即興する心とAIの因果
第4回 啓蒙思想はなにを語ってきたのか
3月に公開した本連載では、ピンカーの『21世紀の啓蒙』を挙げて、18世紀の科学革命のもとで啓蒙思想に触れた。今回は、啓蒙思想の2つの潮流について整理しつつ、思想と脳科学、そして人工知能との界面を探る準備としたい。
目次
啓蒙主義哲学とは
18世紀にキリスト教に基づくスコラ哲学が退潮した時代に、新しい哲学が求められた。
大きく3つの理由を挙げると、
- 1:⼗字軍遠征に伴い、イスラム教世界観などに⼈々が接するとともにイスラム圏で保存されていたギリシア・ローマの⽂献に接することで、神ではなく⼈間への関⼼が⾼まった価値相対化
- 2:ルターの宗教改⾰や、カトリックとプロテスタントの戦いにより、カトリック教会権威の失墜
- 3:コペルニクスの地動説やガリレイの物体落下の法則、ニュートンの万有引⼒の法則などが明らかになったことに起因する⾃然科学的世界像の受容
である。
聖書の物語を全面的に信用することもできず、一方、科学によって自己や世界の意味について客観的に解釈できるわけでもない状況の中で新しい思想が要請され、科学哲学に基づく新しい世界観や人間観、また政治観を打ち立てようとする経験論がイギリスを中心に論じられる。
一方、ヨーロッパ大陸では合理的に神の存在を理解しようとする大陸合理論が形成された。
のちにカントが、客観中心の認識論から主観中心の認識論への転換をはかる超越論的観念論としての批判哲学を主張して、両者を統合して乗り越えたとされる。
イギリス経験論も大陸合理論も、論者によって立場は異なるが、以下にいくつかの対立軸を示しながら整理しておきたい。
イギリス経験論と大陸合理論の相異点
イギリス経験論は、事物や観念それ自体というものは存在せず、あるのは認識された経験だけであるという前提に立つ。
他方、大陸合理論においては、理性によって得られる明晰な観念のみが真理であるとする前提に立つ。
フランシス・ベーコンが「知は力なり」をスローガンとして提唱したイギリス経験論の方法論は、諸事物の実験と観察(経験)を繰り返し、それらに共通する法則を発見する帰納法を理想とする。
ベーコンはこのように発見された自然を支配することで豊かさを手に入れることができると提唱した。
他方、ルネ・デカルトは与えられた問題を方程式として再構成することで解を発見する演繹法を学問の理想とし、すべての学問体系を幾何学的に置き換える普遍数学を目指した。
このような前提や方法論のもとで、双方の見解の違いを下図に示したので、ご覧いただきたい。
イギリス経験論と大陸合理論の比較
人間の本性は空白の石板(タブラ・ラサ)である。人は経験によって概念をそこに書き込むのだとする(ロック)
自然状態は自然法が支配する平等な状態だが、紛争を解決する手段として社会契約に基づく政府に自然権を預けるべき(社会契約説:ロック)ただし人々は抵抗権として革命を起こす権利を持つ
自然そのものである神のみが唯一の実態で、精神・物体はその属性に過ぎないとした(物心一元論:スピノザ)
モナド(単子)という最小の構成要素が神の力によって秩序づけられている(予定調和論:ライプニッツ)
次回考察するデヴィット・ヒュームについて、少し解説を加えたい。
ヒュームは、知覚を直接的な感覚や感情に基づく印象(Impression)と、印象に基づいて記憶や想像力などの心理的習慣に基づいて心のなかに再現する観念(Idea)とに二分したうえで、デカルトのいう固定的な精神実体(res cogitans)は存在せず、心を構成するものは知覚のみだとする“知覚の束”理論を提示する。
ヒュームはまた、得られる知覚はその時点によって異なるので、抽象的な観念の存在は否定され、認知や思考は、類似(similarity)・時空的近接(contiguity)・因果関係(causality)の自然的結合において動的に形成されるという“観念連合論”を考察する。
この一連の考察は、現在『人間本性論 第1巻〈普及版〉:知性について』(木曾好能訳/法政大学出版局)に所収されている。
形而上学を廃して自然主義的な人の本性を考えることは、神の存在を懐疑することともなり、大きな論争を巻き起こした。
D.ヒューム (著)
木曾 好能 (翻訳)
法政大学出版局
ISBN:978-4588121913
