勅使川原 真衣氏に聞く
第1回 問いつづける子どもたちへ 教育社会学に魅せられた理由

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

フィクションを取り入れながら教育社会学の成果を表現する

小さな頃からのお話を伺うと、研究者向きなのかなと思うんですけど。

勅使川原 難しい話で、研究者と言っても独立独歩でやっていけるわけではありません。大学こそが超階層社会ですよね。問題提起をする学部に行ったとしても、オーセンティシティというか、どの小学校からどの中学校を出てみたいな話があるんですよ。能力主義を批判しながら、自分たちがものすごい能力主義だから、その辺の二重性もいまだに苦手です。

スタート地点からして普通の人とちょっと違う能力主義が入っていますね。

勅使川原 本当にそうです。ほぼ家柄ですよね。

もう小学校の時点で差がついている。

勅使川原 本当にそうなんです。みんな同じ大学だったらそうなっちゃいますよね。競争が早期化するっていうか。なので、今も教育社会学の先人たちにはお世話にはなっているんですけど、やっぱりわたしは異物ですね。

研究分野に未練はないわけですか。

勅使川原 そうですね。徐々に納得したって感じかな。『「能力」の生きづらさをほぐす』を書いたこともあって、フィクションを取り入れながら、教育社会学の先達の歩みが、サイエンスコミュニケーター的な意味で伝わっていく役目を果たせればいいのかなって思って書いています。

なかなか、みんな生きづらいってうまく言えなくて、ネット上に溢れているような名言とか慰めみたいなこととは別のところで、生きづらさを説明してもらいたいし、自分の場所を理解するのも大事なんだろうなと思います。

勅使川原 ありがたいです。先日、『彼女は頭が悪いから』(姫野カオルコ著/文春文庫)を読んで、これを両輪でやっていけばいいんじゃないかと思ったんです。つまり、研究者が階層の再生産とかの問題提起を散々やってきているけれども、一般の人に届いているとは言い難い。だけど、あの本に描かれている男の子たちの問いのなさ、脊髄反射的に答えを出す上手さ、迷わなくてすむ人生を歩んできた特権性……これらすべてをフィクションで描けるんだというのは、わたしとしては目から鱗だったというか。半分フィクション、半分ノンフィクションで書いていけたらいいな、なんて僭越ながら思っています。

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