信用をめぐるテクノロジー :ケインズとフリードマンの邂逅

REVIEW
テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

前回はテクノロジーをめぐって、単なる電子化とDX(デジタル・トランスフォーメーション)の違いについて考察を深めてみた。今回は、さらにテクノロジーが生みだした人工物について少し角度を変えて考えていこうと思う。

 

目次

1 貨幣そのものの在り方を表すヤップ島の石貨
2 貨幣は負債を記録するために誕生した
3 贈与と返礼の構造をなしているクラウドファンディング
4 ブロックチェーンのテクノロジーは複式簿記の発明に匹敵する
5 MMTにおいてケインズとフリードマンは邂逅する

 

 

 

 

 

1 貨幣そのものの在り方を表すヤップ島の石貨

 

ヤップ島の石貨をご存知だろうか。「フェ」と呼ばれ文化人類学から経済学まで頻繁にとりあげられる世界最大の貨幣だ。この石貨は、たとえそれが海中に沈んだ状態でも所有を認められていれば価値がある。人に贈ることも、何かの対価として支払うこともできる。
石貨の本質を見抜いた二人の偉大な、そして対照的な経済学者がいる。ひとりは積極的な財政政策の元祖であるジョン・メイナード・ケインズであり、もうひとりが新自由主義の本尊たるミルトン・フリードマンである。ふたりは、この石貨の在り方こそ貨幣そのものの在り方だと述べた。このことは『21世紀の貨幣論』(フェリックス・マーティン著/遠藤真美 訳/東洋経済新報社)の冒頭で紹介される。
貨幣そのものの在り方とは何かといえば、それは「信用(クレジット)」である。信用という目に見えないものを実体化したものが貨幣であり、信用が維持されていれば貨幣という実物が目の前になくとも価値も維持される。同書には、貨幣の価値は金銀の含有量で決まるとした哲学者ジョン・ロックの、今となっては誤った理解が招くエピソードもある。
ミクロネシアの孤島であるヤップ島の石貨は遠く離れた島で切り出され整形されて運ばれたものである。石貨の巨大さが労苦とそれに伴う価値を実態的に証明するため、石貨はどこに置かれようとも所有権のみ使用される。信用が貨幣の本質なのだ。

 

 

21世紀の貨幣論 東洋経済新報社 フェリックス・マーティン(著)/遠藤真美(訳) ISBN9784492654651

 

 

2 貨幣は負債を記録するために誕生した

 

貨幣の起源としてよく言われるのが物々交換からの発展である。「メンガーの貨幣論」と呼ばれる説で、経済学で信じられるようになり一般にも広く流通している。
これを覆したのが、先頃、若くしてなくなった(そしてアナキストでもある)デヴィッド・グレーバーの『負債論 貨幣と暴力の5000年』(酒井隆史、高祖岩三郎、佐々木夏子 訳/以文社)だ。このなかでグレーバーは、貨幣は貸し借りつまり負債を記録するために誕生したと言う。
膨大な資料をもとに人類史5000年を紐解いて考察するグレーバーは、古代の人々には贈与と返礼といった貸し借りの記録は多く見つかるが、貨幣誕生に先行する物々交換の例がないという。物々交換は貨幣とともに生まれた経済行為なのではないかと。

 

負債論 以文社 デヴィッド・グレーバー(著)/酒井隆史(監訳)/高祖岩三郎・佐々木夏子(訳) ISBN978-4-7531-0334-8​

 

 

3 贈与と返礼の構造をなしているクラウドファンディング

 

贈与と返礼といえば、マルセル・モースの古典『贈与論』(吉田禎吾、江川純一 訳/ちくま学芸文庫)を思い出す。当時、未開とされていた太平洋の島々や北米での経済行為が贈与と返礼によって成り立っていることを広範な調査に基づいて論じた。
有名なのはネイティブアメリカンのポトラッチ(蕩尽)だ。ライフイベントごとに膨大な出費をともなう饗応が開催され、招かれた客も返礼として競って膨大な出費を行う。このポトラッチからフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは普遍経済学の着想を得た。普遍経済学についてはまたの機会に譲ろう。
私が贈与と返礼にこだわるのは現在、ネット上で起きている経済行為に贈与と返礼的なものが目につくからだ。クラウドファンディングなどは端的に贈与と返礼の構造をなしている。

