エンタメ社会学者・中山淳雄氏に聞く
第1回 いかにしてエンタメ業界を分析対象として捉えるのか

AIやテクノロジーが効率化ばかりを追い求めるなかで、コンテンツ産業にはマイノリティの自己実現を支える力がある――。先日、『キャラクター大国ニッポン』を上梓した中山淳雄氏が、みずからの原点と現在の視点を語る。

中山 淳雄(なかやま あつお)
エンタメ社会学者。コンテンツの海外展開がライフワーク。事業家(エンタメ企業のコンサルを行うRe entertainment)と教員(早稲田・慶應・立命館)、行政(経産省コンテンツPjt主査、内閣府知財委員)を兼任。東京大学社会学修士、カナダMcGill大学MBA修士。リクルート・DeNA・デロイトを経て、バンダイナムコスタジオ・ブシロードで、カナダ・シンガポールでメディアミックスIPプロジェクトを推進&アニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を担当。
著書に『キャラクター大国ニッポン』(中央公論新社)『エンタメビジネス全史』『クリエイターワンダーランド』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』『エンタの巨匠』(以上、日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』『ヒットの法則が変わった』(以上、PHPビジネス新書)『ボランティア社会の誕生』(三重大学出版会)など。
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漫画に触れるプラットフォームとしてコンビニの存在は大きかった
桐原永叔(以下、――)AIの研究者やAIビジネスの経営者の方にお話を聞くと、よく「ドラえもん」の話になります。それで、テクノロジーとしてドラえもんを考えるには、のび太というある種のマイノリティとの関係を考えることが大事かなと思いはじめています。
中山淳雄氏(以下、中山) それは慧眼ですね。のび太がマイノリティとして社会とのギャップが課題になるからこそ、ドラえもんというテクノロジーが必要になりますもんね。
中山さんは書籍のなかでマイノリティについて言及されています。私もAI活用の目的が、生産性や効率化の向上といったマジョリティの目的に偏りすぎているのではないかという思いを抱いています。それで思いついたのは、コンテンツ・ビジネスにはテクノロジーとマイノリティの幸福な関係の例が豊富にあることです。
中山 おっしゃるとおりで、「マイノリティ・デザイン」という言葉が必要なように、社会全体のデザインは最大公約数のマジョリティのためにできている。その社会の欠損や課題を示すのは常にそこに葛藤を抱えるマイノリティであり、彼らの最小公倍数をテクノロジーという武器が見つけてくれるものだと思います。
最近の代表的な事例がボカロP1だと思うのですが、コンテンツ・ビジネスには通奏低音みたいに、マイノリティによる自己実現というテーマが貫かれています。今日はそのあたりも含めてお伺いしたいと思っています。中山さんは「エンタメ社会学者」と名乗られていますが、子供の頃に親しんでいたアニメや漫画にはどんなものがありましたか。
中山 僕は1980年に栃木県宇都宮市に生まれたのですが、1984年に「ドラゴンボール」が始まるんです。3つ上の兄がいたので、「少年ジャンプ」も兄が買ってくれたのを一緒に読むみたいなことが最初のキャラクター体験でした。そしてファミコンがはじまります。
私の世代は、子供の頃に好きだったものでも、どこかで卒業するという意識があったのですが、そのあたりはいかがでしたか。
中山 中学校に入った時点でアニメとゲームは卒業していました。高校のクラス50人でアニメをみている“オタク”の同級生が2-3人だけいて、彼らに薦められて「エヴァンゲリオン」を見たぐらいが唯一のアニメ体験です。中学、高校はサッカーやバスケットなどスポーツ方面が中心で、僕自身はエンタメからは卒業していましたね。
そうなんですね。子供の頃の中山さんは「ドラえもん」をどうご覧になっていましたか。現在の日本のテックエリートの人たちとドラえもんは切っても切り離せない感じがしています。
中山 ドラえもんは小学校卒業の1990年頭からはもう見ていなくて、そこを2000年代にくるテックの時代をつなげる、という発想はなかったです。コンテンツとテックがつながりなおすのって2010年代以降でそれまでは「切り離されている」認識です。
