アクセンチュア マネジング・ディレクター 巽直樹氏に聞く
第2回 ガラパゴス化したGXの理念と経済安保のジレンマ
はたしてGX(グリーントランスフォーメーション)は気候変動対策と経済成長を両立させるのか。エネルギー安全保障や経済性と環境問題対策はトレードオフの関係にあるとすれば、生成AIが国力の核心を握る時代に、GX政策は安全保障というさらに重大な問題をも対象とせざるをえないだろう。巽氏はGX政策の問題点について、そのガラパゴス化の経緯から論じる。

巽 直樹(たつみ なおき)
アクセンチュア ビジネスコンサルティング本部マネジング・ディレクター
中央大学法学部卒、東北大学大学院経済学研究科博士課程修了、博士(経営学)。東洋(現三菱UFG)信託銀行、東北電力、インソース執行役員、新日本(現EY新日本)監査法人エグゼクティブディレクター、KPMGコンサルティング プリンシパルなどを経て、現職。この間、学習院大学経済学部特別客員教授などを歴任。著書は『まるわかり電力デジタル革命 EvolutionPro』(日本電気協会新聞部)、『カーボンニュートラル もうひとつの“新しい日常”への挑戦』(日本経済新聞出版)、『ローカルグリーントランスフォーメーション』(エネルギーフォーラム)など多数。国際公共経済学会理事、立命館大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)客員教授なども務める。
目次
GX(グリーントランスフォーメーション)推進法が目指すもの
IT批評編集長・桐原永叔(以下、──)最近、GX(グリーントランスフォーメーション)について耳にしますが、そのコンセプトや背景について教えてください。
巽 直樹氏(以下、巽) GX(グリーントランスフォーメーション)推進法、正式名称は「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律」ですが、これは日本が「2050年カーボンニュートラル達成」という国際公約を守りながら、同時に産業競争力を維持・強化し、経済成長を実現することを目指すとされている政策群を実現するための法律です。具体的手段として、政府は2023年度から10年間で、総額20兆円規模のGX経済移行債(トランジションボンド)を発行し、これを呼び水として官民合わせて150兆円規模のGX投資を促すという意図があります。GX推進法はこの資金動員を加速させるための制度的基盤ともいえます。
財源は税金で賄うのでしょうか。
巽 GX経済移行債の償還財源は、一般財源ではなく化石燃料賦課金や排出量取引(CP)などを通じた特定事業者の負担金によって賄う仕組みです。ただし、直接税で徴収されることがないからといって国民負担がゼロになるわけではありません。電気・ガス料金や製品価格を通じて、結局は間接的に国民が広く負担することになります。
GX投資は主にどんな分野に投資されるんですか。
巽 GX経済移行債を財源として、脱炭素技術の研究開発、省エネルギー設備、再生可能エネルギー、水素・アンモニア、CCS(二酸化炭素回収・貯留)などの次世代エネルギーやクリーンテックと呼ばれる領域に資金が投じられます。もっとも、初期に想定されていた代替エネルギーなどの新技術はコスト低下などの課題を抱えており、現時点でも商業化の見通しが立たないものが多い状況です。菅義偉元首相が2020年に「2050年カーボンニュートラル達成」を国際公約として打ち出したことで、日本では「GX=脱炭素」という図式が強まりました。グローバルでこの種の削減目標を厳しく設定してきたのはG7を中心とする先進国だけです。COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)での交渉の混乱ぶりを見てのとおり、新興国はこのような厳格な定量目標には最初から付いて来ていません。
アメリカもトランプ政権に替わってパリ協定を離脱しました。
巽 2050年カーボンニュートラル達成という至上命題そのものが、今や存在意義を問われています。日本でも最近は、GX経済移行債を用いて次世代革新炉の研究・実証炉整備への資金投入、また、移行期の化石燃料活用において、ガス火力を過渡期の技術として見直される方向が示されています。こうした現実への対応に沿った軌道修正は今後も随時行われるべきでしょう。何よりもこの5年ほど、エネルギー安全保障や経済性を疎かにしてまで環境適合に傾注しすぎた側面は反省し、国益を優先して修正されるべきだと考えています。
GXという言葉は日本でしか通用しない
一般にはGXという単語はDXほどには注目されていない印象ですが。
巽 エネルギー・環境問題を注視していると毎日のように目につきますが、社会全体に広く浸透しているとは言い難いです。そもそも「GX」という言葉は定義以前に、グローバルでもほぼ認知されていません。
