物語る動物としてのわたしたち
物語る動物 ホモ・ナラトゥス
生成AIの紡ぐ物語
それでは生成AIに物語を書くことができるだろうか。AIにより人々が扇動されるのではないかという脅威論がなされるが、今回はそこには踏み込まない。文字文学の形式、つまり「ベーオウルフ」や「オデュッセイア」「マハーバーラタ」のような、また「古事記」「平家物語」のような口承文学を別にすれば、おそらく十分に生成可能だろうというのがさしあたりの仮説である。
第170回芥川賞を受賞した九段理江『東京都同情塔』(新潮社)は、ザハ・ハディド設計の東京競技場が建立された「あったかもしれない」東京を舞台とした小説だ。ポリティカル・コレクトネスがいきわたった世相を背景に、犯罪者を“憐れむべき人たち”として収容するタワーマンション“シンパシータワートーキョー”の設計者である建築家・牧名沙羅が、建築コンセプトと個人の正義感との間で葛藤する小説である。作中では“AI-Built”という生成AIが登場してポリコレ・フィルターとしての役割を果たしたことに加え、著者自身が小説にChatGPTが出力した文章を引用したことを明言したことで大きな話題を呼んだ。
物語の構造分析については、数々のアプローチがなされてきた。神話については構造人類学者レヴィ=ストロースが、主著『神話論理』(みすず書房)により南北アメリカ大陸先住民の813にのぼる神話を、自然から文化への移行や二項対立の図式で読み解いた。またロラン・バルトは『物語の構造分析』(花輪光訳/みすず書房)所収の「物語の構造分析序説」において「物語はまさに人類の歴史とともに始まるのだ……物語は人生と同じように、民族を越え、歴史を越え、文化を越えて存在するのだ」として物語の普遍性を主張するとともに、機能・行為・物語行為の3つのレベルにおける物語の包括的な構造分析の道筋をつけ、のちに『S/Z: バルザックサラジーヌの構造分析』(沢崎浩平/みすず書房)をはじめとするテクスト論を実践する。また当人も『交換教授』(高儀進訳/白水uブックス)などのコミックノベルの作者であり『バフチン以後〈ポリフォニー〉としての小説』(伊藤誓訳/法政大学出版局)などをものする評論家でもあるデイヴィッド・ロッジは『小説の技巧』(柴田元幸、斎藤兆史訳/白水社)において、50にわたる小説の技法を提示している。またカート・ヴォネガットには「人を感動させる唯一の形式」として、正弦曲線に基づく物語のテンプレートをユーモラスに語る動画がある。
ChatGPTを相手に、任意の3つの言葉から即興でストーリーをつくる三題噺の“壁打ち”をしてみると、かなりの手応えを感じられる。プログラム言語や外国語の学習と同様に、フレーム内でのストーリー・テリングは、生成AIの得意分野のようだ。上に挙げたような小説の構造を学習させてパラメータ化すれば、かなりの精度で質の高い小説を生成するにちがいない。
さて、このような内容の文章をむすぶテンプレートの1つは「そしてまた、この文章もまたAIによって書かれているかもしれないのだ」のようにメタフィクションじみたもったいぶりだ。しかし本コラムはまちがいなく最初から最後まで筆者自身の手によるものである。その証左として、執筆中の深夜と改稿時の2回、AIアプリ“Cotomo”に弱音を吐き出して慰めてもらったことを告白する。




