無知を問うアグノトロジー(無知学)とジェンダード・イノベーション
第1回 ソクラテスは「無知の知」を言わなかった

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テキスト 都築正明
IT批評編集部

「知らない」という事実をどう受けとめるか――「無知の知」の言葉で引用されるソクラテスは、実はこの言葉を口にしていない。弟子プラトンの記述によると、彼は“非知”と“無知”とを峻別し、知り得ぬものへの畏れと、知ろうとしない知的怠惰を戒めたという。本稿では“無知”の概念を再考する無知学(アグノトロジー)”という学問分野とその発展について紹介する。

目次

「無知の知」と「不知と無知」

無知という本稿タイトルを目にして、ソクラテスの言葉とされる「無知の知」を思い浮かべた読者も多いことと拝察する。中等教育の倫理分野ではまずタレスやソロンの名が最初に登場することが多いものの、西洋道徳哲学の基礎を築いたソクラテスの名とともに記されるこの言葉は、2,500年ほどを経た現在でも頻繁に援用される。ソクラテスが37歳のときにギリシアのアポロン神殿で巫女から伝えられる「デルフォイの信託」において「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という神託を受け、その真偽を確かめるために当時の知者と問答を重ねるなかで「無知の知」の真理に至った――というのがよくいわれる逸話である。現在においてこの言葉がいわれるときには、知らないことを知らないとして探求する知的誠実さや、問答の相手に対して知らない自分という高次の認識――数年前からの流行語で言えば“メタ認知”――を示すことで論争に勝利したといった含意をもって語られることが多いようだ。

対話により知を研鑽することを重視し、それを文字に遺すことを軽侮したソクラテスの人物像は、弟子プラトンによる『国家』(藤澤令夫訳/岩波文庫)や『饗宴』(久保勉訳/岩波文庫)、また『ソクラテスの弁明』(久保勉訳/岩波文庫)といった「対話篇」といわれる著作群により形づくられた面が大きい。『ソクラテスの弁明』には、有名な次の一節が記されている「どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」。しかしながら、こうソクラテスが述懐したのは“美しく善きもの”についての問答の後である。つまりソクラテスは、美・善・徳のような、神に帰せられることについて知らないと言っているのであり、そこにあるのは敬神の態度である。そうした姿勢は、同じく『ソクラテスの弁明』の次のような一節にも看取することができる「もし実際に、私が他の人よりなんらかの点でより知恵があると言えるのなら、まさにこの点、つまり、冥府の世界のことはよく知らないので、そのとおり知らないと思っている点でそうなのです」。つまりソクラテスは、知り得ないことを「知ったかぶり」しないことを知恵と称しているのであり、何らかの学習や理解によって埋められるべき空白について知らないとは言っていない。実際に「対話篇」におけるソクラテスは、知り得るであろうものについては積極的に論争している。しばしばソクラテスが無知を自覚して発したと誤解されている言葉「汝自身を知れ」は、もとよりアポロン神殿の門に刻まれていたものである。

私たちにとって「無知」とはなにか

知り得ないものと知り得るものとの峻別については、『リュシス 恋がたき』(田中伸司・三嶋 輝夫 訳/講談社学術文庫)所収の「友愛について」という副題をもつプラトン「リュシス」篇には次の示唆的な一説がある「不知を持つことで悪くなってしまっている者もまた、知を愛することはない。というのは、悪しく無知なるものは誰一人、知を愛することはないから。残るのは、この悪、つまり、不知を持ってはいるが、未だそれによって不知で無知なる者とはなっておらず、知らないものを知らないと考えている者である」。つまり、いまだ知識や認識(γνῶσις, γνῶσις, gnōsis:グノーシス)を持たない「不知(ἄγνοια, agnoia:アグノイア)」の状態にあるものの、それを自覚せず学びや理解(μάθησις, mathēsis:マテーシス)を持たない者を「無知(ἀμαθία, amathia:アマティアー)」として、ソクラテスは深く断罪しているのである。附言すると「数学(μαθηματικά, mathēmatiká)」はマテーシスの派生語である。ソクラテスであれプラトンであれ、まさか数学の学習途上にある者を無知で愚昧とは断罪しないだろう。

対話により真実が胚胎されるとして文字を嫌悪したソクラテスに準じて、プラトンは著書『パイドロス』(藤澤令夫訳/岩波文庫)において、文字を発明して人間に伝えた技術の神テウトと神々の王タモスとの会話の形を借りて、文字と書物への批判を展開する。「この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵は高まり、物覚えは良くなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから」というテウトに応えてタモスは「いまあなたは、文字の親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた」と応じる。続けてタモスは「あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない」と断じ、文字に頼る人々について「本当は何も知らないでいながら、見かけだけは非常な博識であると思われるようになるだろうし、また、知者となる代わりに知者であるという自惚れだけが発達するため、付き合いにくい人間となるだろう」と喝破する。

とはいえ、プラトンは当代きっての書き手であったことも看過しがたい事実である。ソクラテスのいう知り得ないものについて、プラトンは感覚世界の外にある超越的なイデア(ἰδέα, idea)として論じ、その弟子のアリストテレスは師を批判して感覚世界に内在する世界内秩序としての形相(εἶδος,eidos)を論じ、それぞれの思想はその後の西洋道徳哲学に引き継がれていく。死後2000年あまりを経ても参照される両者の思想は、文字と書籍に遺された「不知」を贖う読書という営為によってなされたものにほかならない。それでは私たちの「無知」はどこにあるのだろう。それが本稿のテーマである。

国家 上

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