輸入語ではなくて日本独自のコンセプトなんですね。
巽 2023年4月の札幌でのG7気候・エネルギー・環境大臣会合コミュニケには「グリーン・トランスフォーメーション」という項目が挙げられていました。しかし、翌5月の広島サミットでは合意文書への反映が試みられましたが、 G7広島首脳コミュニケ(2023年5月20日) にGXという言葉は盛り込まれませんでした。この背景には、日本のGX戦略が「グリーンウォッシュ」であるという指摘から退けられたという説もあります。
なぜ上部を取り繕っただけの環境対策の表現である「グリーンウォッシュ」と受け取られたのでしょうか。
巽 日本がアンモニア・水素混焼により、石炭火力発電の延命を図っていることが、欧州の環境原理主義的な考えのもとではグリーンウォッシュであるとの論法が背景にあると思います。日本は、名を捨てて(グローバルでのGX認知)、実を取った(化石燃料発電利用の継続)ともいえますし、このこと自体は高く評価されるべきです。しかし、GXという言葉はガラパゴス化してしまいました。EUでは欧州グリーンディール、米国ではネットゼロやグリーンニューディール、中国では3060目標(2030年ピーク、2060年カーボンニュートラル)と、各国・地域でバラバラに独自の表現が用いられているのが現実です。
「脱炭素」もかつてほどは耳にしなくなりました。
巽 「脱炭素」は英語ではDecarbonizationですが、パリ協定締結直後はまだしも、最近ではあまり耳にすることはありません。論理的に考えると違和感のある言葉ですので、個人的にもここ数年は極力使わないようにしています。たとえば、「世界は脱炭素から低炭素へ回帰」といった対比のための表現においての片方の言葉として使う程度です。先ほどの火力発電におけるアンモニア・水素をまぜて燃焼させる混焼ですが、将来目指されている特定の燃料のみを燃焼させる専焼も含めて、現状のコスト水準では電気料金の上昇要因になるだけです。こうしたシグナルは、AIによるデータセンター(DC)需要が世界中で高まるなか、日本への投資促進の足枷となる懸念もあります。グリーンウォッシュという非難のされ方にも強い抵抗感はありますが、トランプ政権を見習ってノーウォッシュで居直るくらいで良いと思います。一方、国内のエネルギーコストに無頓着になっている部分に対しては、むしろ「対日投資忌避」という黒船を逆手に取って、現実を直視させることもあり得るでしょう。
日本は超高効率石炭火力では先進技術を持っていますから、そちらにシフトすべきだと。
巽 そもそも日本のクリーンコール技術1は世界最高峰ですし、IGCC(石炭ガス化複合発電)やIGFC(石炭ガス化燃料電池複合発電)などの次世代技術もあります。こうした技術を放棄することは愚の骨頂で、新興国の非効率石炭火力のリプレースに活用するべく、輸出産業として振興するべきだと個人的には考えています。
一足飛びに脱炭素を目指すのではなく、低炭素を実現したほうが現実的だということでしょうか。
巽 その通りです。日本の技術は、現状では脱炭素どころか低炭素化の見通しさえ立っていない新興国の環境問題の解決につながります。世界全体で取り組まねば全く意味のないカーボンニュートラルに向けての「急がば回れ」という発想を忘れてはなりません。日本がこうしたことに躊躇していれば、中国の石炭火力技術がいずれ追いついてくると、太陽光パネルや他の産業同様に、日本が世界市場から駆逐されるだけです。
カーボンニュートラル達成という至上命題がむしろ足枷になっているというわけですね。
巽 はい。既に世界で多極化が進んでいることは、国際情勢を多少なりとも知る人々にはもはや常識です。このなかで、米中露が本当に対立しているのかという疑念さえ生じるなか、従来の米国主導のグローバリズムを退けて多極化を進めているトランプ政権のエネルギー政策が示されて以降、この流れが加速しています。こうした世界情勢を多角的に分析し、少なくとも「当たらずとも遠からず」の見通しを持つことさえ、日本国内ではまだまだ少ないのがとても残念です。加えて、世界的に見てもDXは「民需」によって推進されていますが、日本でのGX、前述のとおり諸外国・地域でこれに類する概念は「官需」に近い性格を帯びています。この相違は忘れてはなりません。その一方で、日本のGX推進の中には「MESH構想2」や「ワット・ビット連携3」など、本来の産業政策として大きな可能性を秘める取り組みが急速に取り込まれつつある点も見逃せません。
ワット・ビット連携は「モア・フロム・レス」の具体策として期待しうるものですよね。
巽 そうですね。この構想を提唱した東京電力パワーグリッドの岡本浩副社長にダイヤモンド・オンラインの寄稿用にインタビューを実施しました4。岡本氏もアンドリュー・マカフィーの「モア・フロム・レス」という考え方を重要視しています。個人的にも「経済成長と環境適合の同時達成」というスローガンは、経済学的に論理矛盾を指摘されやすいと考えています。その点、「モア・フロム・レス」は現実志向、未来志向で、何よりもスマートなアプローチだと考えています。
