量子コンピューターを理解するための量子力学入門
第5回 量子もつれとは何か?─量子情報技術の要からホログラフィック原理まで
量子テレポーテーションと量子情報技術
量子もつれを生かすCNOTゲートとHゲート
量子コンピューターで行われるあらゆる計算は、いくつかの基本的な操作(量子演算)を組み合わせることによって実現している。その中のCNOTゲート(制御NOTゲート)とHゲート(アダマールゲート)という操作を組み合わせると、2つの量子ビットの間に量子もつれが生じる。量子もつれの関係にある量子ビットどうしは、一方に操作をほどこすと、他方にもその影響が及ぶことになる。量子コンピューターでは、多数の量子ビットを量子もつれ状態にし、それを積極的に利用することで、高速計算を実現しているのだ。
連載の第1回でも述べたように、量子コンピューターでの計算途中には、ノイズによって量子ビットにエラーが発生することがある。そのため、計算の途中でエラーが起きたらそれを検出して修正する必要があり、そのような仕組みは「量子誤り訂正」と呼ばれる。量子もつれは、この量子誤り訂正にも利用されている。
ノー・クローニング定理が示す情報セキュリティ
さて、従来のコンピューターでは、例えば、010001110のようなビット列の情報をコピーして、多数の010001110を簡単に作り出すことができる。しかし、実は量子コンピューターでは、どのような重ね合わせ状態になっているか分かっていない未知の量子ビットの情報をコピーして、同じ状態の量子ビット(0と1の重ね合わせ具合などが完全に同じ量子ビット)を2つ作ることは原理的にできないことが知られており、「量子複製不可能定理(ノー・クローニング定理)」と呼ばれている。量子ビットのコピーが原理的にできないということは、量子情報技術の安全性にも関係している。悪意のある第三者が、量子ビットの情報をコピーして盗むことは原理的にできないからだ。
未知の量子ビットが原理的にコピーできないことは、量子コンピューターの実現の難しさとも関係している。前回も述べたように、量子コンピューターでは、量子ビットの重ね合わせ状態を維持したまま、さまざまな計算を実行していく必要がある。しかし量子ビットは周囲の環境の影響を受けて、時間が経つと重ね合わせ状態が壊れてしまう。そのため、意味のある計算を行うには、周囲の環境からの影響を極力排除して、重ね合わせ状態をなるべく長い時間、維持しなくてはならない。これが量子コンピューターの実現を阻む、大きな壁となっているのだ。
もし量子ビットのコピーが可能なら、多数のコピーを作っておいて、ある量子ビットで重ね合わせ状態が壊れたら、コピーの方で計算の続きを実行すればいい。しかし量子ビットのコピーが原理的にできないので、そんな都合の良いやり方はできないのである。
量子テレポーテーションの仕組み
未知の量子ビットの情報をコピーすることはできないが、量子もつれを利用することで、ある量子ビットの情報を壊して、離れた場所の別の量子ビットにその情報を転送することはできる。これは「量子テレポーテーション」と呼ばれる技術であり、将来の量子情報技術の要となるものの一つだと考えられている。
量子テレポーテーションの仕組みはやや複雑なので、
アリスとボブが離れた場所にいて、アリスがもつ粒子A(電子、光子、原子など)と、ボブがもつ粒子Bは量子もつれになっているとしよう(図1)。アリスは、情報を転送させたい粒子αと粒子Aをセットにして、特殊な測定(ベル測定と呼ばれるもの)を行う。そして電波などを使った通常の通信技術(この伝達速度は当然、光速以下)で、その測定結果をボブに伝える。ボブは、アリスの測定結果の情報をもとに、粒子Bにある操作(量子ゲート操作)を加える。すると、粒子Bは粒子αの元の状態と全く同じ状態になる。つまり、粒子αの状態についての情報が、ボブのもとに転送されたことになるわけだ。これが量子テレポーテーションである。粒子αの状態はベル測定によって変化しているので、コピー(同時に同じ状態の粒子が2つある状況)にはなっていないことに注意してほしい。


図1:量子テレポーテーション
なお、量子テレポーテーションはあくまで量子的な情報(量子ビットの状態など)を離れた場所に転送する技術のことであり、SFに登場する、物体自体を遠くに転送するテレポーテーションとは異なる2。