情報ではなく信用が流通するデジタルアイデンティティーの時代

REVIEW
テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

「20歳までに共産主義に傾倒しない人間は情熱が足りない。20歳を過ぎて共産主義に傾倒する人間は知恵が足りない」と言ったとされるのは、かの有名なチャーチルだが、共産主義と同じく哲学にかぶれるのは若いうちというのが通り相場だった。ところが今、一見、青臭い哲学的な問いが重要な意味を持ちはじめている。それはAIという存在が私たちに問いかけているものでもある。

 

 

目次

1 精製されない原油というメタファー

2 継続的消費活動がアイデンティティーになる

3 直観、クオリア、意識

4 貨幣という中枢、信用の根拠

5 他者の痛みは私の痛みにはなりえない

6 デジタルアイデンティティーが働き方を変える?

 

 

 

1 精製されない原油というメタファー

ひと頃、ビッグデータが次代の資源となって経済覇権を左右するとさかんに言われた。やや乱暴にいえば、質よりも量を求めるディープラーニングという手法がAIを一気に進化させたからだ。私もデータが次代の石油になると言いつづけてきた。

資源のシフトを見誤ると、時代に取り残されるのは言うまでもない。思えば第一次産業革命がイギリスではじまった要因にあげられるのは、先端テクノロジーであった蒸気機関の燃料となる石炭が豊富に産出していたことがある。その後、第二次産業革命になると、主役の座は蒸気機関からエンジンに移る。担ったのはドイツやアメリカだ。この新興国の覇権を阻止すべく動いたのが、冒頭のチャーチルで、チャーチルはいち早く資源の重要性に気づいており、エンジンの燃料となる石油の産出地域に注目した。それが中東だ。
アラビアのロレンスといった人物が活躍、暗躍して中東に混乱を起こす。これに乗じて、イギリスは中東地域に介入、現代につづく混迷の原因をつくったわけだ。サイクス・ピコ協定でオスマン帝国を分割、石油資源の確保に動く。この動きはあげくの果て、アラブ・フランス・ユダヤを巻き込んでの三枚舌外交となんでもありの様相を呈する。

ことほど左様に資源は世界史の趨勢を占ってきた。ビッグデータに目を向ければ、その重要性は相当なものだとわかるだろう。ただし、原油は精製しなければ産業の資源にならないように、ビッグデータもある種の精製が必要となる。以前から私はその点に注目して、データサイエンティストの役割に期待されるものを想像してきた。

最近、刊行された『経営者が知らないサイバービジネスの核心 デジタルアイデンティティー』(崎村夏彦著/日経BP)に、同様のメタファーをみて膝を打ったのだが、この著者のいう「精製」とはビッグデータをIDと紐づけることであり、「精製」ができなければビッグデータの効用が落ちることよりも、その危険性が増すと警鐘を鳴らす。管理されない膨大なデータが、個人と法人を問わずデータが担保している“信用”を棄損するリスクが高くなるからだ。

 

 

デジタルアイデンティティー 経営者が知らないサイバービジネスの核心
崎村夏彦著
日経BP
ISBN978-4-296-10990-6

 

 

2 継続的消費活動がアイデンティティーになる

『デジタルアイデンティティー』は、第四次産業革命の只中にある今、何が起きようとしているのかを論じた箇所がある。著者は「産業革命はある領域の技術を収穫逓増にしたので、『資本』『労働力』『材料』を多く確保した方が有利になります」と述べ、このうち「資本」は第一次産業革命においてイギリスでは市中銀行による“信用創造”が進み豊富に投入できたことを、産業革命で他国と差がついた大きな要因としてあげている。信用創造によって預金額に縛られず資金を貸し出せるわけで、潤沢な投資を促すことになる。投資の多寡がわけた明暗として、最近のアメリカ企業と日本企業の成長速度があると著者はつづけて指摘する。これを見ても日本は産業革命に乗り遅れつつある。

