本当のポスト・モダンはこれから到来する
玉川大学文学部名誉教授 岡本裕一朗氏に聞く(3)

かつて饒舌に語られたポスト・モダンは、近代のレジーム上にある後期近代にすぎなかった。「ポスト・ヒューマン」の到来によってもたらされる「ポスト・ヒューマニズム」こそ、近代の終焉と称するにふさわしいと岡本氏は語る。最終回では、時代の岐路において変化する生き方と価値観について話が及んだ。なにが、どう私たちを変えるのか。

岡本 裕一朗(おかもと ゆういちろう)
玉川大学文学部名誉教授
1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋近現代哲学を専門としつつ学際的な研究を行う。現代の哲学者の思想を紹介した『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社、2016)はベストセラーとなった。『モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類』(光文社新書、2006)、『フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ』(中公新書、2015)、『ネオ・プラグマティズムとは何か ポスト分析哲学の新展開』(ナカニシヤ出版、2012)、『思考実験 世界と哲学をつなぐ75問』(ちくま新書、2013)、『世界を知るための哲学的思考実験』(朝日新聞出版、2019)、『哲学100の基本』(東洋経済新報社、2023)など著書多数。
目次
テクノロジーによる分断がもたらす存在論的不安
桐原 テクノロジーが進化し資本や政治の論理が背後に潜むことで、『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳/堀之内出版)を書いたマーク・フィッシャーがいうように資本主義の終わりよりも世界の終わりのほうが想像しやすくなってしまいました。
岡本 国際競争においてテクノロジーに焦点が当てられる理由として、テクノロジーの変化のほうが経済システムよりも現実的でみえやすく、かつスピードも早いということが挙げられます。また、政治におけるリベラルデモクラシーの信用性もヨーロッパを含め世界的に低下しています。それにもかかわらず、資本主義に代わるものを想定することがほぼ不可能になってきます。ですから、マルクス・ガブリエルのいう倫理的資本主義のように資本主義そのものは前提としつつも、搾取や格差を生むような利益至上主義的でない資本主義を構想するということに留まらざるをえません。
桐原 資本主義のもとで再分配を重視するようなマイナーチェンジということですね。
岡本 はい。倫理的資本主義というのは、かつての社会民主的な資本主義と似たようなものを考えているのだと思います。当時と異なるのは、社会貢献を重視するニュアンスを資本主義に付与することでしょう。
桐原 実在論が再び注目を集めていることと、現在の若い人たちが社会変革や社会貢献について意識的なこととは関連しているのでしょうか。
岡本 若い人たちは、社会を本気で気にしています。どう生きるかということについて熱く考えていたり、働くことを通じた社会貢献を真剣に語ることも多かったりします。ある意味でいえばサルトルを愛読していた世代たちの発想に近いのかもしれません。
桐原 私たちはデモを冷めた目で見たりしますが、若い人たちは率先して参加したりする。若い人たちが新しいコミュニケーション手段を介して世の中に接していることで、私たちとは異なる距離感を世の中に対して抱いているのかもしれません。
岡本 それはあるかもしれません。かつてはSF小説や映画に出てくるような発想でしかなかったポスト・ヒューマンという発想が、現実のものになりつつある。それについて、これからどうするかという選択が迫られると、かつてとは違った関わり方を考えざるをえません。少し前はリバタリアン的な考え方が支配的だった気がしますが、最近の学生にはそういう発想はみられません。
桐原 AIなどのテクノロジーに脅威をおぼえるのではなく、それを使って社会を変える発想が強くなってきているのでしょうか。
岡本 はい、そうです。
桐原 かつてのハッカー世代はテクノロジーを通じて自由を手に入れようという発想を持っていましたが、そうしたことは変わってきているのでしょうか。
岡本 まったく変わってきています。実際のところ、ニューアカデミズムとして語られたポスト・モダニズムの思潮は近代を超克するといいつつも、あくまで近代の枠組みのなかでの流行でした。ところが 21 世紀になって、人間の身体そのものが変容したり、機械によって人間の知性が支配されたりすることが現実化してきました。実際に、自分が就く仕事が AI に代替されてレイオフされることは切実な問題です。そのようにポストモダンや人間の終焉ということが現実に迫ってきたときに、どうテクノロジーに関わるかというのは、これまでの遊戯的な発想ではなく身につまされる問題になってきます。
桐原 テクノロジーがツールとして人間から切り離せるものではなくなってきた。
岡本 ハラリのいう、ユースレス・カーストが生まれると聞くと「俺は大丈夫か?」と真剣に疑問を抱くような感じです。
桐原 「IT批評」で東京大学の紺野先生にインタビューをした際に、治療目的の BMI (Brain Machine Interface)を研究されていて、人間の脳を AI に接続することで、人間の不幸の半分以上を減らせるのではないかとおっしゃっていました。
岡本 非常に優秀な人にとっては、ポジティブに語り得ると思います。ハラリでいうホモ・デウスになるであろう人にとっては、AIに仕事を任せればそれほど働かずにすむという発想が強くなると思いますが、そうでないホモ・ユースレスになる大多数の人たちには、ハッピーな世界像を描けません。
桐原 往々にして、テクノロジストによって、AIによる新しい労働の創出やAIとベーシックインカムで労働が不要になるといったユートピアが示されます。しかし、それが本当にユートピアなのか、ディストピアである可能性はないのか疑問に感じている人も多くいるでしょう。
岡本 これからの生活世界を生きる若い人たちにとっては、切実な問題だと思います。