CP導入の是非
今年5月28日に改正GX推進法が参議院本会議において可決・成立しました。2026年4月1日からの施行になるCPが導入されます。これは予定通り進むんでしょうか。
巽 改正GX推進法の主な内容は、「CO₂排出量取引の義務化と市場整備」、「化石燃料賦課金・特定事業者負担金の改定・強化」、「GX経済移行債を活用した財政支援の枠組み継続・強化」、「循環型社会実現へ向けた資源有効利用促進法改正」、「制度運営機構の役割強化と進捗モニタリング明確化」の5つが挙げられます。このうち最初の2つの項目でCP 導入が決まったわけですから、CP導入が可能か否かでいえば、政府にその意思が明確にあって、民意が過去の選挙などで強烈に反対していないため、このまま実施可能となります。カタカナになっていると分かりづらいですが、実質的に炭素税なので課税と同じです。日本ではエネルギー問題は選挙の争点になりづらいため、この分野で政策を正しく進めようとされる代議士の方が余りにも少ない。また国民も、これまで消費税率には敏感だが社会保障費には鈍感といった矛盾した面もあり、なおさら環境税に至っては存在すら意識されていない場合もあります。消費税率と同じ感覚を持てば、環境税がもっと問題視されても不思議ではない話です。GX経済移行債の償還原資になるわけですから、この制度が覆ることはなく、導入は可能です。問題は、GX投資の結果として現在想定されているようなリターンがなければ、日本の国際競争力低下や経済成長棄損といった形で跳ね返ってきます。こうして壮大な社会実験が始まったわけですが、慶應義塾大学の野村浩二教授は、全産業への画一的な脱炭素は非効率であると警鐘を鳴らしています5。
エネルギー多消費製造業の海外移転は加速するのか
CP導入が日本の産業力の衰退要因になるという意見もあります。どうみていますか。
巽 現状、日本もドイツなどと同様に他国(特に米国・中国)と比べてエネルギーコストが高く、この格差は無視できない水準に達しています。GX推進などによる規制強化、電気代の上昇が続けば、これがさらなる移転圧力となる可能性があります。炭素強度の高いエネルギー多消費製造業(鉄鋼、化学、セメント、紙パルプ、非鉄金属など)が、国際競争力を失い事業が営めなくなって消滅することを未然に防ぐためには、企業行動としてとるべきことは国外移転であることは自明だからです。過去にも海外との電気料金格差という問題でアルミ産業が国内から消滅したことと同じ構図です。こうした問題などを踏まえ、電力自由化、その後に電力システム改革が始まったのですが、電気料金低下という成果に結びつかないまま、近年は逆に上昇を続けてきました。国内生産拠点の全面的な閉鎖ではなくても、新規投資や設備更新の一部が海外に振り向けられることで、国内生産の漸減と空洞化が進行する可能性があります。とりわけ、高炉から電炉への転換が進む鉄鋼業、ナフサクラッカーの老朽化などが進む化学業などでは、撤退や縮小が段階的かつ目立たない形で進み、気づいた時には国内基盤の再構築が困難になる可能性も否定できません。日本政府はGX推進を「成長戦略」と位置付けていますが、その意図とは裏腹に、エネルギー多消費製造業にとっては規制コストの増加による縮小圧力としてしか作用しません。欧州ですら、2023年頃からグリーンディールの見直しを余儀なくされており、「脱炭素は経済成長のドライバーである」という構図は、再エネ、EV部品、蓄電池、半導体材料などの例外的な(補助金に支えられた)セクターに限られると思います。
そうなんですね。鉄鋼や化学は社会のインフラ維持に不可欠な産業領域と考えると、脱炭素は大きなジレンマですね。
巽 鉄鋼や化学は経済安全保障上の死活産業とも言えます。この産業構造が気候変動対策と衝突する場合、政府は「GXか経済安保か」の二者択一を迫られます。日本の強みである高効率・高付加価値のエネルギー多消費産業は、今のこの時代にこそ世界的価値を発揮する余地があります。GXは本来「産業政策」であるべきですが、日本に何を残すのかといった議論が本質的に欠けていると思います。産業の持続性と競争力維持を最優先したGX政策の再設計が必要でしょう。
このあいだの日本製鐵のUSスチール買収もGX政策と関係があるのでしょうか。
巽 日本国内では、GX政策の影響で鉄鋼業は炭素強度の高い産業の象徴として締め付けられている状況です。しかし日本製鐵の橋本会長は、このような逆風に対して「日本発の世界展開で生き残る」覚悟を示したとも言えます。今回の買収は「縮小均衡ではなく、攻めの再編こそが生存戦略」という、現実的回答なのだと解釈しています。そして、その攻め込む先がエネルギードミナンスを掲げる米国であることが、結果的に大きな意味を持つことになると考えています。