さて、私が論じたいのはこの信用についてである。すでに過去に「信用をめぐるテクノロジー」(2020/12/1「信用をめぐるテクノロジー :ケインズとフリードマンの邂逅」、2021/1/6「信用をめぐるテクノロジー2:リンゴと暗号、認証と素数」)と題して2回にわたり語ったが、近代以降の経済と信用は非常に密接な関係にある。そして、この信用の源泉にあるものこそ、日本企業がビッグデータ活用を本質的に誤る可能性を秘めている部分ではないかと思う。

信用とは端的にアイデンティティーである。自分が何者であるかの証明である。

私とは何者か?──この青臭い哲学的問いかけが、ビジネスにおいて意味を転換させるのが現代なのだ。

20年ほど前だろうか? あるクレジットカード会社のキャッチコピーに「You are what you buy(あなたの存在は何を買ったかで決まる)」というのがあった。消費者であることはアイデンティティーそのものだと言うわけだ。これをまたクレジットカード(Creditとはまさに信用のことではないか!)会社が掲げたために、ある種の退廃さえ感じさせた。私は『IT批評vol.3 乱反射するインターネットと消費社会』において、哲学者の國分功一郎氏にインタビューでこのことを訊いた。氏は人間観への視点の歪みを話してくれた。

近年はますます私たちは消費活動によってアイデンティティーを強固にし、その継続性で信用を得ている。デジタルアイデンティティーである。ただのビッグデータではない。自分が何者であるかを証明する購買行動の記録なのだ。それが自己同一性の記録であり“信用”なのだ。より大胆に言い換えれば、インターネット上に流通しているのは情報ではなく“信用”だということになる。

 

IT批評
Vol.3
2013/3/12
ISBN104904920074

 

 

 

3 直観、クオリア、意識

 

私とは何者か?という(あるいは「自分探し」のような)青臭い哲学的問いかけが、ビジネスとして意味を持ち始めたのがここ20年あまりなら、情報科学としても大きな意味を持ち始めたのも第3次AIブーム前後からだ。

AIは心や意識を持つのかという疑問が発端だ。脳科学の研究も進んだことで、理解は深まり、そして謎はさらに深まった。

AIが意識を持ったとして人間にはそれを確認する術がない。私たちが決して他者の意識を体験できないのと同じだ。あなたの目に映る空と、私の目に見える空が同じものであるかを確認することは究極的にはできない。

AIやロボットがどんどん進化して、それこそ映画「ブレードランナー」のレプリカントのようにまったく人間と見分けがつかなくなったとしても、AIにもロボットにもレプリカントにも意識があるかはわからないのだ。人間そっくりでありながら意識のない存在を「哲学的ゾンビ」と呼んだのは哲学者のデイビット・チャーマーズだ。意識をもつ人間と、意識を持たないAIの違いを論じる『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』(ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ著/花本知子訳/亜紀書房)にも哲学的ゾンビが登場し、私たちを惑わせる。この書籍が扱う統合情報理論では、意識を意識たらしめている要因とは、多様な選択肢の自然な取捨であり「多様性もあり統合もある」点だ。以前、将棋の羽生善治永世七冠がAIに人間のような直観があるかを語ったと紹介した(2020/11/12「モノとコト、電子化とDX」)。永世七冠は、AIのような膨大な選択肢を思考するのではなく、思考可能なフレームに選択肢を刈り込むことを直観的としていた。

将棋や囲碁でさえ局面ごとに膨大な選択肢がある。これが人の生活上の選択肢となればそれどころではない。そんなはずはないと思われるかもしれないが、私がいま突然おもいたってオフィスの床をでんぐり返しして進むことも、実現可能性の観点でいえば選択肢だし、でんぐり返しをやめて這い這いするとすれば選択肢はまた増える。しかし、それは選ばない。意識があるからだ。

 

意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論
マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ(著),花本 知子 (訳)
亜紀書房
ISBN978-4-7505-1450-5

 

 

4 貨幣という中枢、信用の根拠

 

