユーロで売っていたので購入して全編を観たところ、とても興味深い内容だったので、いろんな方々に紹介しました。
本誌で以前、アイスランドのオズール社の日本支社代表にインタビューしたのですが、当時は銀行とのやりとりが3カ月もストップしたそうです。
中山 3大銀行が国有化され、株式市場は凍結し、国家が破綻するなかで、事実を隠蔽していた政府や銀行に抗議する市民運動“キッチン革命”が生まれたという目の覚めるような話があり、リーマンショックの余波に揺れる日本でもこれを紹介したいと思いました。当時の日本は、金融工学のテクニカルな話はあったものの、経済学者もうまくリーチできていない状況でした。生活困窮者を対象に“年越し派遣村”が設置されるなど、日本でもさまざまな動きが出ているなかでどうアイスランドの事例を紹介しようかと考えていたところ、大手銀行の債務不履行に先立って、Wikileaksが最大手のカウプシング銀行の内部文書を暴露していたことを知りました。同行が株主やその関係者に不当にハイリスクのローンを提供していたことや、経営陣が銀行の株価を不正に引き上げようとしていたことが明らかになったのです。そこで、西谷修さんが代表者となっていた科研のプロジェクトとして、映画に字幕をつけて監督を招聘し、信州大学でアイスランドの神話などの研究をされている伊藤尽さんらもお招きして、シンポジウムを開催しました。それが2011年の3月のことです。タイに取材に出かけてまた日本に戻ってくるシグルズソン監督をお送りしたのが3月9日、その会計処理をしていた11日に大地震がやってきたのでした。監督には急いで連絡をとり、そのまま帰国するようアドバイスしました。