テクノロジーが福祉にもたらすもの
オズールジャパン代表 楡木祥子氏に聞く(1)

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

テクノロジーの発達によって実現が期待されることとして、バリアフリーとノーマライゼーションは間違いなくその筆頭に数えられるだろう。アイスランド発の世界的な義肢装具メーカーであるオズール社は、世界で唯一AIを搭載した義肢を製品化し、その実現への途をひらいている。日本法人代表・楡木祥子氏に、世界の最前線と日本の現状についてインタビューを行った。

楡木祥子

楡木 祥子(にれき しょうこ)

茗溪学園中学校高等学校より1986-88年UWCアトランティック・カレッジ(英国)留学。1993年筑波大学芸術専門学群インダストリアルデザイン専攻卒業。建築設計会社を経て2001年国立障害者リハビリテーション学院義肢装具学科卒業。2001年義肢装具士資格取得。2018年筑波大学大学院MBA-IB取得。オズール社に入社後、オズール・アジア日本マーケット統括マネージャーを経て、2020年に日本法人化に伴いオズールジャパン合同会社代表に。

目次

国際バカロレア資格を取得後、建築設計会社を経て義肢装具士に

楡木代表は高校時代に英国留学を経験されているそうですね。

楡木 生まれたのは千葉県船橋市で、中学1年生からはつくば市にある中高一貫校の茗渓学園に入学しました。現在ではIB(International Baccalaureate:国際バカロエラ)やSSH(Super Science High School:科学技術重点育成指定校)にも認定されていますが、当時から帰国子女や帰国前子女との交流が盛んでした。私は高校2年生からUWC(United World College)に合格して、イギリスのアトランティック・カレッジ(United World College of the Atlantic)に留学しました。13世紀に建てられたセント・ドーナツ城内にある学校で、映画「ハリー・ポッター」シリーズのホグワーツ校のモデルとしても知られています。学生の構成は25%がイギリス人、25%がスカンジナビア人、25%がスカンジナビアではないヨーロッパ人、25%がアジアや南アフリカなどの国の出身でした。

当時皇太子だった、チャールズ3世にも謁見されたと伺いました。

楡木 当時チャールズ皇太子がUWC会長だったので、謁見する機会が2回ありました。ヘリコプターから降りてこられるので学生が集まってくると、皇太子が両手を広げて「No Diana(ダイアナはいないよ)」と仰るのです。ダイアナ元妃と結婚されていたころでしたから。

どのようなカリキュラムだったのでしょう。

楡木 2年間で国際バカロレア資格をとるコースでした。プログラムにはセオリー・オブ・ナレッジという探究型の学習もあって、奉仕活動や社会活動もカリキュラムに含まれています。私はブラインドスクールでプールで視力に障がいのある子どもたちに水泳とカヤックを教えるボランティアをしたり、障がいのある子どもの面倒をみながら遊んだりといった活動をしていました。国際バカロレアでは、3つのメジャー(専攻)と3つのサブ(副専攻)を選ぶのですが、私は専攻の1つに芸術を選んで好きになり、また評価もされたので、大学でも芸術方面に進みたいと思いました。卒業後は帰国して、筑波大学で生産デザイン――いわゆるインダストリアル・デザインを専攻して工業デザインを学んだほか、概論として建築や都市計画なども学びました。

ご卒業後は、どうされたのでしょう。

楡木 建築設計会社に5年間勤務しました。いま考えると、自分が何をしたいのかが不明瞭だったのかもしれません。さまざまな建築デザインに携わるなかで医療福祉に関心を抱いて、老人ホームや病院の設計などをしていました。あるときリハビリテーション・センターのコンペに参加することになり、義肢装具室という部屋の存在を知りました。調べてみたところ、義肢をつくることに惹かれていきました。義肢装具士という職業があり、その資格を取得するには学校に通わなければならないことを知って、国立障害者リハビリテーションセンター学院を受験しました。3年間通学して資格取得後、臨床での仕事をしたり義肢装具士の学校で英語を教えたりしているなかで、オズール社の通訳と翻訳のアルバイトの仕事を紹介されました。

そこで楡木社長の培ってきた国際経験とデザインと医療福祉との3つが、結びついたのですね。

楡木 経験やスキルを活用する機会は望んでいたのですが、当時の日本で結婚や出産を経た女性が責任のある仕事に就くことは困難でした。アルバイトをはじめてから1年も経たないうちに、社員として働くオファーをいただきました。

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