心と生命、身体の新しい見取り図
―東京大学大学院総合文化研究科教授 池上 高志氏に聞く(2)

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聞き手 都築正明(IT批評編集部)
桐原永叔(IT批評編集長)

第2回では、生命と心について聞いた。池上氏は、さまざまなアート作品やプロジェクト、パフォーマンスに関わっていくなかで、身体性の重要性を強く感じたという。また今後予定されている新しいプロジェクトについても、話を聞くことができた。

取材:2023年2月8日 東京大学池上研究室にて

 

 

 

池上 高志(いけがみ たかし)

東京大学大学院総合文化研究科教授。1961年、長野県生まれ。複雑系・人工生命研究。東京大学大学院理学系研究者博士課程終了。理学博士(物理学)。人工生命(ALife)を軸に、ダイナミクスからみた生命理論の構築を目指す。またサイエンスとアートを架橋する作品制作やパフォーマンスも多く手掛ける。著書に『複雑系の進化的シナリオ―生命の発展様式』(朝倉書店 金子邦彦との共著)、『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』(青土社)、『生命のサンドウィッチ理論』(講談社)、『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(講談社 石黒浩との共著)など。

 

 

 

目次

心は環境との相互作用によって形成される

生命と心がつながるレベル

解釈や意味を超えた先にあるもの

 

 

 

 

 

 

心は環境との相互作用によって形成される

 

都築 正明(以下、――)心と生命の関わりについてお聞かせください。

 

池上高志氏(以下、池上)フランシスコ・バレーラ1というチリの生物学者が、ウンベルト・マトゥラーナ2とともに提案した“オートポイエーシス”3という概念があります。この考えに日本の郡司 ペギオ‐幸夫4先生や松野孝一郎5先生、ドイツのオットー・レスラー6、バスク大学のエゼキエル・ディ・パウロ7といった多くの人々が賛同して、生命と心を連続して考える運動となっています。たとえば「アメーバに心はないのか?」という質問に答えるのは難しい。「生きているというのは心を持っているということではないか」と考えることもできますし、逆に「心があるということが生きているということではないか」と考えることもできます。私は、生きているなら心も持っているだろうと考えますが、心は人間にしか存在しないと思う人もいます。

 

――石黒浩先生8との共著『人間と機械のあいだ』(講談社)でも、心や生命が受容する側にあるのか、それとも外にあるのかということが、繰り返し議論されています。

 

池上 石黒先生は心について「見る側に心があるから心があるようにみえる」というトップダウンで考えています。私は反対に「心は生成するものだ」というボトムアップで考えています。先ほどのオフローデッド・エージェンシーの考え方(第1回、参照)から、心をつくっていくうえでは、人間から移ってくるほかにも、雨が降っている、車が走っているというような環境の中にいることが大事だと思っています。人間を含む生物の心を考える際にはそうした環境との相互作用を考えることが 重要です。

 

――アンディ・クラーク9も『現れる存在』(ハヤカワNF)で、環境との相互作用を重視しています。

 

池上 環境そのものについてもそうですし、どこまでが環境でどこまでが身体なのかという境界が曖昧であることにも言及されていますよね。魚のヒレは1つの方向にしか動かせないけれど、渦の流れをつくって動き回るから3次元の世界を動き回ることができる。環境も身体の一部である。

 

――そうすると、心・身体・環境という定義は難しくなってきます。

 

池上 定義しても「わかる」ことにはならないので、面白みを感じられません。たとえばAIの研究をするときに「知能とは何か」ということが重要なわけではありませんし、それがわかったからといって、新しいものが開発できるわけでもありませんよね。AIの素晴らしさは、まずプラクティカルに使えるということです。ALife研究においても、まず動くものをつくって、それが社会に広まったときにどうなるかを考えることを重視しています。そもそも「心のわかり方」というもの自体、よくわからないものですから。ディープ・ニューラル・ネットワークは、これまでのネットワークをすごく大きくしたらできることが変わった。これは頭で考えていてもわからないです。ChatGPTもそうです。ChatGPTが巨大なコーパスを与えた途端、質的な変化が感じられた。それはまた心が外からやってくることに近いのではないかと思っています。

※1 フランシスコ・バレーラ (Francisco Javier Varela Garcia、1946 – 2001):生物学者、認知科学者。ウンベルト・マトゥラーナとともに提唱した“オートポイエーシス”の概念により生命システムを、自律的に秩序が生成されるようなプロセスとして位置づけた。

