創造主なき世界の私たちと延長された表現型としてのAI
第3回 美は自然と偶然のなかに
宗教色なく装った創造論“インテリジェント・デザイン(ID)”は、科学教育への介入を試みたが、2005年のドーバー裁判で創造論と同様に違憲とされた。これに対しドーキンスは、生命の複雑さや自然の美は神なき進化の積み重ねで説明可能だと反論し、科学こそが秩序と美の驚異を深める営みであることを強調した。
目次
IDのタグをつけた神なき創造論
その後、アメリカのキリスト教保守は、神や聖書の名を出して違憲とされることを迂回して、生命の神秘や複雑さは偶然や自然選択ではありえないとして「知的な創造者(インテリジェント・デザイナー)」の存在を仄めかすID(Intelligent Design:インテリジェント・デザイン) という後継戦略をとり、生化学者マイケル・ベヒーや数学者ウィリアム・デムスキーらを擁するシンクタンク“Discovery Institute(ディスカバリー研究所)”を中心に教育に介入することを試みる。この発想は、本連載2025年3月掲載の「私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い」で紹介したダニエル・デネットが“スカイフック”と揶揄しつつ退けた発想と同等である。1999年にリークされた内部文書“ウェッジ戦略文書(The Wedge Document)”では、唯物論的・自然主義的な世界観を突き崩し、キリスト教的価値観を公共空間に再注入することで、アメリカに宗教的世界観を復権させるためのステップが記されている。2005年にはペンシルヴァニア州ドーバーの教育委員会がカリキュラムにIDを導入し、保護者からの提訴により連邦地方裁判所が審理することとなった。この“キッツミラー対ドーバー地区教育委員会裁判(Kitzmiller v. Dover Area School District)”では“ウェッジ戦略文書”も証拠として提出され、IDは科学ではなく宗教に基づく思想であり、創造説と同じく政教分離に違反するという判決が下された。アメリカでは同時期に、進化論教育だけでなく人工妊娠中絶禁止運動やLGBTQ+への批判、学校での祈り復活など“アメリカ文化戦争”とよばれるキリスト教保守運動が猖獗を極めており、そのいくつかは現在進行中である。
日本にいる私たちの多くには、こうしたキリスト教保守派のふるまいを実感することは難しい。しかし、保守層と宗教との蜜月関係や教育への介入、また民主主義憲法のもとで教育勅語を導入しようとしたり、フィクショナルな要素が明らかに強い『古事記』を歴史教育に招来しようとしたりという動向を見聞きすると、異なる大陸の異教徒のふるまいとして等閑視できないような気もする。
美と驚異は創造主なきところから生まれる
本連載でかつて「シンギュラリティはより近くなっているのか」でも記した通り、ドーキンスは『盲目の時計職人』(日高敏隆監修/早川書房)において、自然神学者ウィリアム・ペイリーの“時計職人の比喩(watchmaker analogy)”に反論する。ペイリーは、野原で時計を見つけたら、その精巧さから設計者の存在を思い描くのと同様に、自然界の秩序と複雑さは「神=設計者」を示唆するものであるとする。これに対しドーキンスは、生命の複雑性は設計されたかのようにみえるが、自然淘汰という盲目的プロセスで十分説明できると反駁し、その複雑さは自然淘汰が無目的に積み重なった結果であり、目的としてもたらされたものではないとする。また、自然界の秩序や機能、美は神の存在証明であり、生物の眼や翼などの器官の精巧さは“究極の時計職人”たる神の設計の証拠として提示するペイリーの論には、時計職人は存在するものの、そこに神は不在であり、自然淘汰という盲目の時計職人の所産であるとして、器官の精巧さは進化の中間形態を通じて自然淘汰で説明可能だと反論する。実のところ、自然選択説に基づく進化論の提唱者ダーウィンは、ケンブリッジの学生時代にペイリーの著作を読み耽り、論理の明快さに影響を受けているものの、進化論を確立したことで、ペイリーの設計論を説明不要なものとした経緯がある。
また『虹の解体:いかにして科学は驚異への扉を開いたか』(福岡伸一訳/早川書房)においては、科学が世界の驚異を奪うとする詩人や宗教家の科学批判に対し、むしろ科学は自然界の美と驚異をより深く理解させるのだと反駁する。事実、このたび刊行された『遺伝子は不滅である』に総カラーで掲載されている自然生物の写真やイラストの数々は、自然の美しさと驚きを感じさせるのにあまりあるものばかりである。
リチャード・ドーキンス (著)
日高 敏隆 (監修)
中島 康裕, 遠藤 彰, 遠藤 知二, 疋田 努 (翻訳)
早川書房
リチャード ドーキンス (著)
福岡 伸一 (翻訳)
早川書房
リチャード ドーキンス (著)
ジャナ レンゾヴァー (イラスト)
大田 直子 (翻訳)
早川書房


