複雑な世界を複雑なまま生きる──PLURALITYとなめらかな社会
第4回 世界の複雑さを反映しうる投票制度

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テキスト 桐原永叔
IT批評編集長

ひまわり学生運動を発端とする台湾のデジタル民主主義は、オードリー・タンのもとで「多元性」を実現する制度へと進化した。『PLURALITY』は、その仕組みと思想を通じて、分断ではなく共創を促す未来の政治のかたちを描き出す。

目次

誰もが政策決定に関与できる社会

PLURALITY』の前半でページを割いて解説されているのは、台湾でのデジタル民主義導入の実践の内容だ。
台湾では2014年、若者や市民たちが中国との「海峡両岸サービス貿易協定」に反発し大規模な抗議を展開した、ひまわり学生運動が発端となり政治への信頼や参加意識の高まりを背景に、「零時政府/g0v(ガブゼロ)」などのシビックテックコミュニティが行政の透明化や社会問題解決のための技術開発を積極的に行うようになった。
g0vとは、社会課題や政策決定に市民が主体的かつオープンに参加できるプラットフォームとして機能する。もともとは政府ウェブサイトをよりわかりやすく見やすくした「フォーク版」を公開したことで活動が広がった。行政や政策決定の透明化・オープン化を進め、定期的ハッカソンを通じて多様な市民参加型プロジェクトを創出している。オードリー・タンもg0vの活動が評価されたことから、政府でのキャリアがスタートした。
g0vの動きを政府も受け止め、国民が政策・法律提案し行政がこれに応答する「Join」や、ネット上で市民・専門家・政府が熟議しコンセンサス形成を図る「vTaiwan」など、市民参加型のデジタルプラットフォームが相次いで構築されるようになる。
こうした市民と政府の協働、双方向の議論や意思決定を実現するためのデジタル民主主義の基盤づくりを主導したのが、後にデジタル担当大臣までになるオードリー・タンなのである。
タンは市民がテクノロジーを通じてみずから社会ルールに関わり意見を反映しうる制度を整備した。コロナ禍ではマスク在庫情報や濃厚接触者追跡のオープンシステムをつくるなど、徹底したオープンガバメントを推進して世界的に注目された。
Joinに対する市民からの政策提案は1万件を超え、そのうち200件が実際に法制化される成果を上げ、「誰もが政策決定に関与できる社会」をつくりあげた。

PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来

オードリー・タン, E・グレン・ワイル (著)

山形浩生 (翻訳)

ライツ社

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「多元的な意思決定」を実現するための仕組み

PLURALITY』では、テクノロジー活用の実践的な提案のみならず経済学的な考察はもちろん、生物学、宗教の視点からもさまざまに社会に多元性を担保する手法が検討される。
わたしが新たに気づきを得たのは社会のネットワークのあり方だ。2回前の#57「共同主観的ネットワークの虚構と生成AIのハルシネーション──ハラリ『NEXUS』が示唆した領域」で、ハラリが論じた共同主観的ネットワークの虚構性や単一性について感じた疑問がどこにあったのかわかったからだ。
自分の文章だが引用しておく。

ハラリは神話のような虚構を現実化する共同主観──大きな物語──を生成するのはネットワークだという。実はわたしはここでページを捲る手が止まった。なぜなら、前回に書いたような多様性を担保するのは、小さな価値観のネットワークであるべきだと考えていたからだ。ネットワークこそ、包括的なイデオロギーに対抗しうる方法だと考えていたからだ。

