フレームを壊し、ルールをアップデートする
―東京大学大学院総合文化研究科教授 池上 高志氏に聞く(3)

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聞き手 都築正明(IT批評編集部)
桐原永叔(IT批評編集長)

最終回では、生命の進化について話を聞いた。人間が進化するのか、それとも人間が進化を阻むのか。認識論と価値観のパラダイムシフトが、いかに起こり得るのかを構想する、刺戟に満ちた論考が続く。

取材:2023年2月8日 東京大学池上研究室にて

 

 

池上 高志(いけがみ たかし)

東京大学大学院総合文化研究科教授。1961年、長野県生まれ。複雑系・人工生命研究。東京大学大学院理学系研究者博士課程終了。理学博士(物理学)。人工生命(ALife)を軸に、ダイナミクスからみた生命理論の構築を目指す。またサイエンスとアートを架橋する作品制作やパフォーマンスも多く手掛ける。著書に『複雑系の進化的シナリオ―生命の発展様式』(朝倉書店 金子邦彦との共著)、『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』(青土社)、『生命のサンドウィッチ理論』(講談社)、『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(講談社 石黒浩との共著)など。

 

 

 

目次

科学の役割は新しい認識論をつくること

人間という進化のボトルネック

「はじめに行為ありき」身体性を通じた価値の創出

新しい価値はフレームを壊すところから生まれる

 

 

 

 

 

科学の役割は新しい認識論をつくること

 

都築 正明(以下、――)生命について考えることは、かつて神学が追求してきたものを考えなおしているようにも思えます。“ブルックスのジュース1”が生気論に近く思えたりですとか。

 

池上高志氏(以下、池上)科学として生命を考えることは、生気論と言ってすませるだけでなく、それがなにかを考えるということです。物体が原子と分子でできているというのは20世紀最大の発見ではあったけれど、それが「生命とはなにか」という問いの答えにはなっていない。そのうえにあるレイヤーが何なのかを考えています。宗教は個人的なものであればいい、と思いますが、科学というのは個人的なものにはとどまれず、客観性を要します。そこに宗教とは大きな差があると思います。

 

――哲学を引き合いに出すと、動きから生命性が生まれるという考え方は、ジル・ドゥルーズ2の生成変化の概念と似ているように思います。

 

池上 河本英夫先生3をはじめ、同じことを言われることがあります。私自身はドゥルーズを読んでいないのですが、どんな概念なのでしょう。

 

――ドゥルーズは自己複製において完璧なコピーではなく、そこにずれが生じることを指摘しつつ、その差異に注目します。そして別の何かに「成る」という生のダイナミズムを“生成変化”という概念で示しています。またフェリックス・ガタリ4との共著では、別の何かに「成る」ことを欲望する主体を有機的な身体ではない“器官なき身体”と名付けて外在するもののように書いています。

 

池上 たしかに、それは私の考える、欲望はや行為のモチベーションは外からやってくる、心も外からコピーされてくる、というOffloaded Mind(オフロードされる心)と似ているのかもしれません。僭越ですが。みんなが似ていると言う理由がわかりました。

 

――先生の“スピノザ的なロボット”や“行動の束”という表現からも、西洋哲学の推移に重なるものを感じます。心身並行論をとるスピノザ5に代表される大陸合理論と、生得観念を否定して自己を“知覚の束”と称したヒューム6のイギリス経験論を、カントが超越的経験論として統合したことなども、先生の生命についての考え方に近いように思います。

 

池上 私のいう“行動の束”は、ジェームズ・ギブソン7のいう“アフォーダンス”に近いです。たとえばコップをつかむときに、コップが行動をアフォードしていると言うことができます。

 

――コップはつかむことを示唆(afford)しているけれども指示(signify)はしない、というように複数の行動のバリエーションがありえることですね。

 

池上 いまショーン・ギャラガー8という哲学者と論文を書いています。彼も説明することや概念をつくることを重視しています。一方で科学は哲学とは違い、次のものをつくることができます。私は説明することにはよりも未来をつくることのほうが絶対に面白いと思っています。昔から、科学の役割は事象を説明するのではなく、新しい認識論をつくることだと思っています。それができなければ、説明できても仕方がない。

※1 ブルックスのジュース 無機物にそれを加えれば生命になるという、空想上の物質。

※2 ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze、1925 – 1995) 哲学者。フランス現代思想の主要人物のひとり。西欧の伝統的な哲学や近代的な知の階層的体系を批判し、横断的・流動的な知の概念を提示した。

