半導体エネルギー研究所顧問・菊地正典氏に聞く
第2回 半導体の「ばらつき」に秘められた技術革新の可能性
歩留まりを上げるのが最大の問題
80年代は、MicrosoftとIntelの関係はありつつも半導体の市場は日本が支配していくような時期ですよね。
菊地 日本がいちばん得意としていたのがメモリで、特に「DRAM(Dynamic Random Access Memory)」といわれる、コンピュータシステムのメインメモリに使われているもの。DRAMは機能が決まっているわけですから、基本的にいかに安くたくさん安定的に供給できるかという競争になります。そこは日本の企業、特にNECの九州なんか代表的な工場ですけど、うまかった。1980年代後半から90年代初めのピークのときは、ICとしては世界の50%ぐらい持っていて、メモリはDRAMでは75%を超えていましたからね。
だからアメリカが騒ぎ出したわけですね。当時、日本企業タダ乗り論みたいなものがありました。大量につくるのは上手だけど、基礎研究にお金を投資していないじゃないかというものです。現場ではそういう議論はどんなふうに受け止めていたのでしょうか。
菊地 タダ乗りしているって意識はなくて、今でもそうですが、What to make(何をつくるか)より、How to make(どうやってつくるか)というところに関して日本は秀でているんだと思います。集積回路は、さっき言ったみたいに不確定要素が入ってくるから、歩留まりがすごく重要なんですね。1枚のウエアから何個とれるか。歩留まりを上げるのは、製造に携わる人にとっては最大の問題になる。いかにラインをきれいにするかとか、ゴミが発生したらそれをどう処理するかとか、そういう泥臭いテクノロジーが効いてくる。そこで日本はきめ細かさを発揮してどんどん歩留まりを上げてきました。戦後、日本が重工業を中心に復興してきたけれど、対照的にアメリカの製造業が振るわなくて、エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(広中和歌子・木本彰子訳/TBSブリタニカ刊)という本を書いた頃には、アメリカの不満がそうとう溜まっていたと思います。あの本には二つの意味があって、日本を褒め殺しにするのと、アメリカの産業界に対する警鐘の意味があったと思います。