他人には決して量り知ることのできない私だけの意識を「クオリア」と言う。私は他者のクオリアを体験することはできない。このクオリアを「心身問題」として分析してみせるのが『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』 (西川アサキ著/講談社選書メチエ)である。心身問題とは哲学がずっと取り扱ってきた精神と身体の問題である。

先に挙げた無限の選択肢に対する取捨、それによって生まれる直観という意識。この際、生物学的には脳細胞はどのように運動しているか。無数の細胞のなかに、情報を取得し判断を主体的に行う支配的な細胞があるのか。著者はそれを「中枢」と呼ぶ。

面白いのは「中枢」の概念が経済学の「貨幣の起源」モデルによって検討される部分だ。貨幣の起源として、複数の取引当事者の間の交換において、共通の価値をもつ貨幣=中枢の誕生をシミュレーションして研究されているからだ。私は貨幣の起源についても別の稿(2020/21/1「信用をめぐるテクノロジー :ケインズとフリードマンの邂逅」)ですでに論じた。

この中枢は信用の根拠と言い換えられるだろう。なぜなら、取引の不確実性を中和し無化しうるからだ。不確実性の低減は信用を醸成する。

しかし、著者の西川アサキは貨幣成立後も起源にあった不確実性は幽霊のように存在しつづけるのではないかと言う。それが経済のダイナミズムを生むものではないかと。

 

魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題
西川アサキ著
講談社選書メチエ
ISBN978-4-06-258521-7

 

 

5 他者の痛みは私の痛みにはなりえない

 

アイデンティティーと信用と経済のつながりがおぼろげに見えてきた。そして、私たち日本人がなぜこのアイデンティティーについて考えるのが苦手なのか、ビッグデータ・ビジネスの本質を理解しにくいのはなぜなのかについても手がかりがあるようだ。

私たち日本人は個をもつことが苦手だ。結果、他者という存在を想定できない。他者の痛みは私の痛みにはなりえないという厳然たる事実を受け入れないで、中枢のない共同体を形成しているからだろう。昨今のコロナにおけるSNSの炎上騒ぎのほとんどが、私の痛みは皆の痛みでなければならないという純朴な情緒性のうえに成り立っている。こういう社会では個の信用は後ろに退く。信用は同調によって担保されてしまうからだ。

インターネットに流通しているのが個々の信用であるなら、日本企業がビッグデータ・ビジネスで覇権を得られないのもよくわかる。同調圧の高い社会で、アイデンティティーの重要性は相対的に弱まるのだ。

 

 

6 デジタルアイデンティティーが働き方を変える?

私は以前、AIの進化がもたらすものに個人の信用の担保があるとも論じた(2021/1/6「信用をめぐるテクノロジー2:リンゴと暗号、認証と素数」)。AIによって生体認証の精度があがれば、「マイクロファイナンス」などの金融施策をより簡便に行えるようになる。認証精度が個人の信用を担保するからだ。

先に、「資本」「労働力」「材料」の確保が第一次産業革命の技術革新を推進する原動力になったという『デジタルアイデンティティー』のなかの記述を紹介した。価値のある貨幣財、「中枢」を担えるものだからだ。そして、3つのなかの労働力は「マイクロファイナンス」によって生み出される可能性がある。潜在的で搾取されがちだった労働力が、労働者個々の信用をテクノロジーが担保することで、より正当な賃金でより広く活用されうる。社会全体の生産性は向上するだろう。

これは貧困国の話ではない。副業がひとつのトレンドになり、より自由な働き方が模索される日本において個人のわずかな時間を従来の制約から自由にし、なんらかの生産に当てられるようになるからだ。そして、その自発的な活動は、もう「労働」とは呼ばれなくなるかもしれない。「労働はなぜわたしたちを不調にするのか?  無力感の果ての『働き方』改革」(2021/3/31)で述べたように、それはアレントのいう仕事や活動に近いものになっているのかもしれない。

日本企業が担うべきは、この個人の信用を担保するテクノロジーの精度を向上させ社会実装を進めることであるべきだと考えている。