※3 河本英夫(1953 – ) 哲学者。専門は科学論、システム論、オートポイエーシス。オートポイエーシス理論を軸に、現象学、精神病理学、リハビリ、アートなどとのコラボレーションを行っている。

※4 フェリックス・ガタリ(Pierre-Félix Guattari、1930 – ) 精神分析家。個人の確立よりも集団と個人の間に現れる局面の主体性を構想した。ジル・ドゥルーズとの共著活動でも有名。

※5 スピノザ (Baruch De Spinoza、1632-1677) オランダの哲学者。主著に『エチカ』がある。万物は精神も物体も含めていっさいは神の内的必然によって生起するから、人間の自由意志も偶然もまったく存在しないという汎神論を唱え、幾何学的演繹体系によって展開。ドイツ観念論,ロマン派に大きな影響を与えた。

※6 ヒューム(David Hume、1711-1776) スコットランドの哲学者。ロック、ベーコン、ホッブズと並ぶ経験論者。主著に『人間本性論』がある。 

※7 ジェームズ・ギブソン(James Jerome Gibson、1904年 – 1979) 心理学者。知覚研究を専門として、認知心理学とは一線を画した直接知覚説を展開。アフォーダンスの概念を提唱して生態心理学の領域を切り拓いた。

※8 ショーン・ギャラガー(Shaun Gallagher、1948年 – ) 哲学者。現象学、心の哲学、認知科学、解釈学を横断しつつ、身体化された認知と間主観性をテーマとした研究を行っている。

 

 

人間という進化のボトルネック

 

――事後的なものにすぎないデータから何かが立ち上がるというのもアフォーダンス的です。

 

池上 2010 年ごろに科学の認識論の革命があったと考えています。それまでは科学は、データが少なかったから、全体像を理解するのにストーリーテリングという方法しかありませんでした。しかし、データの量が膨大になると薄っぺらなストーリーをつくってもリアリティが伴わないし、ストーリーが恣意的に思えてしまう。そうすると、複雑なものを複雑なものとして理解する複雑系の科学の考え方がいまこそ必要になってきます。複雑さのレベルを落とさなければストーリーはできない――それはそうですが、人がなぜレベルを落とすかといえば、ただ自分のストーリーに合わないという理由でしかないのです。その意味でデータというのはもとの現象から取り出したものではあるけれど、とてつもなく複雑な現象を背後に抱えている。

 

――先生のおっしゃる「マッシブ・データフロー」というのはそういうことですね。データは静的な記述としてでなく、そこに動的なものがある。

 

池上 そうです。マッシブ・データフローは、ひとつの説明には落とせないような、多種多様なものがあります。ChatGPTは、まさに複雑な5兆個以上のコーパス、2,000億個近い結合をもつニューラルネットで学習している。その結果ChatGPTは人間には、意識を持つように見えてしまったりもする。

 

――ChatGPTに帝王学のような学習をさせれば、冷徹な命令を下すディープフェイクができてしまうかもしれません。

 

池上 それは十分に可能です。ただし、これまでの独裁者や犯罪者は人間のなかから生まれてきたわけですから、それがAIに置き換わるだけともいえます。AIを怖がるのは人間を怖がるのと同じことです。

 

桐原 永叔(以下、桐原)たしかにAIを怖がるのも、擬人化のトラップですね。松尾豊先生は、身体性を持たせることがAIの最後の進化だとおっしゃっています。

 

池上 いま知る生命に近づけたい、という意味ではそうでしょう。生命とは自律性のことであり、その意味で、自律性をもったシステムが、人間の社会にどう影響を与えるかを知りたいです。人間も生態系の一部だと考えていますから、AIも人も含めた全体のガイアがどう進化するかに興味がある。単にAIを進化させることに意味があるかどうかは疑問です。

 

桐原 松尾先生はセンサーやハプティクスには小型のモーターなどが必要で、AIに身体を持たせようとすることに日本の工業が発展を遂げるチャンスがあるのではないかとおっしゃってました。日本に受け継がれてきたテクノロジーで世界にプレゼンスを示そうという。

 

池上 産業がいまより発達して、いまより生活が便利になる必要はないと思います。もう十分に便利じゃないですか。ローマ時代の市民が数学や物理をしていたというのは素晴らしいですよ。それが奴隷制度によって支えられたという側面はありますけれど。