※2 ウンベルト・マトゥラーナ(Humberto Augusto Maturana Romesín、1928 – 2021)は、チリの生物学者。神経生物学の見地から、哲学や認知科学との隣接領域を研究。フランシスコ・バレーラは教え子。

※3 オートポイエーシス(autopoiesis)生命体がいかに世界を認知観察しているかを考察するための理論。自分を再帰的・循環的に創り出す(自己創出)という観点から生命体について考察する。

※4 郡司幸夫(1959 – ) 理学者。「生命と物質の違いは何か」という問いと「我々はその問いに如何なる答え方を用意すべきか」という問題に取り組んでいる。内部観測の理論を発展させた。筆名には郡司 ペギオ-幸夫を名乗る。

※5 松野孝一郎(1940 – ) 理学者。物質が相互作用を通して相手を検知する観測理論である内部観測の発見者。著書『プロトバイオロジー 生物学の物理的基礎(訳著)』(東京図書)、『内部観測とは何か』(青土社)、『来たるべき内部観測 一人称の時間から生命の歴史へ』(講談社選書メチエ)。

※6 オットー・レスラー(1940 – ) 生物学者。 カオス理論の3次元の連続時間力学系であるレスラーアトラクター、内在物理学で知られる。『内部観測』(青土社、1997年)内に「内在物理学、内部観測と悟り』を寄せる。

※7 エゼキエル・ディ・パウロ(1970 – ) 神経学者。命と心の二重性について「オートポイエーシス+適応性(adaptivity)」というモデルで捉えるアプローチをとる。

※8 石黒浩(1963 – ) ロボット工学者。人間に酷似したアンドロイド研究開発の第一人者。人に近いロボットを用いることで、人とは何かにアプローチする。2016 年より池上氏と“機械人間 オルタ”シリーズを共同開発。

※9 アンディ・クラーク(1957 – ) 哲学者。専門は心の哲学および認知科学の哲学を専門。生命の心を、脳と身体と世界と相互作用に基づいた創発として考える身体性認知科学の第一人者。

 

 

 

 

 

生命と心がつながるレベル

 

――認識論的に生命を考えることは、私たちの感受性のレベルでも処理できますが、先生は生命性において存在感(presence)を重視されています。

 

池上 意識の研究では多くの人が意識とは因果的なものだ、という捉え方をします。たとえば突然この場に大きな赤い壁が現れたら、動物は逃げます。しかし人間の場合は、赤の赤らしさというか、テクスチャーを知覚する。因果的なものと存在の確認というか、それが大事です。石黒先生とヒューマノイド“オルタ10”でそのあたり、いろいろなことを試しています。例えばオルタ3は人の行動を逐次的に模倣していくよう設計しているのですが、機械的な模倣とそうでない模倣を生成するプログラミングしています。

 

――機械的でない模倣というのはどういうことでしょう。

 

池上 相手の行為の意図がわかるかどうか、です。マイケル・トマセロ11という認知科学者が、「猿は猿真似をするか」という論文を書いています。たとえばコップがあって人間がそれを飲んでいると、猿はそれを真似します。しかし飲むという行動は真似するけれど、コップの持ち方や動かし方、表情までは真似をしませんから、逐一真似するという意味の“猿真似”ではありません。彼は「猿は猿真似をしない」と結論づけるのですが、論文の最後には「人間に育てられた猿は猿真似をする」と書いているんです。動物には動作の意図のような、一見高度なシンボリックなことは認知できないと考えていますが、実は動物はそっちのほうが得意かもしれない。シマリスやハムスターにもシンボリックな能力はあると思うのです。オルターは逆に、猿真似しかできない。この猿真似を機械的な模倣と言ってます。逆にそこから猿真似ではないシンボリックな模倣を生成することを考える。そういうことです。

 

――たしかに動物は、知覚と遺伝子のプログラムや、学習の積み重ねだけでは説明しがたい行動をとります。

 

池上 意識のレベルとは、シンボリックな能力だと思えます。私は、そのまま真似することのほうは、無意識のレベルに近いと思っています。映画「ブレードランナー 2049」には、自分がレプリカントなのか人間なのかがわからずに懊悩する主人公が出てきます。そして、その答えを探す旅の途中で、蜂の巣箱に手を突っ込むシーンがあるんです。普通は蜂に刺されることを恐れて手を入れなかったり、パッと手を離したりします。そうしたシンボル・プロセッシングは意識レベルですが、それは動物にもある気がする。無意識のレベルができるかどうか、それが人間の特徴だと思うのです。