僕はテックエリートと反対側の人間で、むしろ文学系崩れに近いんです。一浪して苦労して東大入ったんですけど、小説家になろうとか考えていたくらい浮世離れしてました。そんな自分が「卒業」したコンテンツを、そういえば唯一触れていたのって「立ち読み」なんですよね。90年代に入って、栃木にもコンビニが乱立して、あれがインフラとなって漫画を読むという行為が大学まで続いていたような気がします。おそらく全国的にも、漫画というコンテンツを広げるインフラのひとつになっていたと思います。
それは説得力がありますね。今はコンビニで立ち読みできませんが、あの頃は当たり前でした。漫画や雑誌はコンビニの集客のためのコンテンツでもありましたし。最新号が出るとウィンドウに並べてたり。本屋さんで好きなものを探すとかではないんですね。
中山 そうですね。本屋でちゃんと向き合うというよりは、ブックオフで中古本を買うとか、立ち読みで済ませていたので、あまりコンテンツにはお金を使っていなかったですね。あの時代にそういう環境があって、漫画を浴びるように読めたというのは僕のなかでは大きいです。
世の中の変化をレファレンスできる数字で考える
大学院では社会学を専攻されたとのことですが、「エンタメ社会学者」と名乗られるようになったきっかけはどういうことだったんですか。
中山 2019年に書いた『オタク経済圏創世記』(日経BP)あたりから使い始めました。まだブシロード2で役員をやっていた頃でしたが、事業家としてでもなく、ただ完全に学者でもないし、という中で「参与観察」して現場で事業しながら分析もしている「エンタメ×社会学」という組み合わせが適したように感じたんです。大学院で社会学を専攻していたときから、どんなふうに社会全般の価値観が変化していくのかを分析してましたし、社会人になってからも定期的に執筆はしていたので。
大学院を出た後に、リクルートに入社されて、DeNAを経てブシロードに移られます。やはりコンテンツビジネスに関わりたいということだったのでしょうか。
中山 大学院を出てリクルートで5年ビジネスをやって、本当はそのまま商社マンや経営コンサルタントになりたかったのですけど、どうも今いちばん勢いがあるのはゲームらしいと。10年以上ゲームはやっていなかったんですが、DeNAに入ってソーシャルゲームの企画・開発コンサルをやっていました。業界黎明期だったので、そういう素人でもすぐに一人者になれる絶好のタイミングでした。
分析対象としてゲーム業界を見ていたということですね。
中山 モバイル特化のゲーム業界ですけどね。当時DeNAにはゲームコンテンツが1500タイトルあったのですが、1個1個の売上や利益や成功率、ユーザーが何にハマっているのかについて自分なりに日々まとめていたんですね。業界全体をみよう、というよりも1作1作を当てることに皆が必死で、あれだけデータが豊富なプラットフォームでも社内で誰もそんなことを手間かけて分析なんてしてなかった。それで本を出版したら、びっくりするぐらい反響がありました。
2012年に出された『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』(PHP新書)ですね。
中山 自分にも書けるんだなという自信がついた本ですね。ソーシャルゲームを社会現象として、学術的な研究も背景にしながら説明しました。商業本デビューはその2012年ですね。
これまでの日本の映画評論や音楽評論といったコンテンツ関連の書籍と、中山さんのエンタメに対するアプローチはまったく違いますよね。例えば、音楽評論家の人たちは業界内情報、流行や若者心理の変化を印象批評的に語りますが、不可分所得が増えてバンドが増えたとか、若者の余暇の使い方が変わったとか、ビジネスとしてここに要請があったというデータを絡めた客観的な書き方はあまり見かけません。中山さんのコンテンツ分析は、社会を見るマクロな視点と技術や個々のビジネスというミクロな視点、そのうえにクリエイターの創造性などの分析が合わさって、社会学として深い説得力を持っています。
中山 僕の習性かもしれません。世の中や人が変化した理由を、僕の意見ではなく、何かレファレンスできる数字で考える。人の動きが如実に変わった瞬間をきちんとデータで示したいんです。大学、大学院時代からやっていることは、実は社会人になってもあんまり変わらないんです。