 

――仕事はAIにさせて、人間はベーシックインカムで生活するというユートピアも描かれがちですが、そのとき人間が何をするかと考えると……。

 

池上 何もすることがなくなると思います。技術が進歩しても、ろくなことがありません。人間がある側面では進化のボトルネックになっているということに、みんな気づくべきだと思います。

 

――そこから目を背けたいので、シンギュラリティを恐れたりするわけですよね。

 

池上 そうですよ。人間のためになにか、と言う議論はつねに矛盾をはらみ、一方で生命進化から考えると、人間の存在は大事なのか、という疑問は避けて通れません。

※9 松尾豊(1975年 – ) 工学者。専門分野は人工知能、深層学習、ウェブ工学、ソーシャルメディア分析。AI、ウェブ工学について実社会に応用することを重視して研究する。

 

 

「はじめに行為ありき」身体性を通じた価値の創出

 

――人間が進化することを考えると、新しい認識論や価値観が必要になってきます。

 

池上 伊藤穰一10さんと、新しい貨幣の価値についてよく話しています。いまは、貨幣と人生の価値とが強く結びついています。でも新しい貨幣をつくって、そこに人生の幸せに結びつく別の価値が生まれれば楽しいですよね。新しい価値や社会が生まれることには、とても意味がある。現在のお金を最大化するという構造をぶち壊すためのシステムとして、Web3.0やDaoがあれば、それは理想的だと思います。一見それは絵空事のように思えるかもしれません。でも例えば、研究のセミナーをしたいと申し出れば、世界中どこでも断られない。それはお金では買えないアカデミアのパスポートです。こういうのが、第2の貨幣としての価値として期待されるものです。第2、第3の貨幣が技術によってつくられるのであれば、人間もまだ捨てたもんじゃない。

 

――価値観やルールが更新されるということですね。

 

池上 たとえばいまのグローバル経済のなかで、日本が同じルールに則って、アメリカに敵うようなことは考えづらい。なので先に述べたような、新しい価値観をもたらす貨幣はなんだろう、ということを考えるわけです。

 

桐原 ゲーテの『ファウスト』で主人公ファウストが悪魔メフィストと相まみえる直前のシーンで、新約聖書「ヨハネ福音記」をドイツ語に訳しつつ「はじめに語(ロゴス)ありき」という言葉に違和感をおぼえ「意(こころ)ありき」「力ありき」と書き換えていき、最後に「はじめに業(わざ)ありき」と改めます。『ファウスト』の邦訳書には、ここを「はじめに行為ありき」と訳出しているものもあります。翻って仏教など東洋思想では、頭だけで理解することを下に見て身体修養を重要視しますよね。そこには身体性と知性の関係に対する示唆がありますし、先生の「動きが生命をつくる」というテーゼにも近いように思います。

 

池上 すばらしいですね。アーティストの荒川修作さんも、同じようなことを考えていたようです。三鷹天命反転住宅は、身体を駆使して生活するなかから精神が降り立つ“ランディング・ポイント”として建築されたものです。荒川修作さんは、私の高校の大先輩でもあり、彼が亡くなる 3 〜 4 年前から仲良くしていただいていましたが、そのころの荒川さんは、おじいさんおばあさんが楽しく生きられる移動型の人工の土地を構想していていました。ひとつの身体に心が局在化するのではなく、さまざまな場所に偏在するのだとよく言っていました。拡張された身体を考えられていて、アンディ・クラークにもよく通じるところがありました。

 

――先生と共著で『複雑系の進化的シナリオ』を出された金子邦彦先生の研究室にいた円城塔11さんの作品を読んでいると、緻密かつ複雑な物語構造のなかで新しい言語認識をつくりだそうとしているようにみえます。

 

池上 円城さんは研究者としても優秀でしたけれど、小説家として言葉でみる世界の限界に挑戦していますね。私は言葉にできないものを追求していますが、彼の進んでいる方向は、いまChatGPTが増強しているかもしれない。

 

――その分、芥川賞候補になったときの選評では毀誉褒貶がすさまじかったです。とくに『道化師の蝶』で受賞したときも「読者に苦労をかける」「言葉の綾取りみたいなゲーム」などの選評があり、石原慎太郎さんは怒って選考委員をやめてしまいました。

 