 

――前作では相手がレプリカントかどうかをテストするために「テレビを観ているとき体に蜂が止まったらどうする?」と聞きますよね。「握り潰す」と答えたことで、レプリカントだということがわかる。

 

池上 今作の主人公は、蜂の巣箱に手を突っ込んだ後、蜂のたかった手をじっと見つめるんです。これはシンボリックな感覚ではありません。「蜂が刺す」とか「怖い」といったことではない感覚――温かいとかそこにいるという感覚――それを持つことが無意識のレベルではないか。それを意図したシーンとして私は観ました。このような無意識をつくることが重要で、ChatGPTにもアンドロイドにも、そのレベルがありません。そのままの模倣が無意識的だといいつつも、それはアルゴリズムが可能にしていることです。シンボル化されているものと、シンボル化されていないものとを峻別して行動することができる生物は、さほど多くありません。マービン・ミンスキー12もシンボルの創造そのものは無意識のはたらきだと言っています。シンボルになる前の部分に注視して、そこにパターンを見出すのが生命的な知性だと思います。そこに取り組むことが、生命を技術にすることであり、ALifeの最終的な目的だと思います。そして、そこで生命と心がつながってくるのだと思います。

 

――シンボル以前というのは、あくまで身体的なものですよね。

 

池上 言葉以前の世界。身体を使わないとどうしようもないレベルです。

 

――意識と無意識ということでいうと、シンボル以前のものというのが無意識的なものになりますね。

 

池上 意識レベルに上ってこない記憶の断片や夢のパターンなど、莫大な記憶の束みたいなものが無意識だとすると、インターネット上にもそうしたものがたくさんあります。それが、何かのダイナミクスを持って動いて、実際の行動に反映すると面白いなと昔から思っていました。シンボルになってしまったものだと、ただ組み合わせを考えるだけになりますから。ChatGPTがつまらないものにならなかったのは、シンボルの組み合わせをしているにもかかわらず、コーパスがあまりにも巨大なので人間には予測不可能なことがたくさん見えてくるからです。予測不可能なのは、つまりは一般的な人間の知性の上限は、せいぜいいまのChatGPTレベルだったということでしょう。

※10 オルター 「ロボットが生命感を獲得できるか」「生命とは何か」を探るために開発されたヒューマノイド。石黒浩氏の開発したアンドロイドに池上高志氏の開発した人工生命を搭載する。2016 年に日本科学未来館でのデビュー以降、バージョンアップを重ねつつ、オーケストラとの共演や2020年ドバイ万博、 CM起用など活動の幅を広げている。

※11 マイケル・トマセロ(Michael Tomasello、1950 – ):認知心理学者。霊長類学や発達心理学を専門とする。比較認知科学や発達心理学に基づき、言語や社会的行動の習得プロセスを研究。言語獲得においては普遍文法仮説を否定する認知言語の立場をとる。

※12 マービン・ミンスキー(Marvin Lee Minsky、1927 – 2016) コンピュータ科学者、認知科学者。世界ではじめて“人工知能”という言葉が使われた1956 年のダートマス会議の発起人の 1 人であり、マサチューセッツ工科大学人工知能研究所の創設者でもある。“人工知能の父”と呼ばれる。

 

 

“傀儡神楽 ALTER the android KAGURA “, Shibuya Stream Hall (MUTEK TOKYO), Tokyo, 2020

 

 

 

解釈や意味を超えた先にあるもの

 

――YouTubeでベイトソンについてお話されているのを伺いました。ベイトソンはダブルバインドという状況が統合失調症を生むことを提唱し、そういう患者さんへのアプローチとして、フロイトは無意識下の心象風景を表出させるアートセラピーを用いました。

 

池上 無意識などにアクセスするのに身体性が必要なのは、何らかの素材が必要だからですかね。doodling(無意識の落書き)のように落書きするのであれば、シンボル以前のものが必要です。

 

――目的やテーマ、コンセプトがあるわけでもない。

 

池上 しかし人間は、ふつうは意味や目的のない動きや会話には耐えられないんですよね。抽象絵画を見に行くと、これは何を表したものか、といった会話を耳にする。たとえば昨年ゲルハルト・リヒター13の大規模な回顧展が開催されましたが、作品の解説がつけてあって、一生懸命に意味を説明していた。しかしあれは面白くないし、それこそ意味がない。作品そのものとして美しいかどうかが重要ですし、作家も意味を与えようと思って描いているわけではないでしょう。優れた芸術作品は、意味やシンボルを超越したところに生まれるのだと思います。解釈や意味が与えられなくても、それを抱え込めること、それがとても大事だと思います。