共同主観的ネットワークの虚構と生成AIのハルシネーション

ずっとネットワークとは多様な人々や多層な価値観を架橋して、それぞれが互いを認め合うことで初めて回路が通じあって成立するものだとわたしは考えてきた。ネットワークとはそもそも異質なもの同士を繋げる概念であり、よって多様性を担保しその流動性も保持できるはずだ、と。
それに対しハラリは情報技術のアルゴリズムが生み出したネットワークの秩序と権力の集中に強い警戒感を示している。情報ネットワークは必ずしも真実や多様性を前提としたものではなく、むしろ共通の物語や神話、虚構によって人々を結びつけ、巨大な協力体制や社会秩序を生み出してきたと指摘する。このあたりは、オールメディアのコメンテーターたちのSNSというフィルターバブルのなかで踊る若者に対する危機感と通じているかもしれない。
しかし、『PLURALITY』で示されるネットワークとは、中央集権的なネットワークではなくインターネット原初のポリシーである、分散型ネットワークのことなのである。そうだ。わたしは知らず知らずのうちに、ネットワークの2つのあり方を整理しないで考えてしまっていたのだ。
PLURALITY』では、中央集権ネットワークではない社会をデジタル技術によって実現する方法を議論、検討しているのだ。本稿のテーマでいえば、選挙投票についても丁寧な議論が展開される。
共著者であり、マイクロソフトリサーチ(MSR)に所属する経済学者グレン・ワイルが提唱した「クアドラティック・ボーティングQuadratic Voting:QV)」だ。QVは、現在の一人一票制とは異なり、各人が自分の関心の強度に応じて複数票を投じることができる方式である。投票に「クレジット」と呼ばれる仮想通貨的な単位を使用し、投票数に応じてクレジットが二次(平方根)関数的に増加する──たとえば2票投じるには4クレジット、3票なら9クレジットが必要──仕組みになっている。このため、関心の強さが高い案件には多く投票できる一方で、クレジットがその分、多く必要になり極端な偏りを抑える。そうして単なる多数決では拾いきれない少数派の強い意見も結果に適切に反映され、多数派の専制が回避されるわけだ。
QVは「多元的な意思決定」を実現するための中核的仕組みとして『PLURALITY』で紹介される。単に賛否・多数決で物事を決めるのではなく、各個人が多様な立場を持ち、その強さまでも意思決定プロセスに反映させる重要性が議論されるのだ。
このQVこそ、先に述べたイシューの複雑さやその絡み合いのトレードオフをほぐし、投票者の意思をより自由に表明できるものに思う。QVの方法とその考えが十分に人口に膾炙していけば、イデオロギーに囚われて意見ではなく党派で選ぶことも、ブームに煽られてキャラクターで選ぶという短絡的な投票行動も減衰すると考えられないか。
PLURALITY』ではこのほかにも、経済活動──QVに似た資金配分方法、投資方法であるクアドラティック・ファンディング(Quadratic Funding:QF)──や、環境問題、教育、文化など多岐にわたって議論される。それらの根底にあるのは、分散ネットワークという形状であり、多元性という世界の複雑さをそのまま反映しうる概念だ。
わたしは、多様性を担保するネットワークについてなんどか書いてきたが、PLURALITYの思想をふまえて、改めて述べておきたい。
個人はさまざまな属性や関心、信念で、それぞれのネットワークに接続されている。そのネットワークは分散型であり、この分散型のネットワークがまた無数に散らばっている。このネットワークは幾重にも重なりあっており、その端と端が重なりあう結節点こそ個人ではにないか。この個人がなければ、複数・複雑なネットワークを結節させることができない。
PLURALITY』は600ページ近い大部であり、議論の内容も専門性を必要とするところも多々ある。まず、手っ取り早く概要を理解するには、法政大学准教授の李舜志の『テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?』(集英社新書)がわかりやすい。ほかにも『オードリー・タンが語るデジタル民主主義』(大野和基インタビュー・編/NHK出版新書)を読むと、タンの実践についてより理解できるだろう。そこでのタンの発言を引用しておきたい。

キーワードは「相互依存」です。組織や社会に置き換えると、「すべてのステークホルダーの行動は、ほかのどのステークホルダーの意見や行動に対しても相互依存するものであり、それゆえに、たった1回の投票による過半数票での合意の到達・解決はあり得ない。我々 はお互いの意見に耳を傾け、探索しながら大まかな合意に達するという理解のうえで民主主義を実践する」ということです。

『オードリー・タンが語るデジタル民主主義』