池上 新しい時代の幕開けはつねにそうですよね。円城さんの作品は本当に素晴らしいものです。比較して、いまのメディアアートがどれだけの訴求力を持っているかについては疑問です。

 

――アトラクションとして楽しむものは多くありますが、アートとして新しい感覚を触発する作品はほとんどないように思います。

 

池上 私がアート作品をつくりはじめたのが 2005 年です。このころはメディアアートも面白かったと思うのですが、その後どんどんつまらなくなっていった気がします。やはりディープ・ニューラル・ネットワークやChatGPTなどが現実に出てくるのに伴ってつまらなくなったのだと思います。本来はそこから面白くなるはずなのですが何故でしょうね。しかしVRだけはそうでない気がするので、いまはVRアートに興味があります。VRだと「最初に言葉ありき」でなく身体性を通じた価値観に関わるものがつくれるのでは、と思っています。

 

 

 

The Process in Question: The Bridge of Reversible Destiny – 2022 VR version Demo movie

 

 

新しい価値はフレームを壊すところから生まれる

 

桐原 禅画には円相というのがあって、ただ墨で円を描くんですが、それで悟りの度合いがわかるといったりします。

 

池上 いっしょに作品をつくっている渋谷慶一郎12さんとの関わりで高野山のお坊さんと話す機会があります。悟ったお坊さんと話すと面白いです。そうしたお坊さんにも二通りいて、すごく真面目な人もいると思いますが、ベンツに乗っていて服も靴もGUCCIで揃え、財布には札束が入っているような人もいる。でもその方が、実はお金で手に入れられるものを得たうえで、新しい認識論を展開できるかもしれないと思ったりします。

 

桐原 禅の公案に「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という話があります。若い修行僧が、ある山に行って、そこに住んでいるおばあさんに「修行したいからこの山の庵を貸してください」と頼むんです。おばあさんに「お使いなさい」と言われて修行をはじめます。そのおばあさんには娘がいて、身の回りの世話をするのですが、ある時、おばあさんに唆されて修行僧を誘惑しようとします。するとその修行僧は「枯れ木が岩に寄り添うように何にも感じない」と言って拒絶するんですね。娘からそのことを聞いたおばあさんは、「こんなくだらない男の世話をしてきたのか」と言って、そのお坊さんを追い払って庵も焼いてしまう――公案なので単純な解釈ではどうにもならないのですが、間違いのない確実な解決はかえって世界を理解しずらくしていると言われている気になります。

 

池上 その解釈は難しいですね。似た話で、仙人に「自分を仙人にしてほしい」と言ったら、仙人が「いまから何があっても絶対に口を開いてはいけない。それができたら仙人にしてやろう」と言うものがありますね。そこで、虎や蛇や暴漢に襲われたりするけれども口を閉じている。最後に自分の両親が鞭で打たれている場面を見せられて、何のためにその山に座っているのかを言わなければ両親を殺すと言われる。お母さんは「話さなくてもいいから」と言うのだけれど、耐えられなくて「お母さん」と言ってしまう。結局、仙人にはなれなかったのですが、仙人は「もしあそこでお前が黙っていたら、お前の命を絶ってしまうつもりだった」と言って、主人公は平凡な暮らしに戻るという。

 

――『杜子春』ですね。中国の「杜子春伝」では、杜子春が女性で息子を殺されてしまうのですが、芥川龍之介は主人公を息子にして母子愛をテーマとした小説にしています。

 

池上 やはり、新しい価値は矛盾を内包して、フレームを壊すところから生まれます。そのフレームの中には答えはないのだから、フレームの外に出るしかない。そこが重要なところで、ChatGPTには、この 2 つの話をつくることはできないと思いますよ。これをChatGPTがどう解釈するか、あとで試してみましょう。<了>

※10 伊藤穰一(1966 – ) ベンチャーキャピタリスト。黎明期よりインターネットの普及やそれを通じた社会変革に貢献する。元MITメディアラボ所長。現在はさまざまな社課題の解決に取り組む。

※11 円城塔(1972 – ) 小説家。博士研究員として東京大学に勤務したのちにデビュー。2007年に「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞受賞。2012年『道化師の蝶』で芥川賞を受賞。

※12 渋谷慶一郎(1973 – ) 作曲家、音楽家。舞台作品のプロデュースも手がける。電子音楽をはじめ、ピアノソロ、オペラ、オーケストラ、映画音楽、サウンドインスタレーションなど作品は多岐にわたる。

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