 

――美術館に足を運んで、名状しがたい作品に触れて自分の価値観が変わると感動しますが、あまりにも価値観が転倒するものに出会うと、何かの意味やストーリーを与えて相対化してしまいがちです。

 

池上 最近VR作品をつくりました。みんなはリアリティを求めて、現実に似たものをVRでつくりますが、私はそうでないものをつくっています。リアルであるということは、意味がわかるということではない。私はそうでない抽象的なVRをつくるのですが、その無意味性に耐えられず参る人がいる。そこからもう一押ししたところに、本当の意味でのリアリティ、拡張現実があるのではないかと考えています。現実には存在しないけれど強いリアリティを持っているものから、自分の脳の機能や意味を求める能力が拡張される――私はその可能性を求めてVRをつくっています。

 

――VRなども、現実とは何かを考え直すきっかけになりますよね。先生のおっしゃったように、現実の似姿ではないものをつくることで、もう一度、現実に戻ってきたときに、別の位相が見えたりするような。

 

池上 いま、荒川修作14さんの「天命反転の橋」をVRで再構成しているのです。140メートルあるのですが、途中に大きな穴があったり、階段を下りなければならなかったりと、複雑なものが橋の上に乗っていて、それをVR上で経験してもらう。

 

――「養老天命反転地」で気持ち悪くなる人がいっぱいいると聞いたことがあります。

 

池上 異なる脳の使い方をすることで死ぬことがなくなる、という荒川さんのプロジェクトですから。私は気持ち悪くはなりませんでしたけれど。荒川さんがいま生きていたらVRをつくられただろうと思いつつ制作しています。

 

――VR作品の他に、進行中のプロジェクトはありますか。

 

池上 VRに加え、GPTと会話するパフォーマンスを 5 月に東京15で公演します。山田うんさんというダンサーとの共同プロジェクトで、4 幕あるパフォーマンスです。1 幕目では最初はドローンが 100 台登場するなかで、うんさんが踊ります。2 幕目で、GPT-3 と私が会話する。第 3 幕で、うんさんがVRのゴーグルをつけて踊る。4幕目は、小さなロボットがたくさん出てくる。GPTは言葉が作る世界ですが、それに対して「言葉なき世界」の豊かさを表現したいと思います。また、アンディ・クラークと松岡正剛16さんとの対談を高野山で開催することを企画しています。2 年前の 11 月に、空海がどのようなことを考えていたのかを知りたいと思って高野山に行ったんです。宿坊に泊まって、朝起きて瞑想したりして。前に東京の「結縁灌頂」の儀式を覗きに行った時に、これはVRで再現できそうだと思っていたのですが……VRと仏教との親和性を感じましたね。

 

桐原 永叔(以下、桐原)そういえば、禅宗ではトランス状態での得た悟りをホンモノの悟りとは認めず、日常のなかで悟ることを大事にするような印象があります。

 

池上 VRも同じで、VR空間から現実に戻ったときに、何かに気づく――現実世界のシミュレーションではなく、心のシミュレーションであることが、大事だと思います。私が思うVRでは、座ったままではなく、触ったり歩いたりすることが重要で、座って体験するのとはまったく質の違う体験ができる。

 

桐原 そこに身体性が関わってくるわけですね。

 

池上 そうです。意識や心を追体験するのに、身体性抜きでは考えられないと思いました。

※13 ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932 – ) 画家。絵の具とキャンバスだけでなく、ガラスや鏡、カラーチャートなどさまざまなメディアを駆使してイメージを喚起させる作風で人気を集める。

※14 荒川修作(1936 – 2010) 美術家。前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」のメンバーとして「反芸術」を実践後、ニューヨークに拠点を移し、詩人のマドリン・ギンズと活動を共にする。代表作として、水平・垂直が存在しないパビリオンを建設した作品《養老天命反転地》(1995)がある。

※15『Wild Wordless World』 山田うん(ダンサー・振付家)と池上との共同プロジェクト。人間と機械のコミュニケーションにより、新しい芸術表現の止揚を構想する。

※16 松岡正剛(1944 – ) 編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。多方面の研究成果を情報文化技術に応用する「編集工学」を提唱。また、日本文化 研究を通じた独自の日本論を展開する。ウェブ上でもブックナビゲーション「千夜千冊」を連載している。

(3)に続く