共同主観的ネットワークの虚構と生成AIのハルシネーション──ハラリ『NEXUS』が示唆した領域
第1回 一神教的世界観によるテクノロジーの読み解きへの疑問

AIの進化が加速し、現実そのものの定義が揺らぐ現代。ユヴァル・ノア・ハラリは『NEXUS』で、人類が信じる「共同主観的現実」の生成とAIの神格化を通じて、私たちの未来に迫る危機と可能性を浮き彫りにする。
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未だ、わたしは何を書きすすめようとしているのかわからないでいる。これまで56回、こうした記事を書きつづけてきたし、その度に明快なテーマと明瞭なモチーフを持ち得たことなど、わずか数回あるかないかとは思うが、それでも書きはじめる段になってここまで混乱してはいなかったのだが──。
共同主観的現実とはなにか?
わたしたちは現在、AIを代表とする情報科学が長足の進化を果たし、社会の隅々にまでテクノロジーが浸透する時代に生きている。ことにOpenAIがChatGPT3.5を公開した2022年以降について、その進化は年表では表せない。月単位で、それ以前の時代を画するが如きイノベーションが起きているからだ。
それに牽引されるかのように、国際政治、国際経済の様相も変化が激しい。ひとつにはGPUといった半導体が提供する計算資源をめぐる地政学的な対立の表面化があるし、もうひとつにはSNSの普及・浸透によってまったく新しい世論が形成されることによる政治状況の変革だ。
ユヴァル・ノア・ハラリは最新の『NEXUS 情報の人類史 人間のネットワーク』上下(柴田裕之訳/河出書房新社)で、こうしたAIという、ある意味ですでに自律したアルゴリズムが人間の介在しない新しい“現実”を生み出している状況を論じている。
ハラリはすでに『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』上下(柴田裕之訳/河出書房新社)で、農業革命に先立つ認知革命によって人類が共通のフィクションを信念としていくことで現実を生み出してきた壮大な歴史について、科学革命の只中であるAIの時代にまで連綿たる歴史を論じていた。
今回のこの『NEXUS』では、人間同士のネットワークのなかで増幅・増強される、この共通のフィクションを「共同主観的現実」と呼んでいる。共通のフィクションには、宗教神話における幻想、あるいは全体主義国家における虚構がある。
それらを、いわば自己言及的に強固にして人々に浸透させる政治体制としての官僚制──文書と情報の保管が人類史に付与した決定的な意味──について、古今東西の広範な歴史からの事例をとりあげている。
わたしはこれまでにハラリの論調に現れるユダヤ=キリスト教的(あるいはイスラム教も含むアブラハムの宗教的)な世界観と論理についてかなり警戒心を持ってきた。AIを次の神として見ることに大きな違和感がある。ハラリは『NEXUS』でいよいよ、その部分を鮮明にする。
AIのアルゴリズムが果たす機能は、宗教神話が行なってきた機能に匹敵すると論じている点に端的だ。その機能は“共同主観的”な現実を生成することであり、AIも神と同様に“不可謬”とされてしまう点にある。
わたしはかつてレイ・カーツワイルのシンギュラリティやトランスヒューマンの思想に一神教的な偏狭を感じ、ハラリの論と合わせて懐疑的に見てきた。ユダヤ教にもキリスト教にも歴史的に縁の薄い日本人のインテリたちが、こうしたカーツワイルやハラリの論調をもてはやすのを苦々しい気持ちで見てきた。
ユヴァル・ノア・ハラリ (著)
柴田 裕之 (訳)
河出書房新社
ISBN:978-4309229430