 

贈与論 筑摩書房 マルセル・モース(著)/吉田禎吾・江川 純一(訳) ISBN978-4-480-09199-4

 

 

4 ブロックチェーンのテクノロジーは複式簿記の発明に匹敵する

 

とはいえ、クラウドファンディングはつまるところ貨幣が信用のベースである。これに対し、同じく現代の産物であるトークンエコノミーではデータが信用のベースとなる。データを担保するテクノロジーがブロックチェーンだ。ブロックチェーンが記録するのは当面のところトークンの使用履歴である。つまり貸し借りだ。
貨幣の登場から遅れること数千年、イタリアのヴェネツィアで複式簿記が誕生した。複式簿記は貸し借り、貸方と借方を記録することでより正確な会計システムを構築した。
早くに複式簿記を取り入れたフィレンチェのメディチ家は銀行業で財を成し、ダビンチ、ミケランジェロなどの芸術家だけでなく、近代の幕を開けた科学者ガリレオ・ガリレイも支援したことは『帳簿の世界史』(ジェイコブ・ソール著/村井章子 訳/文春文庫)に詳しい。
複式簿記が未来への投資を可能したのだ。逆に、単式簿記を維持した王朝の多くが財政の腐敗を原因に没落したという。単式簿記は粉飾が容易だったからだ。
さて、ブロックチェーンはどうか。私はブロックチェーンのテクノロジーは複式簿記の発明に匹敵するインパクトを世界史にもたらすと考えている。
複式簿記はこの後、財務三表を整備し減価償却を取り入れIFRSといった国際会計制度までを得て現在に至った。それでもエンロンであり、東芝であり粉飾決算は後を絶たない。リーマンショックといった世界的不況を引き起こすきっかけにさえなる。
ブロックチェーンのリアルタイム性、データの堅牢性、検証性に比べればパラダイムから違う。ブロックチェーンが世界中の企業の会計に導入されればおそらく粉飾決算はアーキテクチャとして不可能になる。

 

帳簿の世界史 文藝春秋 ジェイコブ・ソール(著)/村井章子(訳) ISBN978-4-16-390246-3

 

 

5 MMTにおいてケインズとフリードマンは邂逅する

 

経済における信用にもどろう。信用をテクノロジーによって人工物にしたのが貨幣と述べた。信用は時代を経て、紙幣や証券といった形にも変容していった。電子化も進んだ。
信用だけでどれだけ経済が維持できるか。この壮大な構想を論じたのが、バイデン新新米大統領が属する民主党と縁のあるMMT
(現代貨幣理論)だ。いくつか参考書籍があるが、『MMT 現代貨幣理論とは何か』(井上智洋 著/講談社選書メチエ)がわかりやすい。この著者には『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』(文春新書)というベストセラーもある。
ごく簡単にいえば、MMTでは国家は際限なく借金してもみずから通貨を発行して返済できるから債務不履行になることはない。これは、国家(中央銀行)は自在に信用が創造できるという意味ともとれる。銀行が貸付で預金を増やすことを「信用創造」という。企業に融資されて帳簿に記載される数字こそ、創造された信用である。信用(=貨幣)はやはり貸し借りの記録として維持されるのだ。
経済システムにおける信用はMTTというほとんどフィクションとしての貨幣という地点にあるのではないか?
そして、MMTにおいてケインズとフリードマンはまたしても邂逅する。

 

MMT 現代貨幣理論とは何か 講談社 井上智洋(著) ISBN978-4-06-518204-8

人工知能と経済の未来 文藝春秋 井上智洋(著) ISBN978-4-16-661091-4

 

 

国家とは別に、個人の信用を表現するものはいずれデータから生体そのものへ変化するとこの論考は進みたかった。そこで現れるのが顔認証をはじめとする生体認証テクノロジーなのだが、もはや紙幅がない。次回につづけることにしよう。