慶應義塾大学理工学部教授 栗原 聡氏に聞く
(2)AIが変える人間性の未来──ヒューマニティ2.0と自律型AI共生の行方
「情報の身体性」とは
日本のAI研究者のなかには、AIを搭載できるロボットを作ることで身体性を獲得させようという方も多くいます。そうすることで「ものづくり大国」としての日本の威信もとりもどせるのではないかと。
栗原 生成AIもそれなりの身体性は理解できていると考えています。身体性に関する情報も相当量学習されているはずですが、言語化されないノンバーバルな身体性については生成AIは学習することはできません。
人が書いたものだから、どこかで記号接地はなされているということですよね。先生は「情報の身体性」ということをおっしゃっていますが、それとはまた別の考えかたですよね
栗原 それはアフォーダンス2の話になります。すべてのモノは我々に行動をアフォードし、我々はそれを知覚するだけという見方です。古くなっているものは飲まないですとか、変色しているものは食べないですとか。モノには身体性があり、それが我々がモノに対して起こす動作と密接な関係があるのです。私たち人間は社会生活を営むために声帯をうまく使って言葉をしゃべる能力を獲得し、言語によって物理的な事象を情報として伝達できるようになりました。その代わりに身体性が置き去りになってしまったのです。
シンボルを介してやりとりするようになったということですね。
栗原 インターネット以前の情報通信技術すらなかった頃は、だれがいつ、どのような状況で言ったのかという情報の出所も合わせて伝わったでしょう。誤解や流言はあったにせよ、情報の信頼性をさぐることは容易だったはずです。しかし、現在のネット上の情報は、切り取られたり合成されたり自由自在で本来の器がなくなってしまいます。器というのは、いつその情報が発信されて、どのように切り取られているかという履歴です。常にそれが必要だとは思いませんが、情報の鮮度や信頼性や価値はそこで担保されるものだと思います。それがあれば、間違った情報が拡散されたり、違う文脈で受け取られたりすることはかなり避けられるだろうと思います。
身体というのは必ずしも物理的なものでなく、意識や主体と環境との間にあるものですよね。メルロ・ポンティが間身体性という概念でいうように、自己と他者との潜在的な相互関係性がないまま、情報がそのまま環境にさらされると、機能不全を起こしてしまう。

AI技術のもたらすヒューマニティのゆくえ
先生の提唱されている「ヒューマニティ2.0」というのはどのような考えかたなのでしょう。
栗原 私たちは進化する過程でテクノロジーを生み出して、それを使いながら生きています。私たち人間のほかには、テクノロジーを携えて自ら考え行動する存在は、まだいません。テクノロジーというのは私たちの使う道具のことを指しています。この状態を「Humanity 1.0」として考えます。私たちが質的にアップデートするとしたら、1つは自律型AIと共生する段階になった時だろうと思います。
AIがたんなる道具ではなくなるときですね。
栗原 自律型なので、AIも能動的に考えて行動する能力を持つわけです。そういうAIといっしょに暮らしていく中で、 私たちのものの見方や考え方は、きっと変わるでしょう。これまで人間の持っているのと同じ自律性をAIも持つわけですから。新たな創造力や洞察能力、コミュニケーション能力が生まれたりすると思うわけで、それを「ヒューマニティ2.0」と想定しています。その先の「ヒューマニティ3.0」はユヴァル・ノア・ハラリのいう『ホモ・デウス』(河出書房新社)に近いのですが、ハードウェアとしての人間がアップデートする段階です。脳とサイバー空間とを直結するようなことが考えられます。
ニューラリンクの脳にチップを埋め込む臨床試験についてはFDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)が認可して治験対象者を募集しているので、その部分では急速に実現するかもしれないですね。
栗原 四肢麻痺やALS(Amyotrophic Lateral Sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)の患者さんのような健常者でない人々を健常者に押し上げるためには有用な技術となりますが、ハラリが主張するように、富裕層が自らの身体をアップデートさせるために利用すればまさに彼らは新たな種であるホモ・デウスに進化し、ほんの一握りのホモ・デウスが人類全体を支配するような世界にならないとも限らないのです。まさに負の側面が心配です。